◎2021年4月20日(火)
道の駅つる(7:32)……車道終点・登山口?(7:54)……古宿コース合流・大休場(8:36)……松葉入コース合流(9:09)……烽火台跡(9:15)……高川山(9:18~10:01)……古宿コース分岐点(10:31)……道の駅つる(11:17)
四月に入ってから、ずっとスッキリ富士山を拝める日を待ち続け、ヒマをみては『富士山ライブカメラ』に『GPV気象予報』と『YamaYama GPV』の雲行きを照らし合わせ、絶好のタイミングを待っていた。グッドタイミングだと、こちらの都合が合わない。だが、ライブカメラで見ている限りでは、富士山が雲に隠れている日の方が多かった。来月に持ち越せば山頂の雪も消えていく。あせった。今週しかない。有休を使って行くか。決めたのは前日だった。
ブログタイトルを見て、あれっと思うだろうが、お伊勢山は高川山から下山してから取って付けたもので、当初の予定は高川山から九鬼山。そして元気があれば御前山を経由して電車利用で、駐車地の<道の駅つる>に戻るつもりでいた。体力が減退しているというのに、気力だけは勝手に元気づく。
(道の駅つる)
7時半に道の駅つるに到着。交通量は多かったが2時間もかからなかった。こうやって、県境を4つもまたぐのは気が引ける。自分もまた、密室の車の移動だからいいだろう、みんなやってんだしと身勝手な理屈で遠出する。群馬県も着実に感染が増えているのに、知事の緊迫感は薄いようで、一万円以上の県内日帰りツアーに五千円の補助を出している始末だ(近日中に中断するようだが)。ところで、首都圏に隣接しているのに山梨県の感染者数はどうしてこうも少ないのだろう。だから、遊びに行ってもいいというものでもないが…。これ以上は記さない。いろいろとご意見があるのは承知している。
高川山に行くコースはいくつもある。道の駅を起点にすれば、小形山の南側を通る中谷入コースで登り、シラノサワコースで禾生駅に下って、そのまま九鬼山に向かい、田野倉駅方面に下って戻るというのが本日の予定。高川山に至るまでの間、道の駅も含めて途中で富士山を見られるものと思っていたが、結局、富士山を見られたのは高川山の山頂からだけで、北側から登ると、いくつかビュースポットがあるらしく、その点では物足りなさを感じた。
(コース分岐の標識)
(道端にさりげなく石仏や石碑)
(石垣の奥は平らになっている。社宅、長屋が続いていたかと思う)
(車はここまで入れる)
高速道に沿って北に向かうと、左手にリニア見学センターへの道が分岐する。これでいいのかと思いながらさらに行くと、ようやく高川山への標識が現れた。左はシラノサワ、古宿コースで、直進は中谷入コースになっている。ここは直進。この時点で、シラノサワコースでまたここに戻ることになるとは思ってもいなかった。
舗装道がしばらく続き、民家が次第に少なくなり、やがて消えた。途切れた石垣がずっと続き、上はすでに植林ながらも平らになっているところからして、この辺は足尾の小滝集落のように社宅群でもあったのだろうか。この先は車止めといった感じの小広場に出たが、ここがおそらく登山口だろう。熊出没注意の看板が置かれていたので、スズをザックに垂らした。
(ちょっと薄暗い作業道風の登山道。左に沢が流れている)
(新緑がまぶしい)
山道になるかと思ったら、部分的に舗装の沢沿いの作業道になっていて、周囲はスギの植林。そろそろ飽きるタイミングに合わせるかのように、雑木が混じり込み、作業道から登山道になる。たまに植林も復活するが、すでにスギからヒノキに変わっている。
沢はいつの間にか遠ざかり、登山道はカーブしながら尾根の直登を回避していく。最初は緩い傾斜も、次第にきつく感じるようになってきた。今日は夏日になるらしい。出だしは10℃もなかったが、すでに20℃近い体感。汗をかき出し、ウインドブレーカーは脱ぎ、ついでに水を飲んだ。暑さは予想していたから、今日は水も珍しく1リットル持参していた。普段はその半分だが、それでも少ししか飲まない。周囲を見ると、緑がまぶしく、確実に陽春の候になっている。ただ残念なのは、このコースだけなのかは知らないが、鳥の鳴き声はまったく聞こえず、花らしきものがない。黙々と歩いている分には退屈になる。ブログ記事には出さなかったが、3日に下仁田の物見山を歩いた時には、退屈なハイキングコースながらもキジを数羽見かけ、その都度に追いかけ回して遊んでいた。キジの保護色変化はすごいことを知り、ついに写真は撮れなかった。
(高川山)
(ここが大休場かと思う)
左手に高いピークが見えた。おそらくあれが高川山かと思う。瞬間、ヤマツツジがいくつか目に入った。期待したが、近づくまでもなく、すでに終わり、花はかなり萎れている。地面にはアカヤシオの花びらが落ちていた。どこから飛ばされて来たのか、周囲を見渡してもそれらしきピンクの塊りは見あたらない。
左下からコースが合流した。標識は置かれているが、文字がかすれている。出発後にすぐに分岐した古宿コースとの合流点と思われる。『山と高原地図』にコース名は記されてはいないが、<大休場>とあるのがここだろう。決して休憩適所とは思えぬが、この先が幾分広くて平らになっていて、腰掛け向きの大きな石が転がっている。
(ヤマザクラ)
植林帯にまた入り込む。ここから傾斜が増してカーブが多くなる。植林から覗く明るい雑木の中にヤマザクラが咲いているのが見えた。今回見た唯一ともいえる盛りの花だ。真下に行きたかったが、急斜面になっていたのであきらめた。
