青い花

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園芸家12カ月

2016-04-25 07:09:17 | 日記
園芸の楽しいシーズンなので、カレル・チャペックの『園芸家12カ月』を読んでみた。
チャペックはチェコの国民的作家で、代表作は『ロボット』。我々の大好きなロボットという言葉は、チャペックと彼の兄ヨゼフが生み出したものである。画家で詩人のヨゼフは、この『園芸家12か月』の挿絵も担当している。

『園芸家12カ月』は、チャペック自身の体験を踏まえて、素人園芸家の生態を12か月に分けてユーモラスに描いている。
園芸書として役に立つ部分もないではないが、それ以上に素人園芸家の鼻息の粗さを笑いつつも愛でることに主眼が置かれているのである。「園芸が趣味」などと言うと穏やかな人柄と勘違いされがちだが、実のところ、園芸家の12カ月は相当にテンションが高い。本人が熱くなればなるほど、周囲からの視線が冷たくなるのはあらゆるジャンルのマニアに当てはまることなので、園芸に興味が無くても何か熱中するものを持っている人が読んだら共感できることが多いのではないだろうか。

天候の急変に心をかき乱される。園芸仲間に挿木苗を作ってくれろとせびる。苗を入手してから、既にわが庭に新たに植えるスペースが残っていないことに気がついて狼狽える。庭自慢をし過ぎて友人に呆れられる―――。この種の醜態は大抵の素人園芸家が経験することである。
素人園芸家の12カ月に、植物に関わる楽しみの無い日はない。手入れの無い冬はカタログを見ながら、春になったら何を植えるのかをあれこれ夢想するのだ。

例えば、今の月は四月。
これこそ、恵まれた園芸家の月だ。植物を見て楽しみたいだけの人になら、花の開く五月の方が良いのだろう。ところが、四月には草木が芽吹くのだ。シュートと、蕾と、芽は、自然界における最大の奇蹟だ。
そして、四月は発芽だけでなく、移植の月でもある。園芸家は現在手元にある植物だけでは満足できない。新たに入手した苗を何処に、どんなレイアウトで植えるかで狭い庭を右往左往するのは嬉しい悩みである。
また、四月は庭で園芸家の滑稽なダンスを目撃できる月でもある。苗とシャベルを手に、ぶつぶつ独り言を言いながら、花壇に植えた苗を踏まないように、ロシアの踊り子のように片足をあげ、爪先でバランスを取って宙に浮かんだり、大股開きで蝶々か鶺鴒のように軽く地面を歩いたり、一平方インチの場所に全身の重みをかけ、傾斜する物体のあらゆる法則を無視して平均を保ちながら、あらゆるものを避けて、あらゆるところに手を届かせる。そのうえ、家人の物笑いにならないように、ある程度の体面を保とうと努力する。それだけの努力をしても、踏んでしまうときは踏んでしまうし、転ぶときは転ぶ。そして、憫笑を受けてしまう。

『園芸家12カ月』は、素人園芸家の滑稽な生態を活写しつつも、植物のサイクルに触れることが個の生命の超越に繋がることも語っている。
たとえ、二坪でも三坪でも自分の土地を持ち、そこに何かしら植物を植えている人は、確かに保守的になる。そういう人間は、数千年来の自然法則を頼りにしているからだ。どんな革命も、戦争も、主義も、その前では無力だ。

“よく聞きたまえ、死などというものは、けっして存在しないのだ。眠りさえも存在しないのだ。わたしたちはただ、一つの季節から他の季節に育つだけだ。わたしたちは人生をあせってはならないのだ。人生は永遠なのだから。”

植物を、そして土を通して、永遠に触れる。
チャペックがこの本を執筆していたのは、1929年頃とされている。1918年に第一次世界大戦が終わって、チェコは独立を果たした。資本主義が発達するにつれて階級闘争が激しくなり、文学の方面でもプロレタリア文学が圧倒的にチェコを支配していた。チャペックも資本主義と軍国主義を批判しているが、彼自身はプロレタリア作家ではなかった。1933年にはナチス・ドイツが台頭し、1939年にはナチス・ドイツによってチェコスロバキアは解体された。
その動乱の世の中で、チャペックの園芸熱が衰えることはなかった。この一見暢気で滑稽な作品をチャペックがどんな気持ちで執筆していたのか…。社会問題に人一倍関心の高かったチャペックが、世情の影響を微塵も感じさせないこの作品を書き上げたことには驚きを禁じ得ない。その超然とした態度は何に由来するものなのだろうか?
世界が、個人の運命が抗うことの出来ない暴力によって捻じ曲げられる中で、チャペックは未来を信じていた。平穏な時期と変わらず、土を作り、害虫や雑草と格闘し、植物の生長を楽しみにしていた。来年の薔薇はもっと綺麗に咲くだろう。10年経ったらこの小さな唐檜が一本の木になるだろう。50年後にはこのシラカンバがどんなふうになるか、見たい。本物、肝心なものは未来にある。
自然という人知を超えたものに身を委ねていると、今がどんなに悲惨でも明けない夜は無いということを信じることが出来る。たとえ、その夜明けに自分の命が無かったとしても、自分の何かが未来に繋がるということを確信できる。
1939年3月15日、ドイツがプラハを占領した際に、ゲシュタポはチャペックを逮捕するためにチャペックの自宅に乗り込んだが、前年の12月に既に彼は死亡していた。嵐で荒れた庭の手入れをしたことが原因で風邪をひき、肺炎を拗らせたのだ。園芸の大好きだった彼が、それが元で命を落とし、寸でのところでナチスに捕まらずに済んだ。まるで、何か大きな存在に守られたかのようだ。しかし、兄のヨゼフは、強制収容所で死亡している。
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