まっかちゃんのブログ

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名作「私は貝になりたい」は何が不足しているのか

2016-06-30 00:02:09 | 文化・文学・アート
6月24日、立命館大阪プロムナードセミナー 木津川計の一人語り劇場「名作『私は貝になりたい』は何が不足しているのか」を受講しました。雨にもかかわらず、補助椅子を追加した会場は満席でした。

14時、会場が真っ暗になり、やがて明るくなり、木津川さんが登場しました。「私は貝になりたい」を語り始めました。
主人公の清水豊松は土佐の漁村で散髪屋を営んでいたが、召集されて二等兵になった。米軍機による空襲が激化するある日、B29一機が日本の対空砲撃で墜落、パラシュートで脱出した搭乗員三人が捕虜となった。
日本軍はその三人を立木に縛りつけるが一人は既に死亡、あとの瀕死の二人を初年兵の突撃訓練の標的にした。上官の命令で清水豊松は標的の米兵を刺殺、その責任を問われ、戦後、戦犯として絞首刑の判決を受けた。直接命令した軍曹は重労働三十年、上等兵は二十五年なのに、命令された豊松は死刑であった。処刑の前夜、豊松は妻と男の子に宛てた遺言を書いた。「生れ変われるなら、私は貝になりたい」と。

「私は貝になりたい」は昭和33年(1958年)東京放送(現TBS)がシナリオライター橋本忍の脚本で岡本愛彦が演出、テレビドラマとして放送された。その芸術祭賞文部大臣賞」を受賞した。翌年、テレビの脚本通りで東宝が映画化、橋本忍自ら監督として制作した。
黒澤明監督は「根幹となるものがない。これでは貝にならない」と批判した。橋本忍自身も「何かが足りない」と言っている。

続いて、1959年にイタリアで制作・公開された映画「ロベレ将軍」(同年9月ヴェネツィア国際映画祭において上映され、金獅子賞を受賞した)を語り始めました。
第二次大戦末期の1944年、連合軍は南伊を解放し、ナチの支配する北伊に迫っていた。連合軍は北伊のパルチザンと連絡をとるため、イタリア人の将軍ロベレを秘かに南伊に潜入させた。ところが、将軍はナチの一分隊により発見され射殺されてしまった。ナチ司令官ミューラー大佐はニセのロベレ将軍をしたてて、彼をオトリにパルチザン組織を探ることを思いついた。捕まっていた詐欺師のバルトーネを、無罪放免と引き換えに替え玉に選んだ。
ある日、九人の捕虜が刑務所に送られてきた。その中には、ファブリッツォという名の、パルチザン指導者がいるのだが、それが誰かはよくわかっていなかった。ファブリッツォが獄中でロベレと連絡をとるだろうと考えた大佐は、バルトーネに警戒を命じた。獄内で接触をとって来た受刑者がバルトーネのミスから拷問を受けるが、それでも口を割らずに死んで行く。またロベレ将軍の夫人からは愛情と敬意に満ちた手紙を受取る。こうして将軍をめぐる人たちの勇気と忠誠心を目撃するうちに、バルトーネは心中に愛国心がわき起こってくるのを感じ始める。そして彼はロベレ将軍として処刑された。

「何が足りない」のか。同じ年に作られた二つの映画であるが、「戦争にどう向き合うのか」二人の死に方が異なる。「命ぜられて死ぬ」と「自ら死ぬ」。
野坂昭如が「気が付いた時には戦争が始まっていた」。1960年、丸山眞男は「不作為の行為」について語っている。「しないことがやはり現実を一定の方向に動かす意味を持つ」と。
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