上から犬を先導させた二人連れが下りて来た。かなりの軽装なので、地元の方が散歩にでも来たような感じに見受けられる。今日は自分一人かなと思っていただけにびっくりした。
(また植林に入る。急になり、ジグザグの登りになって)
(稜線に出た)
(高低差もさほどになく気分良く歩ける)
カーブが蛇行状態になり、植林帯から抜け出すと、稜線に出た。右からコースが合流する。地図で確認すると、途中で小形山北部を通るコースが分岐するものの、基本は峯山、むすび山を経由して大月市内に至る。長い尾根歩きだから、さぞ気分が良いだろうと思ったが、下りで使われたぶなじろうさんの記録を改めて拝見すると、かなりやっかいな尾根歩きだったらしい。
これまでとは一変した明るく緩い稜線歩きになった。鳥のさえずりも聞こえのではと期待したが、それはなかったし、下を歩いている時に、この稜線を見上げ、あそこに上がりさえすれば富士山も見えるのではと思ったのも甘かった。富士山は山頂に出るまでついに見られなかった。
(烽火台跡)
(枝が錯綜して街並みはすっきり見えない)
烽火台跡。眼下には都留市の街並みが見えているはずだが、木立ですっきりしない。よくは知らないが、「烽火」とある以上は、ここから岩殿山城に烽火で敵勢の動向を知らせていたのだろう。
(高川山山頂)
(山頂から富嶽。せっかくのピーカンなのに「淡い」の一言)
(同じく)
(同じく)
(同じく。せいぜい、ズームの調整とカメラの向き変えしかできないのが残念)
数分で高川山山頂に着いた。山頂はさほどに広くはない。先客がいた。食事中らしき単独のオッサン。楽しみは後回しにし、オッサンに挨拶をして山頂を撮影。自分なりの手続きが済んでから富嶽に目を向ける。ウ~ン、なるほど、ここからの富士山もナカナカだ。しばらく眺めていた。
山頂には45分近くもいた。何かをしたわけでもなく、せいぜい菓子パンを食べただけで、ずっと富士山を眺めては写真を撮っていた。足利の山火事以来、山にはタバコを持ち歩くことは避けている。その間にオッサンは「お先に」と言って、自分が歩いて来た方向に下って行った。そのうちにオニイさんが登って来たのでオサラバとなったのだが、オニイさんが来なければもっといたかもしれない。
(これにておさらば。手前の枝に花が残っていたら、春霞も気にならなかったかも)
ここからの富嶽の景色には難点が二つあった。一つは、今日の高川山に限らないことだが春霞の存在。これは如何ともしがたく、予想はできなかった。冬の青空と違って、この時期はどうしても薄ぼんやりした背景になってしまう。最初は黄砂かと思ったほどだ。そしてもう一つは視界が限定されていること。文句のない風景が眼前に広がってはいるのだが、何せ山頂は広くはない。広ければ、あちこちに移動して多少は違った表情の富嶽を楽しめるが、ここからでは一方向からだけの固定された世界だ。せいぜい出来ることは、カメラのズームの調整くらいのもの。自分の歩いたコースで富嶽を拝めるスポットは、上り、下りともにこの高川山山頂でしかなかったことを考えれば、富士山を見るのを目的のメインとした場合、やはり、北西方向のコースを上りか下りにするべきだろう。高低差で下の街並みも変わっていく風景が加わった富嶽の姿を楽しめたかもしれない。決してここからの秀麗富嶽を否定するつもりはない。素晴らしい富士山を眺められたことは確かで、2月に行った小金沢山の印象が強く残り過ぎていた。
(いきなりのロープ場)
(ここを下った)
(しばらくこんなところを下る。別にロープにつかまるまでもない)
下りの方向には「古宿西コース」の手書き標識があった。オニイさんはそちらから登って来たので、コースの具合を尋ねると、「岩じみた急なところが多くて、下りでは使いたくない」とのことだった。確かに、いきなりのロープ場下りだった。ワークマンズックでは、岩が濡れていたら滑って危ないところだ。
(唯一のアカヤシオだかミツバツツジ。萎れかけているからどちらなのかよくわからない)
(のんびりと下る)
その後もロープが張られているところや急なところが続いたが、これが落ち着くと、上り使用のコースに比べて気分よく歩けた。ここも植林歩きはあるが、さほどに長い区間でもなく、全体としてカラッとしている。こちらも鳥の鳴き声はなく、ツツジやら花もまた乏しいところだ。せめて富士山が右手にかすかにでも見えていたら気分も違うだろうに。
下に林道のようなものが見え、標識のところに二人連れがいた。夫婦かと思うが、ダンナはマスクをして、カミさんは無防備のノーマスク。もっとも自分もノーマスクだが、夫婦者なら、普通は逆ではないのか。まして、カミさんの方はザックもなくダンナだけが担いでいる。標識を見ると、この林道は古宿コースになっている。つまり、帰路はここから林道歩きになるらしい。話をすると、夫婦はこのまま林道を行くようで、どこまで林道になっているのかは知らないが、いずれは自分の上ったコースに合流にするはずだ。やはり、道の駅に駐車して歩いて来たとのことだった。
(林道歩きになって)
(間もなく民家。右は590.4m三角点峰だろう)
