青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

ツィゴイネルワイゼン

2016-04-06 07:05:53 | 日記
『ツィゴイネルワイゼン』 (1980)は、監督・鈴木清順、脚本・田中陽造の日本映画。内田百の『サラサーテの盤』他、いくつかの短編小説を元にしている。
士官学校のドイツ語教授・中砂糺を原田芳雄、中砂の妻・園と芸者の小稲の二役を大谷直子、中砂の親友で士官学校のドイツ語教授・青地豊二郎を藤田敏八、青地の妻・周子を大楠道代が演じている。

《無頼な中砂(原田芳雄)と、紳士の青地(藤田敏八)。正反対に見える二人は無二の親友だ。

中砂が一人旅の道中で、猟師の女房の自殺騒ぎに巻き込まれた。
中砂は青地と合流する。宿で呼んだ芸者の小稲(大谷直子)は、自殺した弟の葬式の帰りだった。彼らは、小稲の弟の骨の色や男二人女一人の門付けの関係を語り合う。

中砂は山陰の名家の娘・園と結婚した。
青地は彼女が小稲と瓜二つであることに驚く。青地は園からの「私がどなたに似ているの」という問いに言葉を濁すが、中砂は「小稲という芸者だ」と事も無げに答えた。夫から田舎芸者と瓜二つと言われ、ショックを受けた園は引き攣った顔で蒟蒻を千切り続ける。

青地は中砂からサラサーテのツィゴイネルワイゼンを聴かされる。
このレコードはサラサーテの喋る言葉が入っている珍品だ。青地は中砂から言葉の聞き取りを頼まれるが、青地にも何を言っているのかはよく解らなかった。

中砂はその後も一人各地を流離い続け、小稲との関係を続ける。
中砂夫妻の間には娘が誕生した。中砂は親友である青地の名から一文字貰って‘豊子’と名付けた。一年後、園は夫から悪性のスペイン風邪をうつされて亡くなる。
暫くしてから青地が中砂家を訪ねると、小稲が豊子の乳母として応対した。

青地は入院中の義妹・妙子を見舞った。
その際、妙子から、周子が中砂と見舞いに訪れた時に中砂の眼球を舐めていたと聞かされる。

中砂は青地と二人で切通しを歩いている時に、青地に「僕が先に死んだら、骨を君にあげるよ。そのかわり、君が先に死んだらその骨を僕が貰う。」と囁く。

桜吹雪の日、中砂は麻酔薬遊びが原因で死んでしまった。
青地は医者に、遺体から肉と皮を除いて骨を取り出せないかと訊くが、強く拒絶される。

中砂の死から五年後、小稲は夜になると度々青地家を訪れ、中砂が貸したままの蔵書を返すよう求めだ。
小稲は毎晩決まった時間に目を覚ますと言う。その時に豊子が中砂と話し込んでいる姿を見るのだそうだ。二人は青地から何かを受け取る相談をしている。
それが、ツィゴイネルワイゼンのレコードではないかと考えた小稲は、青地に返却を求められるのだが、青地は借りた覚えが無い。
レコードは周子が隠し持っていた。しかし、周子は中砂との関係は否定する。

青地はレコードを返すために中砂家を訪ねる。
小稲は未だに中砂の不貞に苦しんでおり、彼の魂を繋ぎ止めておくために彼の遺したものを全て手元に置きたいのだと言う。そして、彼の血を継いだ豊子をわが身より可愛いと言うが、豊子の姿が見えないことに気付き取り乱す。

青地は中砂家からの帰り道に豊子と会う。
豊子は中砂が生前約束していたように青地の骨をくれと言う。青地は逃げるが、その先の波打ち際では豊子が白菊で飾った小舟と共に待っている。≫

ざらついたレコード音に始まり、汽車の中で弁当を食べる三人の門付け、女の水死体の股から這い出す蟹、玉蜀黍を貪る男、浜辺で殺し合う二人の芸人、波にもまれながら琵琶を奏でる女芸人、服毒自殺した青年の赤い骨、タラの子の話を繰り返す病人、腐りかけの水蜜桃、目玉を舐める女、縛られた男……コラージュのように組み合わされた映像は、日常の裂け目から滲み出る狂気を形成している。濃厚で甘い死の匂いだ。
食べる、飲む、口づけする、眼球を舐める、抱き合う…そんな貪欲な生をイメージさせる場面の直後に必ず付き纏う死のイメージ。狐の穴に落ちたら、もう後戻りできない。骨は肉より美しく、果物は腐りかけが一番美味しい。桃の皮を剥くとヌルッとしているけど、人間の皮を剥いでも同じ感じ。脊椎の中は糸こんにゃくに似ているそうだ。
全員が狂人で、悪人。中でも、紳士的な物腰の青地が最も性質が悪いと感じだ。藤田敏八が、心の底を見せないインテリを好演している。抑えた表情や声音から猥褻な匂いが漏れている。

本作には、男二人女一人の組み合わせが幾通りか出てくる。
中砂は女癖が悪い割には誘い方が雑で、どの女にも退屈しているようだ。青地も何れの女とも会話が噛み合わない。男と女は、語り合ったり抱き合ったりする割には、何も共有していないようだ。

その一方で、中砂と青地の距離は不自然なほど近い。
彼らが何故そんなに親しいのかはわからないが、骨のやり取りを約束する関係に何と名づければ良いのだろうか?

僕が先に死んだら、骨を君にあげるよ。
焼かない前の生の骨を。
そのかわり、だ。
君が先に死んだらその骨を僕が貰う。
綺麗な骸骨にして僕の書斎に飾っておいてやるよ。
嬉しいだろう?

小稲は、中砂の残したものを全て手元に置きたいと願うが、それらはすべて青地の元にあった。そして、豊子さえも父の元に青地を連れ去るために去ってしまう。

おじさんのお骨を頂戴。
何故そんなお顔をするの?
お父さんは元気よ。
おじさんこそ生きているって勘違いしているんだわ。
さあ、約束だからお骨を頂戴。
参りましょう。

青地はいつの間に死んでいたのだろう?
中砂と青地、そして豊子。この三人が窮極の組み合わせだ。本作は、青地が今わの際に視た毒々しい走馬燈なのかもしれない。
生と死、妄想と現実、狂気と正常、真実と嘘…あらゆる境界が曖昧で、その中で展開される摩訶不思議な人間模様。爛熟した映像美に酩酊するのが好きな人はハマれると思うが、物語に起承転結を求める人には不向きだろう。評価が両極に分かれる怪作である。
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