“忙しい公務をもつわたしが、こんなのんきな本を出したりすると、いかにも、本務をおろそかにして、わき道に熱中しているように誤解されそうである。しかし、これは、まったく業余の息ぬきであり、ひとさまがゴルフやマージャンを楽しみ、野球放送などに興じておられる時間を当てての、わたしなりのレクリエーションなのだから、このくらいのあそびは許していただけるだろう。
あとがきより”
久しぶりの図書館本。
最近、時間の配分がうまくいかず、読書に割く時間が激減している。書店で買ってきた本は積読のままだし、ましてや返却期限のある図書館を利用するなど、ちょっと荷が重い。資格取得の勉強などまさに三日坊主状態である。これではいけない。修正できるところから生活を立て直さなければ…。というわけで、久々に図書館に行ってみた。
そんなかたちで出会った佐藤達夫の『植物誌』。
『宝石の国』の市川春子のエッセイが収録されている。
作品そのものの興味深さと同じくらい、多忙な公務に合間に創作活動を続け、著作として形に残した佐藤達夫の生き方に感銘を受けた。
佐藤達夫は、1904年福岡生まれ。東京帝国大学法学部を卒業後、内務省に入省。32年に法制局に移る。戦後は日本国憲法の起草に携わり、法制局長官、国立国会図書館専門調査員を経て、62年人事院総裁に就任した。どう考えても激務極まりない。
佐藤は中学生の頃から野山で植物採集を続けていたが、戦後まもなく古本屋で川上嘉市の植物図譜を見つけ、これが機縁となって草木のスケッチも始めたのだという。
短歌雑誌『コスモス』に10年近くに渡り、植物の絵と文を連載。その中の102種類をまとめたのがこの『植物誌』である(絵は対部分新しいものと取り換え、文もだいぶ書き足しているそうだ)。
北原白秋の弟子で、牧野富太郎とも植物を通して縁があった。
長らく絶版だった本書は、牧野が朝ドラになった関係で復刊されたのだろうか。
3ヶ月ごと4章に分かれた構成で、順に読めば歳時記のように季節の移ろいを感じることが出来る。表紙以外はモノクロの絵だけど、それが何ともいえない品の良さなのだ。繊細で温かみのあるイラスト群は、本物の植物の特徴をよく捉えているが、そこに留まらず、自然そのものとは別種の美術的、技巧的な魅力を放っている。
扱っている植物は、佐藤が庭で育てたもの、次女の生け花のお下がり、東京近くの野や丘で採集してきたものなど、身近な草花が大部分である。その親しみやすさが佐藤の繊細かつ素朴な画風と相性がいいのである。佐藤の植物画は本書のものしか見たことがないので断言はできないが、彼の画風は華美な植物とはあまり合わない気がする。
花が美しく、葉の形は洒落ているのに無名な〈えいざんすみれ〉に「いかにも、内気で、森に隠れてばかりいるものだから、マスコミにもてはやされることもなく、いつまでたっても、ただのABC順で植物名彙のなかに埋もれている」と惜しみつつ慈愛を滲ませる。
お手伝いさんが若い頃に佐藤家の庭に植えるために取り寄せてくれた〈みつまた〉が、「今年あたり、50いくつも花の玉がついた」と記すことで、今ではいい母親になった彼女の人生も祝福する。
触ると蚯蚓腫れになって痛みが長く続く〈いらくさ〉について、「よっぽど造化の神さまのご機嫌のわるいときにできたものにちがいない」とユーモアたっぷりに締めくくる。
花色の外側より内側の方が派手で凝った模様の〈ほたるぶくろ〉を「せっかくの意匠も通りすがりにみただけではだれも気がつかない。結局それは、蛍たちのための室内装飾ということであるらしい」と花の名にかけて童話的に評する。
深山にひっそりと咲く植物や、人里にあっても取り沙汰されることの少ない植物に美を見出す繊細な感性が光るエッセイ群だ。
身近な植物を題材にしているので、私も知っている植物が多数あり、思い出を引き起こされて懐かしくも感じた。
一方で、都市開発などでとうの昔に身近な植物ではなくなった品種もある。
ページを捲るほどに、心が失われた古い時代の日常風景に対する哀惜の念でいっぱいになり、本書は一層味わい深いものになる。