地図を見れば、間もなく道が分岐する。直進すれば禾生駅に向かい、当初の予定通りに九鬼山に向かうことになる。左を選べばやがては道の駅に至る。高原地図を広げて時間を計算する。分岐から九鬼山の登山口の愛宕神社までは45分。先の九鬼山までの登りは1時間40分。自分には2時間の登りか…。九鬼山からの下りは最短コースを選べばいいだけだからどうでもいいが、まずは無理。途中で戻る可能性もある。以前の自分ならともかく、今の自分には重い。九鬼山は見送りだな。今度改めて御前山を含めて歩くことにしよう。そうでもしなければ、大月市の秀麗富嶽十二景も御前山だけが残ってしまうことになりかねない。
あっさりあきらめたはいいが、都留市までやって来て、高川山だけで終わりというのももどかしい。ここから近い十二景では岩殿山とお伊勢山がある。事前調べもなかったのでスマホを出して調べてみた。岩殿山は登山道があちこち崩れて通行止めになっているが、東側からなら山頂往復も一時間余りでできそうだ。その代わり、稚児落しだのの西側に下るには時間と距離的に無理。お伊勢山になると、どうも情況がはっきりしない。桜の時期がベストらしいが、山なのか公園なのかもとんとわからない。ただ、大神社というところに駐車場があるらしい。行けば何とかなるだろう。まずはお伊勢山に行き、帰りがけに岩殿山に行くということにしようか。この時点で勘違いをしていた。道路地図もろくに見ず、大月インターは岩殿山の東側にあると思っているから、順番として、西側の遠いお伊勢山を済ませてから岩殿山に登り、そのまま大月インターという順路がスムーズと思い込んでしまっていた。
林道歩きに復帰。民家が見えてきたのでスズは外したが、家が増えてはきても人の気配がまったくない。分岐を左に行くと、右手に590.4m三角点ピーク、左手に728m標高点ピークが見えてくる。やがて、往路で通過した道に合流した。
(リニアの車両基地が見えてくる)
(道路公団の石標。これが続く。初めて見た)
(九鬼山)
(道の駅に戻った)
車道歩きになって道の駅が近づく。正面に見える三角形の山はおそらく九鬼山だろう。ため息が出た。今度来た時には、あの尾根を伝って登ってみよう。
やたら暑くなっていた。車に戻ると、車載温度計は27℃を表示していた。水は半分になっている。車に置いてあったタバコを取り出して一服し、少し休憩後にエアコンをつけて大神社なるところに向かった。
(付録。スマホで撮ってみた)
【お伊勢山】
ナビを大神社があるらしきところにセットして向かったが、道の駅に来る際に通った道を戻る形になり、大月インターの前を通過すると、ここで初めて、自分がインター、お伊勢山、岩殿山の位置関係を滅茶苦茶に錯覚していたことに気づいた。これでは、岩殿山からどんどん離れて行く。岩殿山を先行すべきだった。お伊勢山の後に岩殿山に行くとなると、またインター前を通過してさらに先に行って、また戻ることになる。岩殿山はこの時点で終わりになった。
(大神社。鳥居と石灯籠だけ。右に階段のようなものがあり、これを行けば天照大神大神社に直結で行けるようだ。今、考えると、ここの大神社とは天照大神大神社のことを指すのだろう)
大神社はわかりづらかった。大きな門の石碑は見かけたが、その脇の狭い路地に車が入れるようには思えず、やり過ごして先に行くとさらにわからなくなり、また戻って、何とか路地に入り込むと、先に広い駐車場があった。鳥居と石灯籠があるだけの神社。敷地の一角には真木公民館の分館がある。
『五福参り』の案内板があった。根神神社(夫婦縁結)、天満宮(学問の神様)、天照大神大神社、愛宕神社(火伏神社)、そして真木山福正寺を加えたのがその「五福」らしい。そして、ようやくお伊勢山の情況がわかった。この神社と寺が続くエリア全体がお伊勢山で、愛宕神社の先に白簱史朗が選定した秀麗富嶽の景色を見られるスポットがあることも知った。ちなみに、ここの大神社は上真木大神社といって、五福には含まれていない。もっとも、社殿がないのでは話にならない(右に階段が登っていたので、あるいはそこに神社があったかもしれないが、確認はしていない)。
(標識に従う)
(あの家の庭先を通るのかと思ったが、道は脇をかすめて登って行く)
(根神神社)
(金精様。ここのは単純そのものだが、石工の性格、こだわりによっては、ヒダや血管を精巧に浮き出させている物もある)
大した距離でもないので、五福全部を回るつもりで、一旦、車道に出ると、五福参りの案内板がしっかりと置かれていた。これにしたがって歩けば愛宕神社に行けるだろう。
すでに富嶽は見えているが、民家や電線が邪魔になって撮れたものでない。道は民家が切れたところからこんなところをと思うようなところを登って行く。すぐに根神神社。ここは夫婦縁結ということだったが、確かにご立派なものが置かれていた。ただ、その相方をかたどったらしき物は目につかなかった。
(すでに花は飛ばされている)
(振り返って)
(もうヤエザクラしか残っていない)
(せっかく花を入れて撮ったのに、肝心の富嶽が薄くなりかけている)
「順路→」標識に合わせて行くと、根神神社の裏手から広い斜面になり、富士山がきれいに見えた。今はすでに花もすっかり落としているが、なるほど、ここの桜が上まで続き、富士山に趣向を加えるわけか。そんなことは知らずに来ているから、なんだ、それを知っていたら…ということになる。来るのが半月遅かったが、春霞もまた濃くなり、逆に、さらに淡い富嶽になってしまっている。斜面の公園状になっているのに、だれもいないのは、青葉になってしまった桜越しに富士山を見に来る酔狂な人はいないということだ。電球が続いている。おそらく夜桜祭りでもやるのだろうが、今年、去年とやったのだろうか。おかしなことを考えた。白熱電球はむき出しのままに続いている。雨でも降ったらどうするのだろう。おそらく、元電源は外しているのだろうが、電気を入れた瞬間に漏電ということもあり得る。まさか、葉桜になってしまってもライトを灯しているのだろうか。居残りの桜があるにはあるし。
