玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

美しい心・・

2012-08-03 11:59:11 | 左様出尾蛇瑠
作家の童門冬二、「日本人の美しい心」シリーズ(七四)-渋沢栄一(十三)、「協同組合の精神」が新宿、花園神社社報、第211号に寄稿されていて、その一部を引用しまとめると

「一大名になった徳川家」の段。当時パリ万博から帰国した渋沢栄一が、戊辰戦争の後に駿府に移った徳川慶喜の財政責任者を務めていときの話。

「政府から藩に金が来る」 という話が静岡市内で野宿している旧幕臣たちの耳にはいり、喜んだ幕臣たちは合議の上、「藩当局に交渉して、その金をわけてもらおう」ということになった。

徳川家は、将軍職を朝廷に返納し、一大名として駿府を本拠地とすることをみとめられていた(七十万石)。新政府の役人は、「徳川家を存続させるなら、駿府に城を構えさせるのがいいだろう。」という徳川家に対する精一杯の皮肉な処遇だったのである。

駿府にやってきた旧幕臣たちは、新政府の気受けをよくしようといろいろ策を練る。地域に「賤」(しず。いやしいという意味)の字がつく岡があったので、「今後駿府を賤岡(しずおか)という地名変更しよう、その方が新政府の覚えもめでたい」などといいだした。同調者もいて、それがいいということになったが、賤という字はあまりに卑下しすぎるということで「静」にあらため、「静岡」という地名になった。という話が残っているというのだ。

さて旧幕臣たちは、「金をおれたちに分けろ」と財政責任者の渋沢栄一につめよる。そこで渋沢は旧幕臣(失業者たち)に、「金は政府からの借金で、十三年かかって利子元本をふくめて返すものだから、おまえたちには渡せない。」「何に使うんだ!」「お前たちを救うためだ。」といってバリで学んだ「協同精神の話をしてきかせる。」

「お互いの利益を守るためには、それぞれが少しずつ犠牲になりながら、お互いを助け合うことだ。」

渋沢は、協同事業により借金返済を説き、フランスで学んだ株式会社制度を実践するため商法会所を設立する。

・・

静岡の地名由来が面白い。まさに敗戦後にアメリカ軍に同様の賤下をしめして、覚えめでたくお代官になりすました政治家の原点ともいえる、情けない日本人の話である。

いくら隷属国になり下がったとはいえ、賤下は国を守るために命をささげた英霊への冒涜でもある。

失われた「日本人の美しい心」を、どうとりもどしていくのか? それが、問われる「8・15」をまた迎える。