この温かく美しい書が長らく世間から忘れられていたのは、忘れられていた期間の世情が本書の精神を必要としなかったからだろう。とすると、本書が復刊されたのは、この国にとって小さな吉兆の一つなのかもしれないと思ったりもした。
あとがきより”
久しぶりの図書館本。
最近、時間の配分がうまくいかず、読書に割く時間が激減している。書店で買ってきた本は積読のままだし、ましてや返却期限のある図書館を利用するなど、ちょっと荷が重い。資格取得の勉強などまさに三日坊主状態である。これではいけない。修正できるところから生活を立て直さなければ…。というわけで、久々に図書館に行ってみた。
そんなかたちで出会った佐藤達夫の『植物誌』。
『宝石の国』の市川春子のエッセイが収録されている。
作品そのものの興味深さと同じくらい、多忙な公務に合間に創作活動を続け、著作として形に残した佐藤達夫の生き方に感銘を受けた。
佐藤達夫は、1904年福岡生まれ。東京帝国大学法学部を卒業後、内務省に入省。32年に法制局に移る。戦後は日本国憲法の起草に携わり、法制局長官、国立国会図書館専門調査員を経て、62年人事院総裁に就任した。どう考えても激務極まりない。
佐藤は中学生の頃から野山で植物採集を続けていたが、戦後まもなく古本屋で川上嘉市の植物図譜を見つけ、これが機縁となって草木のスケッチも始めたのだという。
短歌雑誌『コスモス』に10年近くに渡り、植物の絵と文を連載。その中の102種類をまとめたのがこの『植物誌』である(絵は対部分新しいものと取り換え、文もだいぶ書き足しているそうだ)。
北原白秋の弟子で、牧野富太郎とも植物を通して縁があった。
長らく絶版だった本書は、牧野が朝ドラになった関係で復刊されたのだろうか。
3ヶ月ごと4章に分かれた構成で、順に読めば歳時記のように季節の移ろいを感じることが出来る。表紙以外はモノクロの絵だけど、それが何ともいえない品の良さなのだ。繊細で温かみのあるイラスト群は、本物の植物の特徴をよく捉えているが、そこに留まらず、自然そのものとは別種の美術的、技巧的な魅力を放っている。
扱っている植物は、佐藤が庭で育てたもの、次女の生け花のお下がり、東京近くの野や丘で採集してきたものなど、身近な草花が大部分である。その親しみやすさが佐藤の繊細かつ素朴な画風と相性がいいのである。佐藤の植物画は本書のものしか見たことがないので断言はできないが、彼の画風は華美な植物とはあまり合わない気がする。
花が美しく、葉の形は洒落ているのに無名な〈えいざんすみれ〉に「いかにも、内気で、森に隠れてばかりいるものだから、マスコミにもてはやされることもなく、いつまでたっても、ただのABC順で植物名彙のなかに埋もれている」と惜しみつつ慈愛を滲ませる。
お手伝いさんが若い頃に佐藤家の庭に植えるために取り寄せてくれた〈みつまた〉が、「今年あたり、50いくつも花の玉がついた」と記すことで、今ではいい母親になった彼女の人生も祝福する。
触ると蚯蚓腫れになって痛みが長く続く〈いらくさ〉について、「よっぽど造化の神さまのご機嫌のわるいときにできたものにちがいない」とユーモアたっぷりに締めくくる。
花色の外側より内側の方が派手で凝った模様の〈ほたるぶくろ〉を「せっかくの意匠も通りすがりにみただけではだれも気がつかない。結局それは、蛍たちのための室内装飾ということであるらしい」と花の名にかけて童話的に評する。
深山にひっそりと咲く植物や、人里にあっても取り沙汰されることの少ない植物に美を見出す繊細な感性が光るエッセイ群だ。
身近な植物を題材にしているので、私も知っている植物が多数あり、思い出を引き起こされて懐かしくも感じた。
一方で、都市開発などでとうの昔に身近な植物ではなくなった品種もある。
ページを捲るほどに、心が失われた古い時代の日常風景に対する哀惜の念でいっぱいになり、本書は一層味わい深いものになる。
この温かく美しい書が長らく世間から忘れられていたのは、忘れられていた期間の世情が本書の精神を必要としなかったからだろう。とすると、本書が復刊されたのは、この国にとって小さな吉兆の一つなのかもしれないと思ったりもした。
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