(天満宮)
(ここは桜並木だったのだろうな)
次の天満宮にはなぜか二宮金次郎の石像があった。学問の神様だからの所以だろう。ただ、像のおかげで俗っぽくなっていることは否めない。富嶽は見え続けているが、どんどん霞んできていて、白っぽくなった青空に同化しつつある。ここで花を入れて撮ろうとしたが、どうもピントがずれてしまった。
(天照大神大神社)
(駐車地の鳥居に続いているようだ。富士山も、あれだよと言われないと気づかない状態になりつつある。)
三番目の天照大神大神社はさすがに神社らしくどっしりと構えている。社殿もまた新しい。別方向に坂と石灯籠が続いている。案内図板を見ると、駐車地の大神社から直接、ここまで来られるようだ。ここに「お伊勢山 200m先→」の看板があった。この山域をお伊勢山と思っていたが、どうもピークがあるようだ。よくわからない。
(だれもいず、しーんとしている。そういえば、ここもまた鳥の鳴き声は聞こえない。春ゼミくらいは鳴くのだろうか)
(愛宕神社)
(左に電球が続いている。正面のピークにまで行くわけではないが、あのピークからの富士山もきれいに見えるような気がする)
静けさの漂う樹林の中を少し行くと愛宕神社。ここにもお伊勢山150m先の看板。周囲は山景色ではあるが、下の集落から標高差で50mほどのものだ。真下の家は庭の様子がはっきり見えている。
(お伊勢山。奥のピークではなく、階段下がお伊勢山)
(大月市看板と富嶽神社)
(お伊勢山からの富嶽)
(アップで)
(ちょっと引いて)
150mほど歩いた先には階段があり、その階段先は墓地になっている。その階段下の平地にお伊勢山の標識が置かれている。ここはごちゃごちゃして賑やかなところだ。「秀麗富嶽神社」まで祀られている。富嶽の写真パネルが並び、白簱史朗の顕彰碑、…。で、ここからの富嶽の眺めはというと、集落がアクセントになってなかなかのものだが、時刻は12時40分だというのに、もう富嶽はかなり薄くなってしまっていて、シルエット状だ。ただ、ロケーションとしては、集落も見えているし、ここまでもそうだったが、時季を外さなければ花の山のようだから、確かに秀麗富嶽だろうし、朝の早い時間帯なら良い写真も撮れそうだ。
どんどん薄くなっていく富士山。これから岩殿山に行ったら、もう見えなくなっているかもしれないなと、体の良い理由を見つけられほっとして、階段を登って墓地に入る。
(墓地に上がるとこうなってしまう。ここに眠る故人たちはきれいな富士山を眺められて幸せだ。宗派も縁も関係なく、ここに墓を建立する人もいるのだろう)
ここの墓地はかなり広い。中には富士山のレリーフを置いているのもいくつかあった。ここは五福目の福正寺の墓地であることは確かだろう。ここからの富士山の眺めもいいが、写真を撮ると、つい墓石が入り込んでしまうのが難点だ。
(里に下りて来た)
(五福目の福正寺はカット)
>
(駐車地の入口。狭いので、入る時はご注意を)
福正寺にも寄るつもりでいたが、標識を見かけはしたものの、その方向に寺らしきものは見えず、まして、里に下りてからだから、富嶽は期待できまいと、敢えて行かず、そのまま車道を下った。途中で見た標識には「親鸞聖人ゆかりの名刹」とはあった。
駐車地に戻った。気温は28℃を表示している。一時間も歩かなかったが、想像していたよりも楽しめたお伊勢山だった。もはやこれまでだ。時間は早いが帰途に就く。
道の駅つる(7:32)……車道終点・登山口?(7:54)……古宿コース合流・大休場(8:36)……松葉入コース合流(9:09)……烽火台跡(9:15)……高川山(9:18~10:01)……古宿コース分岐点(10:31)……道の駅つる(11:17)
四月に入ってから、ずっとスッキリ富士山を拝める日を待ち続け、ヒマをみては『富士山ライブカメラ』に『GPV気象予報』と『YamaYama GPV』の雲行きを照らし合わせ、絶好のタイミングを待っていた。グッドタイミングだと、こちらの都合が合わない。だが、ライブカメラで見ている限りでは、富士山が雲に隠れている日の方が多かった。来月に持ち越せば山頂の雪も消えていく。あせった。今週しかない。有休を使って行くか。決めたのは前日だった。
ブログタイトルを見て、あれっと思うだろうが、お伊勢山は高川山から下山してから取って付けたもので、当初の予定は高川山から九鬼山。そして元気があれば御前山を経由して電車利用で、駐車地の<道の駅つる>に戻るつもりでいた。体力が減退しているというのに、気力だけは勝手に元気づく。
(道の駅つる)
7時半に道の駅つるに到着。交通量は多かったが2時間もかからなかった。こうやって、県境を4つもまたぐのは気が引ける。自分もまた、密室の車の移動だからいいだろう、みんなやってんだしと身勝手な理屈で遠出する。群馬県も着実に感染が増えているのに、知事の緊迫感は薄いようで、一万円以上の県内日帰りツアーに五千円の補助を出している始末だ(近日中に中断するようだが)。ところで、首都圏に隣接しているのに山梨県の感染者数はどうしてこうも少ないのだろう。だから、遊びに行ってもいいというものでもないが…。これ以上は記さない。いろいろとご意見があるのは承知している。
