青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

顔面考

2015-04-07 07:12:19 | 日記
春日武彦著『顔面考』

どれほど端正かつ上品であろうと、顔には常にいかがわしさがつきまとう――精神科医でもある著者が、観相学、狂気、奇形、整形、美醜など様々な観点から〈顔〉とは何かという考察を進めていく。

第一章では「狂気の顔」についての考察がなされている。
ソンディテストとよばれる心理検査がある。精神障碍者の顔写真を見せて、それぞれの顔写真に対して生じる反発や共感から被験者の心の奥底を推量しようという、何だか胡散臭い検査なのだが、本書には検査に使用された顔写真が幾枚か載せられている。まだ人権意識が根付いていない時代の、悲惨な最期を迎えたに違いない精神障碍者の顔写真の数々にはうろたえてしまう。
また、漫画における「狂気の顔」がかなり力をいれて紹介されているのだが、私にはこれが精神障碍者の顔写真以上にきつかった。いくつかの画には、その上手さ故に吐き気を覚えた。精神障碍者の顔写真では認められなかったステレオタイプな「狂気の顔」のオンパレードなのだ。「刃物系」「高笑い系」「手踊り系」「眼球上転型」「思考停止系」「ヨダレ系」「薄笑い系」「ベロ出し系」「三白眼系」と、容易に分類できるあたりが漫画だなぁと妙に感心してしまう。
精神障碍者の顔写真と漫画の「狂気の顔」を並べると、現実には「狂気の顔貌が持つ普遍性」「表情へ示された狂気の兆候」などは存在しないことがわかる。狂気のステレオタイプとは一種の記号に過ぎないのである。
第二章は、延々と観相術に関する考察が続くのだが、このジャンルに関心の無い私は読みながら何度も寝てしまいそうになった。ロンブローゾが出てきたあたりで、長い長い観相術の話はここに辿り着くためのものだったのかと、ようやく目がさめた。
生来性犯罪者とは、隔世遺伝のために進化のベクトルが逆方向をむき、「原始時代の野蛮な血の持ち主」となって現代に生まれついてしまった人々のことである。野蛮人なのであるから、外見的に常人とは異なっている。つまり犯罪者には、独特の容貌があり、それを見分けることは可能である…というのがロンブローゾの持論である。ロンブローゾが何人の犯罪者の人相を観察したのかは知らないが、ネットで容易に犯罪者の顔写真が閲覧できる現在、彼の説は、当てはまる人もいればそうでない人もいるという程度にすぎない、というのが正直な感想だ。
観相術など実際のところは顔に纏わる感想でしかない。にも拘らず、この科学的根拠がまるで無いトンデモ理論になぜ多くの人々が魅了されるのか。そこに、顔をめぐる好奇のいかがわしさがあるのだろう。
第三章では、カプグラ症候群、フレゴリの錯覚、ドッペルゲンガーの症例が挙げられている。個人的には、本書で最も興味深かった章だ。実在の患者によるSF的妄想の果てしなさが、失礼ながら面白過ぎるのだ。〈顔〉は、妄想の領域との親和性が強い。
親密な人間の顔からありもしない差異を察知し、顔はそっくりだが全くの別人とすり変った替え玉であると信ずる妄想が、カプグラ症候群である。その反対に、自分を取り巻く人々が、擦れ違うだけの通行人も含めて実は同一人物の変装で、入れ代わり立ち代わり自分の前に登場していると信ずる、フレゴリの錯覚という病状もある。恐怖漫画でおなじみのドッペルゲンガーも出てくる。いずれもSFじみた突拍子もない妄想であるが、患者にとっては禍々しい現実なのである。
偶然を越えた顔の酷似には、不安を覚える。そこには陰謀や奸計が隠されているような気がする。生き写しの顔に出会った時、そこに生ずる感情は、滑稽さ、不気味さ、珍しさ、訝しさなど、様々である。多彩な気持ちを引き起こされ、平静ではいられなくなるのだ。
第四章は、「醜い顔」に翻弄される人間の感情についてである。余程無神経な人でない限り、人は他人の顔に対して「醜い」とは言えない。心の中で思うことすら恥じてしまう。居心地の悪さと目のやり場のない気分を感じるに違いないのだ。純粋に「醜い」という感想を抱かせない無言の圧力が〈顔〉にはある。
第五章は〈顔〉そのものの考察からやや離れているだろう。「顔面拷問ビデオ」にはヘルレイザー的なモノを想像したのだが、その内容の幼稚さと強気の価格設定には呆れてしまった。意外性も真摯さも無い、タイトル負けにも程がある作品なのだ。納得のいかない著者はわざわざSMライターに意見を伺っているのだが、「顔面拷問ビデオ」はどうやら「下手な鉄砲も数撃てば的発想」のもとに製作されたまことに志の低い作品であるらしいのだ。そんな作品でもうっかり購入してしまう人がいるのは、〈顔〉の持つポテンシャルに期待してしまうからなのだろう。

〈顔〉はいくらでも変形し、損壊され、悪趣味の対象とされ得る儚い存在だ。〈顔〉にはあらゆる物語と結び付く許容力と普遍性があると思える一方で、実は何の意味も持たない肉と皮に過ぎないのではないかという気もする。どれだけ論を尽くしても曖昧な感想しか得られないにも関わらず、語らずにはいられない。その強烈な実在感こそが〈顔〉の持ついかがわしさの所以なのかもしれない。
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