青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

さみしくなったら名前を呼んで

2015-04-29 07:04:37 | 日記
山内マリコ著『さみしくなったら名前を呼んで』は、ブス、年上の彼氏にすがる女子高生、田舎生まれの都会の女、踊る14歳、孤高のギャル、謎めいた夫妻、マイルドヤンキーになれなかった女など、滑稽なまでに律儀に生きる人々のさみしさに寄り添う11篇からなる短編集。
『ここは退屈迎えに来て』や『アズミ・ハルコは行方不明』と同様、中途半端な地方都市で閉塞感に喘ぐ若い女性の視点から描かれている。成長過程にある人を描いているので、作中にはまだこれといった救いは提示されていないのだけど、人間のみっともなさを突き放さず肯定的に捉えているので、読後感はほのかに温かい。

もしまた誰かと恋をすることがあっても、彼とはじめて出会ったあの夜みたいに、誰かと完全に心を通わせて、人目も憚らず抱き合って泣き、キスするなんてことは、二度と起こらないんだと。ああいう瞬間は、人生に一度きりなんだと。……『さよちゃんはブスなんかじゃないよ。』より

年を取るって、なんて悲しいことだろう。懐かしいことがたくさんあるって、なんて胸が痛いことだろう。あたしはこの先、どんどん鈍感になって、図太くなって、何を見ても心がぴくりとも動かない、石のような老人になりたいと思った。……『昔の話を聴かせてよ』

「大丈夫だよ。マユコ。いまに嫌いだなって思ってる人たちが、そのうちみんな、一人残らず周りから消えて、むしろ恋しくなる日が来るんだがら。ほんとだよ」……『走っても走ってもあたしまだ十四歳』より

とにかくもうちょっと、時間が必要なのだ。自分にはなにが出来て、なにが向いていて、なにをするために生まれてきたのかを、ひと通り試してみる時間が。そういう試みは、もう若くないと思えるようになるまで、つづけなくちゃいけない。へとへとに疲れて、飽き飽きして、自分の中の無尽蔵に思えたエネルギーが、実はただ若かっただけだってことに気がつくまで、やってみなくちゃいけない。身の丈を知り、何度も何度も不安な夜をくぐり抜け、もうなにもしたくないと、心の底から思えるようになるまで。……『遊びの時間はすぐ終わる』より

実際のところ人間は、特に女性は、あっという間に若さを失ってしまうのだけど、孤独や閉塞感からは、そうそう解放されるものではない。半径2キロの世界で生きている主婦にも、それなりの不如意はある。さみしさや侘しさを感じる心のひだが全部なくなるなんて日は、多分一生来ない。サブカルを齧ったり、アホみたいに洋服を買い漁ったりして“特別な私”を模索していた頃を笑って振り返ることが出来るようになっても、やはりそこにはチクリとした痛みが伴う。生きるって、そんな日々の連続なのだ。
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