青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

断捨離

2015-04-24 07:08:37 | 日記
4月4日に『健康の秘訣』というタイトルのブログ記事を載せたのですが、その中で主人の実家がメチャメチャ散らかっているという話をしました。あのあと「あれ?お義母さんのこと、批判しちゃったかな?」とちょっぴり考えてしまったのですが…。

義母は良い人なのですよ。一緒にいて肩のこらない人です。それに、親が神経質だと子供の気持ちが休まらないので、ピリピリしているくらいなら、大雑把な方が良いと思います。義母の家が片付かない一因は、彼女の情の濃さにあるのだと思います。まぁ、モノグサということもありましょうが…。義母は思い出を大切にする人なのですよ。子供たちの作った工作、親戚や友人から貰ったお土産、亡き義父のスーツや靴…義母の家はそんな思い出の品で溢れ返っています。義母宅は田舎なので土地が広く、庭の片隅にでっかい倉庫があるのですが、それでも足らなくて母屋の一室が荷物部屋になっております。そこから、主人が幼稚園の頃に使っていたクーピーやスケッチブックを取り出して娘に使わせてくれます。何処に何があるのか把握しているのがすごいです。主人の文房具を使っている娘の姿の向こうに、幼い主人の姿が見えるようで温かな気持ちになります。もうちょっと片づけられないかなぁと思いつつも、物を捨てるということは、思い出を捨てるということでもあるのだなと思うと、もう若くはない義母にそれを要求するのは酷な気がしますね。

翻って、私の実家はというと、思い出の品が殆どありません。要らない物が殆ど無くてガラ~ンと殺風景な家です。現在両親が住んでいる家は、父が定年後に建てた家なので、私自身は家屋に馴染みが無いのです。そこへ持って思い出の品も無いのですから、帰省しても実家に帰ったという気がせず、他人様の家に滞在させて戴いているような妙な緊張感がありますね。ピリピリした空気に気圧されて疲れるのです。
家に物が少ないのは、父が転勤族で、常日頃から引っ越しに備えた生活をしていたからというのもありますが、母が生来片付かないのが嫌いな性格だからというのが主な要因だと思います。父の愛読書だろうが私の学用品だろうが、出しっぱなしにしていると容赦無くグチャグチャにして捨ててしまうのですよね。凄まじい憤怒を感じます(笑)。私の卒業アルバムや文集の類もとってありません。父が学生時代に取った空手の黒帯もいつの間にか捨てられていました。そんなのとっておいたって何の役にも立ちませんしね。思い出でお腹が膨れるわけでもないし…。わかりますよ。でもね、断捨離もここに極まれりで、ちょっと寂しい…。部屋を見たら住人の心がわかると言いますけど、まぁ、そういう一家なんですね。

断捨離という言葉が定着して久しいですね。片づけの苦手な人が多いせいか、物を捨てることの良い側面ばかりがクローズアップされ過ぎているような気がします。あの母の娘だけあって、私自身も捨てるのに躊躇いの少ない方ですし、その経済効果も実感しております。捨てるのなんて簡単ですよ。二年使っていない物は、一生使わないですから。特に洋服は生地の劣化や流行がありますから、溜め込んでおく理由がありません。防虫剤の無駄です。必要になった物は、また買えばよいのです。その方が収納スペースを確保したり、収納グッズを買うより経済的です。でも、せっかく自分の家族を得たのだから、用を成さない物の中に潜んでいる温かな気持ちをもう少し大切にしてみたいなぁとも思いますけどね。
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