知行合一

思っていることを書き留めたい。
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ブーツ購入しました。

2014-02-19 18:24:24 | ハスクバーナ
とうとう、ついに、ブーツ購入しました。
消費税上がる前に、ということで決心しました。
オフロード用ブーツ購入は初めてです。
ロード用は、今までクシタニとか、名前の分からないメーカーなど購入経験がありました。
3年前ぐらいには、ソアーのショートブーツを購入して気に入っていたのですが、
昨年、11月に立ちゴケしてすねを負傷して以来、ひざ下までのブーツがほしかったのです。

今回購入したのは、アルパインスターズの一番安いオフロードブーツ、TECH3です。
サイズは、ソアーが8で丁度よかったのですが、アルパインスターズは、横幅がせまいということで
ワンサイズ大きい9にしました。
足を入れると、縦は余裕がありますが、確かに横幅はぴったりです。
8にしなくて、良かったかもしれません。

履き心地は、こんなにというか、まったく、うわさ道理、足首が固定され動きません。
オフブーツってこんなもんなんでしょうね?
慣れるまで、しばらくかかりそうです。

今回は、ブーツのほかに、グローブを2点購入しました。
1点は、夏用にメッシュ+プロテクター付きグローブ しかも、ブーツと同色のワンポイント付き
もう1点は、季節の間用グローブ、春から夏の間用、保温効果はないけど風は通さないというやつ。

グローブ2点は処分品なので半額でした。

購入店は、ラフ&ロードのネットショップです。

看護師も人の子です

2014-02-15 13:02:37 | 病気
先日、入院していた救急救命センターでのことですが、
その部屋は、ナースコールするまでもなく、一言「すいません」と
声をかければ、看護師さんがすぐに来てくれます。
私の隣のおじいさん、看護師さんを呼んでは「今すぐに家に帰りたい」
「いつまで、ここに寝てればいいんだ」
などと、病状に関係ないことで呼びます。
最悪は、夜中に看護師さんを呼んでは、この調子。
しかも、耳が遠いのか大声で話す。
最後には、看護師さんに「夜中で、みなさんお休みなんですから、小さい声でお願いします」
と注意されました。
その後は、看護師さんを呼んでもなかなか来てくれなくなりました。
翌朝、看護師さんが夜勤から、昼間の看護師さんに交代すると、昼間の看護師さんに昨夜の
ことを言いつけていました。
「夜の看護師さんは、呼んでも来てくれない。看護師失格だ。」

もう一人の、患者さん、年は40代でしょうか?
1時間に1回は「すいません」と呼びます。
どうも、じっと寝ていられないらしく、年中体を動かすので、心電図の
端子や、酸素測定用の指先についているセンサーがはずれるらしいです。
排便、排尿も看護師さんの介助が必要みたいなので、頻繁に呼びます。

看護師さんも、ほかに多くの重篤な患者さんいるのにこの2人にばかり手をかけていられません。

翌日の昼間、すぐに他の病室に移動して行きました。
私も、その日の午後2時30分に、6階内科病棟に移動となりました。

しかし、後日請求書を見てびっくり、
緊急救命センターに2日間の入院で8万円以上の請求でした。

訃報

2014-02-13 18:50:46 | お世話になった方々。
私が、退院した日に中学時代の恩師が亡くなりました。
私が退院したのが、午前9時、
恩師が亡くなられたのが、午前7時58分ごろとのことでした。
この年になると、おめでたい事で呼ばれる事が減ります。
胆道がんから、肝臓がんになられたとのこと、ここ2年ぐらいは入退院を繰り返しておられたということでした。

私の担任をしていただいた時は、まだ28歳の体の大きいお兄さんという感じでした。
その後、教頭先生を3年間、校長先生を6年間(2校で)経験されたということでした。
一番心に残る担任の先生でした。
何しろ、中学3年の時ですし、進路指導などお世話になりました。

私は、一番近い中学(家から2キロ)ではなく、家から5キロ離れた中学に通学していました。
もちろん自転車通学でした。
中三の秋、写真部だった私は文化祭と、県の芸術祭に出す写真の焼き付けで下校時刻が8時近くになってしまいました、
分かっていたのですが、面倒なので歩道橋を渡らず、車と同じようにバイパスを横断してしまいました、そこを担任の
先生に見つかり、翌日から自転車通学1週間停止になってしまいました。
徒歩では、1時間以上通学にかかって仕舞う為、学校近くの神社まで自転車で来て、自転車を神社に隠し、そこから徒歩
で通学する行動にでました。
4~5日はうまくいったのですが、神社近くで野良作業している農家の方が、中学の通学ラベルが貼ってある自転車が放置されていると
学校に連絡。
またもや、自転車通学停止。
さらに2週間。
高校受験を控えているしということで、担任の先生の自動車での送り迎えが始まりました。