高川山に行くコースはいくつもある。道の駅を起点にすれば、小形山の南側を通る中谷入コースで登り、シラノサワコースで禾生駅に下って、そのまま九鬼山に向かい、田野倉駅方面に下って戻るというのが本日の予定。高川山に至るまでの間、道の駅も含めて途中で富士山を見られるものと思っていたが、結局、富士山を見られたのは高川山の山頂からだけで、北側から登ると、いくつかビュースポットがあるらしく、その点では物足りなさを感じた。
(コース分岐の標識)
(道端にさりげなく石仏や石碑)
(石垣の奥は平らになっている。社宅、長屋が続いていたかと思う)
(車はここまで入れる)
高速道に沿って北に向かうと、左手にリニア見学センターへの道が分岐する。これでいいのかと思いながらさらに行くと、ようやく高川山への標識が現れた。左はシラノサワ、古宿コースで、直進は中谷入コースになっている。ここは直進。この時点で、シラノサワコースでまたここに戻ることになるとは思ってもいなかった。
舗装道がしばらく続き、民家が次第に少なくなり、やがて消えた。途切れた石垣がずっと続き、上はすでに植林ながらも平らになっているところからして、この辺は足尾の小滝集落のように社宅群でもあったのだろうか。この先は車止めといった感じの小広場に出たが、ここがおそらく登山口だろう。熊出没注意の看板が置かれていたので、スズをザックに垂らした。
(ちょっと薄暗い作業道風の登山道。左に沢が流れている)
(新緑がまぶしい)
山道になるかと思ったら、部分的に舗装の沢沿いの作業道になっていて、周囲はスギの植林。そろそろ飽きるタイミングに合わせるかのように、雑木が混じり込み、作業道から登山道になる。たまに植林も復活するが、すでにスギからヒノキに変わっている。
沢はいつの間にか遠ざかり、登山道はカーブしながら尾根の直登を回避していく。最初は緩い傾斜も、次第にきつく感じるようになってきた。今日は夏日になるらしい。出だしは10℃もなかったが、すでに20℃近い体感。汗をかき出し、ウインドブレーカーは脱ぎ、ついでに水を飲んだ。暑さは予想していたから、今日は水も珍しく1リットル持参していた。普段はその半分だが、それでも少ししか飲まない。周囲を見ると、緑がまぶしく、確実に陽春の候になっている。ただ残念なのは、このコースだけなのかは知らないが、鳥の鳴き声はまったく聞こえず、花らしきものがない。黙々と歩いている分には退屈になる。ブログ記事には出さなかったが、3日に下仁田の物見山を歩いた時には、退屈なハイキングコースながらもキジを数羽見かけ、その都度に追いかけ回して遊んでいた。キジの保護色変化はすごいことを知り、ついに写真は撮れなかった。
(高川山)
(ここが大休場かと思う)
左手に高いピークが見えた。おそらくあれが高川山かと思う。瞬間、ヤマツツジがいくつか目に入った。期待したが、近づくまでもなく、すでに終わり、花はかなり萎れている。地面にはアカヤシオの花びらが落ちていた。どこから飛ばされて来たのか、周囲を見渡してもそれらしきピンクの塊りは見あたらない。
左下からコースが合流した。標識は置かれているが、文字がかすれている。出発後にすぐに分岐した古宿コースとの合流点と思われる。『山と高原地図』にコース名は記されてはいないが、<大休場>とあるのがここだろう。決して休憩適所とは思えぬが、この先が幾分広くて平らになっていて、腰掛け向きの大きな石が転がっている。
(ヤマザクラ)
植林帯にまた入り込む。ここから傾斜が増してカーブが多くなる。植林から覗く明るい雑木の中にヤマザクラが咲いているのが見えた。今回見た唯一ともいえる盛りの花だ。真下に行きたかったが、急斜面になっていたのであきらめた。
上から犬を先導させた二人連れが下りて来た。かなりの軽装なので、地元の方が散歩にでも来たような感じに見受けられる。今日は自分一人かなと思っていただけにびっくりした。
(また植林に入る。急になり、ジグザグの登りになって)
(稜線に出た)
(高低差もさほどになく気分良く歩ける)
カーブが蛇行状態になり、植林帯から抜け出すと、稜線に出た。右からコースが合流する。地図で確認すると、途中で小形山北部を通るコースが分岐するものの、基本は峯山、むすび山を経由して大月市内に至る。長い尾根歩きだから、さぞ気分が良いだろうと思ったが、下りで使われたぶなじろうさんの記録を改めて拝見すると、かなりやっかいな尾根歩きだったらしい。
これまでとは一変した明るく緩い稜線歩きになった。鳥のさえずりも聞こえのではと期待したが、それはなかったし、下を歩いている時に、この稜線を見上げ、あそこに上がりさえすれば富士山も見えるのではと思ったのも甘かった。富士山は山頂に出るまでついに見られなかった。
(烽火台跡)
(枝が錯綜して街並みはすっきり見えない)
烽火台跡。眼下には都留市の街並みが見えているはずだが、木立ですっきりしない。よくは知らないが、「烽火」とある以上は、ここから岩殿山城に烽火で敵勢の動向を知らせていたのだろう。
(高川山山頂)
(山頂から富嶽。せっかくのピーカンなのに「淡い」の一言)
(同じく)
(同じく)
(同じく。せいぜい、ズームの調整とカメラの向き変えしかできないのが残念)
