最近、宗教家と勘違いされている方が居られます。
確かに、親鸞聖人や、円仁(自覚大師)に関する研究書ばかり読んでいるからかも、
しかし、それは、郷土史に対する興味から来ていることなのです。
はじめに、親鸞聖人が、上越に流された後、北関東で教えを広められた事。
その時に、建立された寺院が旧二宮町にあると言う事。(高田山専修寺)
親鸞聖人の師である「法然上人」の尊敬していたと言われる「円仁」(延暦寺第3代座主 自覚大師)が壬生町または、岩舟町出身だと言う事。
そんな事から、興味が湧いてきました。
しかし、壬生町から比叡山まで相当な距離です。
しかも、遣唐使として唐に渡り9年間留学生活を送ったなんて、、、、。
世界3代旅行記の一つ、「入唐救法巡礼行記」の作者でもあります。
しかし、壬生と言う地は特色のある地域です。
円仁もそうですが、
地名からして、京都と関連がありそうです。
戊辰戦争の時壬生藩は、官軍側に着きました。
蘭学者も多数出ていて、幕末から明治にかけて活躍した知識人も出ています。
ある有名な日本一の広域暴力団の組長さんもこの町出身でした。
最近では、AKB48の主力メンバーにもこの町出身の子がいます。
確かに、親鸞聖人や、円仁(自覚大師)に関する研究書ばかり読んでいるからかも、
しかし、それは、郷土史に対する興味から来ていることなのです。
はじめに、親鸞聖人が、上越に流された後、北関東で教えを広められた事。
その時に、建立された寺院が旧二宮町にあると言う事。(高田山専修寺)
親鸞聖人の師である「法然上人」の尊敬していたと言われる「円仁」(延暦寺第3代座主 自覚大師)が壬生町または、岩舟町出身だと言う事。
そんな事から、興味が湧いてきました。
しかし、壬生町から比叡山まで相当な距離です。
しかも、遣唐使として唐に渡り9年間留学生活を送ったなんて、、、、。
世界3代旅行記の一つ、「入唐救法巡礼行記」の作者でもあります。
しかし、壬生と言う地は特色のある地域です。
円仁もそうですが、
地名からして、京都と関連がありそうです。
戊辰戦争の時壬生藩は、官軍側に着きました。
蘭学者も多数出ていて、幕末から明治にかけて活躍した知識人も出ています。
ある有名な日本一の広域暴力団の組長さんもこの町出身でした。
最近では、AKB48の主力メンバーにもこの町出身の子がいます。
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