そんな、思い出のある先生でした。
曲がったことの、大嫌いな、正義感あふれる、熱血先生でした。

告別式には、同級生が4人来ていました。
クラス会を開き、先生の思い出を語ろうという運びになりました。

あまりにも、悲しすぎます。

2014-02-04 15:01:53 | 病気
私の入院していた病室は、救急救命センターでした。
ここは、重篤な患者さん専用で24時間完全介護、監視下に置かれていました。
ここで、2晩過ごしたわけですが、
至れりつくせりの看護が受けられます。
歯磨き、洗顔までも、看護師さんにしていただけます。

午後9時ごろ病院を訪れたのですが、血液検査、単純CT、造影剤投与によるCT、レントゲン、動脈からの採血、
結局入院できたのは、深夜1時過ぎでした。
容体が急変した患者さんが出たことで、入院が遅れたとのことでした。
付き添いで来ていた妻が、病院を後にしたのは午前2時過ぎでした。

2日目の夕方、5時過ぎ。
面会に来ていた1家族が帰ってゆきました。
カーテンで仕切られたいますが、カーテンの下から子供の靴が見えました。
楽しそうに、家族、兄弟と語らいながら、帰ってゆく姿が思い浮かびました。
お隣のおばあちゃんも、相当悪いらしく、家族がいるときは元気なのですが、お帰りになった後は、自発呼吸もよわいようです。
妻がやってきたのは、仕事の関係で7時ごろ、8時が面会終了なので8時に帰ってゆきました。

その後、うとうと寝入ってしまいました。
看護婦さんの電話で目が覚めました。
患者さんのご家族に電話しています。
「心拍が弱っています、何分ぐらいで病院にこられますか?」
という内容でした。
ご家族は、30分ぐらいと答えたようでした。
5分ぐらいして、看護婦さん声
「あ、、、止まっちゃった」
ご臨終のようです。

誰なんだろう?
おばあちゃん、悪そうだったから、娘さんが、都内からお見舞いに来ていたらしいし。
ご家族がやってきました、
「ママ」
「ママ、お目目開けて」
「起きてよ」
「あんなに元気だったのに」
「ママ、ママ」
「一緒に、ディズニーランド、約束してたのに、ママ、ママ」
看護婦さんが、人工呼吸器をはずしたようです。
「はずさないで、ママ、ママ、」
「ママは寝入るだけなんだから」
後は、覚えてません。
というか、聞いていられなかったので、布団をかぶって耳をふさいでいました。

お父さんが、
「ママは頑張ったんだから、楽にしてあげようね」
って、慰めていました。

先週の火曜のことでしたが、
あまりに、悲しすぎます。
まだ、お子さんは、幼稚園生と小学生、3人兄弟だと思われます。
残して逝く側も、残された家族も、心残りだったことと思います。

つくずく、人間1人で生きているわけではない。
悲しむ家族の、お姿を思い浮かべました。
人生観を新たにいたしました。

やっと解放されました。

2014-02-03 08:57:57 | 病気
1月20日の夜間から、昨日2月2日の昨日まで監禁状態でした。
20日の夜、
腕に2本針を刺され、心臓近辺には電極を3か所つけられ、
左中指に体内酸素量のセンサーを付けられ、
尿道にも、シリコンチューブを差し込まれて、
24時間監視体制化に置かれていました。
食事も、10日間取らせてもらませんでした。

実は、またまた、膵炎が再発してしまいました。
今回で3度目の入院でした。

最初、入院を断れていたのですが、容体が悪かったのでしょうか?
緊急救命センターへの入院となりました。
そこは、ナースセンターにベッドが置かれている感じでした。
そこに2日半入院、その後6階にある内科の消化器病棟に入院となりました。
車いすでの移動しか許されずにいました。

バルーンは、21日朝から25日夕方まで、
モニターは、20日夜間から24日まで、
点滴は、20日夜間から、31日まで、
食事は、30日からおもゆでスタートしました。

毎日毎日、救急車がひっきりなしにやってきます。
入院中にも、ドクターヘリが3機はやってきました。

体重も、10キロ落ちましたが、また少し回復してきました。

掲示板

http://jbbs.livedoor.jp/sports/12312/caddis.html#10