数分で高川山山頂に着いた。山頂はさほどに広くはない。先客がいた。食事中らしき単独のオッサン。楽しみは後回しにし、オッサンに挨拶をして山頂を撮影。自分なりの手続きが済んでから富嶽に目を向ける。ウ~ン、なるほど、ここからの富士山もナカナカだ。しばらく眺めていた。
山頂には45分近くもいた。何かをしたわけでもなく、せいぜい菓子パンを食べただけで、ずっと富士山を眺めては写真を撮っていた。足利の山火事以来、山にはタバコを持ち歩くことは避けている。その間にオッサンは「お先に」と言って、自分が歩いて来た方向に下って行った。そのうちにオニイさんが登って来たのでオサラバとなったのだが、オニイさんが来なければもっといたかもしれない。
(これにておさらば。手前の枝に花が残っていたら、春霞も気にならなかったかも)
ここからの富嶽の景色には難点が二つあった。一つは、今日の高川山に限らないことだが春霞の存在。これは如何ともしがたく、予想はできなかった。冬の青空と違って、この時期はどうしても薄ぼんやりした背景になってしまう。最初は黄砂かと思ったほどだ。そしてもう一つは視界が限定されていること。文句のない風景が眼前に広がってはいるのだが、何せ山頂は広くはない。広ければ、あちこちに移動して多少は違った表情の富嶽を楽しめるが、ここからでは一方向からだけの固定された世界だ。せいぜい出来ることは、カメラのズームの調整くらいのもの。自分の歩いたコースで富嶽を拝めるスポットは、上り、下りともにこの高川山山頂でしかなかったことを考えれば、富士山を見るのを目的のメインとした場合、やはり、北西方向のコースを上りか下りにするべきだろう。高低差で下の街並みも変わっていく風景が加わった富嶽の姿を楽しめたかもしれない。決してここからの秀麗富嶽を否定するつもりはない。素晴らしい富士山を眺められたことは確かで、2月に行った小金沢山の印象が強く残り過ぎていた。
(いきなりのロープ場)
(ここを下った)
(しばらくこんなところを下る。別にロープにつかまるまでもない)
下りの方向には「古宿西コース」の手書き標識があった。オニイさんはそちらから登って来たので、コースの具合を尋ねると、「岩じみた急なところが多くて、下りでは使いたくない」とのことだった。確かに、いきなりのロープ場下りだった。ワークマンズックでは、岩が濡れていたら滑って危ないところだ。
(唯一のアカヤシオだかミツバツツジ。萎れかけているからどちらなのかよくわからない)
(のんびりと下る)
その後もロープが張られているところや急なところが続いたが、これが落ち着くと、上り使用のコースに比べて気分よく歩けた。ここも植林歩きはあるが、さほどに長い区間でもなく、全体としてカラッとしている。こちらも鳥の鳴き声はなく、ツツジやら花もまた乏しいところだ。せめて富士山が右手にかすかにでも見えていたら気分も違うだろうに。
下に林道のようなものが見え、標識のところに二人連れがいた。夫婦かと思うが、ダンナはマスクをして、カミさんは無防備のノーマスク。もっとも自分もノーマスクだが、夫婦者なら、普通は逆ではないのか。まして、カミさんの方はザックもなくダンナだけが担いでいる。標識を見ると、この林道は古宿コースになっている。つまり、帰路はここから林道歩きになるらしい。話をすると、夫婦はこのまま林道を行くようで、どこまで林道になっているのかは知らないが、いずれは自分の上ったコースに合流にするはずだ。やはり、道の駅に駐車して歩いて来たとのことだった。
(林道歩きになって)
(間もなく民家。右は590.4m三角点峰だろう)
地図を見れば、間もなく道が分岐する。直進すれば禾生駅に向かい、当初の予定通りに九鬼山に向かうことになる。左を選べばやがては道の駅に至る。高原地図を広げて時間を計算する。分岐から九鬼山の登山口の愛宕神社までは45分。先の九鬼山までの登りは1時間40分。自分には2時間の登りか…。九鬼山からの下りは最短コースを選べばいいだけだからどうでもいいが、まずは無理。途中で戻る可能性もある。以前の自分ならともかく、今の自分には重い。九鬼山は見送りだな。今度改めて御前山を含めて歩くことにしよう。そうでもしなければ、大月市の秀麗富嶽十二景も御前山だけが残ってしまうことになりかねない。
あっさりあきらめたはいいが、都留市までやって来て、高川山だけで終わりというのももどかしい。ここから近い十二景では岩殿山とお伊勢山がある。事前調べもなかったのでスマホを出して調べてみた。岩殿山は登山道があちこち崩れて通行止めになっているが、東側からなら山頂往復も一時間余りでできそうだ。その代わり、稚児落しだのの西側に下るには時間と距離的に無理。お伊勢山になると、どうも情況がはっきりしない。桜の時期がベストらしいが、山なのか公園なのかもとんとわからない。ただ、大神社というところに駐車場があるらしい。行けば何とかなるだろう。まずはお伊勢山に行き、帰りがけに岩殿山に行くということにしようか。この時点で勘違いをしていた。道路地図もろくに見ず、大月インターは岩殿山の東側にあると思っているから、順番として、西側の遠いお伊勢山を済ませてから岩殿山に登り、そのまま大月インターという順路がスムーズと思い込んでしまっていた。
林道歩きに復帰。民家が見えてきたのでスズは外したが、家が増えてはきても人の気配がまったくない。分岐を左に行くと、右手に590.4m三角点ピーク、左手に728m標高点ピークが見えてくる。やがて、往路で通過した道に合流した。
