六枚目のコイン

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上求菩提下化衆生

2019年01月14日 13時46分57秒 | つぶやき
(自利と他利)
自分の利益と他人の利益ということですが、
これを普段実行できる人は、大人(たいじん)ですね。

では、
反対にそれができない人は?
自分勝手な人だと言われるでしょうね。
エゴイスト!または自己中心!

でも最近は、それが半ば当たり前のような世間になりましたけども・・・。
自分の都合を最優先するのは、もう半ば当然である。
しかし,
それでは人間としての品格もなくなるし、嫌われるでしょうね。
表では、金持ちに対して良い顔をしていても、裏ではさんざん悪口を言われる。

キリスト教社会では、ボランティアとか奉仕活動とか、または寄付とか言われるでしょう?
成功の裏には必ず施しや社会的貢献を伴うのだという了解。

仏教の中の密教に、『上求菩提下化衆生』という言葉があります。
「上求菩提」というのは、上に向かっては悟りを求めるということ。
悟りを求めることを上に向かうと言っているのですね。
そして、
「下化衆生」は、下に向かっては衆生を教化するという意味です。
これは上に対する下の意味と、
衆生というものは下の位置に属するということですね。
凡夫です、凡俗です。
聖なるものは上なるものですね。

差別の意味で言ってるんではないんですよ。

以前は、上求菩提という文と、下化衆生という文は、別物だと解釈していました。
ですが、これはセットだとういんですね。
上に向かって悟りを得ようとするならば、下に向かっては衆生を教化するんだと。
教化とは、人々を教え導くということ。
人々を救うということです。お世話をすることだって救うということです。
助けると解釈してもかまいません。そのほうが正解でしょう。

菩提を求めるならば、人を助け導くという行為が必要なんだということ。
それによって、人々を救うという徳を持つことになるわけです。
その人々を救うという行為から生まれる「徳」が発生するわけです。
その徳が悟りに向かわせる力となって、お前は成仏できるのだぞという眞理ですね。

悟りを求めるという行為自体は素晴らしいことです。
しかし、それは反面、自分の利益ですよ。
自分の幸せになりたいという自己救済の利益です。
自分を救いたかったら、まず他人を幸せにすることから始めよという。
そうしなければ、
お前は幸せになるための力を作ることができないのだと。

この世の中はフィフティフィフティなんですね。
マイナスとプラスは合計ゼロです。
なんというバランスの取れた世界であることでしょう。

私たちは、得ることだけを考えるのは正しくないのですね。
得るときには、同時に与えることを考える。
与えると同時に、次の幸福になる自分が見えてくる。
これは真実です!

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