(リニアの車両基地が見えてくる)
(道路公団の石標。これが続く。初めて見た)
(九鬼山)
(道の駅に戻った)
車道歩きになって道の駅が近づく。正面に見える三角形の山はおそらく九鬼山だろう。ため息が出た。今度来た時には、あの尾根を伝って登ってみよう。
やたら暑くなっていた。車に戻ると、車載温度計は27℃を表示していた。水は半分になっている。車に置いてあったタバコを取り出して一服し、少し休憩後にエアコンをつけて大神社なるところに向かった。
(付録。スマホで撮ってみた)
【お伊勢山】
ナビを大神社があるらしきところにセットして向かったが、道の駅に来る際に通った道を戻る形になり、大月インターの前を通過すると、ここで初めて、自分がインター、お伊勢山、岩殿山の位置関係を滅茶苦茶に錯覚していたことに気づいた。これでは、岩殿山からどんどん離れて行く。岩殿山を先行すべきだった。お伊勢山の後に岩殿山に行くとなると、またインター前を通過してさらに先に行って、また戻ることになる。岩殿山はこの時点で終わりになった。
(大神社。鳥居と石灯籠だけ。右に階段のようなものがあり、これを行けば天照大神大神社に直結で行けるようだ。今、考えると、ここの大神社とは天照大神大神社のことを指すのだろう)
大神社はわかりづらかった。大きな門の石碑は見かけたが、その脇の狭い路地に車が入れるようには思えず、やり過ごして先に行くとさらにわからなくなり、また戻って、何とか路地に入り込むと、先に広い駐車場があった。鳥居と石灯籠があるだけの神社。敷地の一角には真木公民館の分館がある。
『五福参り』の案内板があった。根神神社(夫婦縁結)、天満宮(学問の神様)、天照大神大神社、愛宕神社(火伏神社)、そして真木山福正寺を加えたのがその「五福」らしい。そして、ようやくお伊勢山の情況がわかった。この神社と寺が続くエリア全体がお伊勢山で、愛宕神社の先に白簱史朗が選定した秀麗富嶽の景色を見られるスポットがあることも知った。ちなみに、ここの大神社は上真木大神社といって、五福には含まれていない。もっとも、社殿がないのでは話にならない(右に階段が登っていたので、あるいはそこに神社があったかもしれないが、確認はしていない)。
(標識に従う)
(あの家の庭先を通るのかと思ったが、道は脇をかすめて登って行く)
(根神神社)
(金精様。ここのは単純そのものだが、石工の性格、こだわりによっては、ヒダや血管を精巧に浮き出させている物もある)
大した距離でもないので、五福全部を回るつもりで、一旦、車道に出ると、五福参りの案内板がしっかりと置かれていた。これにしたがって歩けば愛宕神社に行けるだろう。
すでに富嶽は見えているが、民家や電線が邪魔になって撮れたものでない。道は民家が切れたところからこんなところをと思うようなところを登って行く。すぐに根神神社。ここは夫婦縁結ということだったが、確かにご立派なものが置かれていた。ただ、その相方をかたどったらしき物は目につかなかった。
(すでに花は飛ばされている)
(振り返って)
(もうヤエザクラしか残っていない)
(せっかく花を入れて撮ったのに、肝心の富嶽が薄くなりかけている)
「順路→」標識に合わせて行くと、根神神社の裏手から広い斜面になり、富士山がきれいに見えた。今はすでに花もすっかり落としているが、なるほど、ここの桜が上まで続き、富士山に趣向を加えるわけか。そんなことは知らずに来ているから、なんだ、それを知っていたら…ということになる。来るのが半月遅かったが、春霞もまた濃くなり、逆に、さらに淡い富嶽になってしまっている。斜面の公園状になっているのに、だれもいないのは、青葉になってしまった桜越しに富士山を見に来る酔狂な人はいないということだ。電球が続いている。おそらく夜桜祭りでもやるのだろうが、今年、去年とやったのだろうか。おかしなことを考えた。白熱電球はむき出しのままに続いている。雨でも降ったらどうするのだろう。おそらく、元電源は外しているのだろうが、電気を入れた瞬間に漏電ということもあり得る。まさか、葉桜になってしまってもライトを灯しているのだろうか。居残りの桜があるにはあるし。
(天満宮)
(ここは桜並木だったのだろうな)
次の天満宮にはなぜか二宮金次郎の石像があった。学問の神様だからの所以だろう。ただ、像のおかげで俗っぽくなっていることは否めない。富嶽は見え続けているが、どんどん霞んできていて、白っぽくなった青空に同化しつつある。ここで花を入れて撮ろうとしたが、どうもピントがずれてしまった。
(天照大神大神社)
(駐車地の鳥居に続いているようだ。富士山も、あれだよと言われないと気づかない状態になりつつある。)
三番目の天照大神大神社はさすがに神社らしくどっしりと構えている。社殿もまた新しい。別方向に坂と石灯籠が続いている。案内図板を見ると、駐車地の大神社から直接、ここまで来られるようだ。ここに「お伊勢山 200m先→」の看板があった。この山域をお伊勢山と思っていたが、どうもピークがあるようだ。よくわからない。
(だれもいず、しーんとしている。そういえば、ここもまた鳥の鳴き声は聞こえない。春ゼミくらいは鳴くのだろうか)
(愛宕神社)
(左に電球が続いている。正面のピークにまで行くわけではないが、あのピークからの富士山もきれいに見えるような気がする)
静けさの漂う樹林の中を少し行くと愛宕神社。ここにもお伊勢山150m先の看板。周囲は山景色ではあるが、下の集落から標高差で50mほどのものだ。真下の家は庭の様子がはっきり見えている。
(お伊勢山。奥のピークではなく、階段下がお伊勢山)
(大月市看板と富嶽神社)
(お伊勢山からの富嶽)
(アップで)
(ちょっと引いて)
150mほど歩いた先には階段があり、その階段先は墓地になっている。その階段下の平地にお伊勢山の標識が置かれている。ここはごちゃごちゃして賑やかなところだ。「秀麗富嶽神社」まで祀られている。富嶽の写真パネルが並び、白簱史朗の顕彰碑、…。で、ここからの富嶽の眺めはというと、集落がアクセントになってなかなかのものだが、時刻は12時40分だというのに、もう富嶽はかなり薄くなってしまっていて、シルエット状だ。ただ、ロケーションとしては、集落も見えているし、ここまでもそうだったが、時季を外さなければ花の山のようだから、確かに秀麗富嶽だろうし、朝の早い時間帯なら良い写真も撮れそうだ。
どんどん薄くなっていく富士山。これから岩殿山に行ったら、もう見えなくなっているかもしれないなと、体の良い理由を見つけられほっとして、階段を登って墓地に入る。
(墓地に上がるとこうなってしまう。ここに眠る故人たちはきれいな富士山を眺められて幸せだ。宗派も縁も関係なく、ここに墓を建立する人もいるのだろう)
ここの墓地はかなり広い。中には富士山のレリーフを置いているのもいくつかあった。ここは五福目の福正寺の墓地であることは確かだろう。ここからの富士山の眺めもいいが、写真を撮ると、つい墓石が入り込んでしまうのが難点だ。
(里に下りて来た)
(五福目の福正寺はカット)
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(駐車地の入口。狭いので、入る時はご注意を)
福正寺にも寄るつもりでいたが、標識を見かけはしたものの、その方向に寺らしきものは見えず、まして、里に下りてからだから、富嶽は期待できまいと、敢えて行かず、そのまま車道を下った。途中で見た標識には「親鸞聖人ゆかりの名刹」とはあった。
駐車地に戻った。気温は28℃を表示している。一時間も歩かなかったが、想像していたよりも楽しめたお伊勢山だった。もはやこれまでだ。時間は早いが帰途に就く。
お伊勢山は花が終わった後で、残念でしたね。
来年、お伊勢山から花咲山→岩殿山がお勧めです。
大月駅からバスでお伊勢山に行けば大月駅ゴールで歩けますよ。
しかも、疲れたら岩殿山はやめればいいので気が楽です。
そして、お伊勢山からの素晴らしい富士山を見るためには、お伊勢山スタートにするのは絶対です!
春は時間が遅くなると富士山が霞んでしますので。
明日は石和温泉近くの山に行って来ます。
ちょこっとバリルートなので、慎重に歩いてきます。
一人の気楽な歩きはやめられそうにありません
今回のお伊勢山はそもそも予定外だったため、ただ富嶽十二景リストにある山といったレベルでの認識しかなく、どんな山なのかもその場で知ったほどです。そのため、その先のことは何も想定せず、何となく、そのまま岩殿山にも行けるかなと思った程度のものです。
ただ、あくまでも高川山を登った後なので、そんな体力は残ってもいませんでした。
お伊勢山に行った時季は失敗したと思っています。桜の山ということもその場で知りましたから。いずれまた行く機会がありましたら、岩殿山まで含めて考えてみたいと思います。
ただ、私の場合、どうしても車利用になりますし、その先で電車はともかく、バス利用を考えると億劫になってしまいます。まして、大月駅周辺に手頃な駐車場もありませんからね。
今日は石和温泉ですか。なかなか精力的ですね。一人の気楽な歩きを好むのは私とて同様ですが、そのバリルート歩きは次第に縁遠くなってしまいました。これは気力の減退でしょうね。どうにかしなきゃと落ち込んではいますが。
春霞の高川山、お伊勢山、お疲れ様でした。
春霞でクッキリ感が乏しかったのは残念でした。せめて春の花でも写し込めればそれなりの風情になるのでしょうが。とは言え、高川山からの秀麗は自分としてはポイントの高いものです。たそがれさんが嫌う三ツ峠のアンテナも入りませんし。
余計な情報として、かつて富士山からスキーで滑ったのは5月末日でした。六合目位まで滑りました。なので、温暖化とはいえ、五月中旬位までは雪を被った姿が見えるのではないでしょうか。(でも霞んでしまいますかねぇ~。)
春霞はまったく計算外でした。上のkaoriさんのコメントで、この時季は時間が経つに連れて霞んでいくことを初めて知ったレベルです。
考えて見れば、今回、最初に出会った二人連れと犬一匹は、地元の人らしいので、そんなことは当然にわかっていて、早いとこ秀麗を見に行ったのでしょう。
5月いっぱいは何とか雪も持ちそうですか…。でも、こんなご時勢で大胆に遠出を繰り返すのも気が引けるし。一山くらいは行ってもとは思っていますが。
それにしても、お若い頃に富士山滑走ですか。三浦雄一郎みたいなことをしていたんですね。例のボルシチ山ですが、志賀草津道路も開通になったので行こうかなと思っているのですが、ボルシチ歩きになってしまったのでは意味もなく、せめてスキーでと思い、ほこりをかぶったスキーやらシールを出してみたはいいのですが、情報では雪は固くてボコボコのようで、これではとても手に負えないようだし、まして、骨折跡の足首に自信もない。さりとてボルシチ歩きも嫌だしと、いろいろ思案していますよ。