3月12日から18日の日程で會津稽古堂において、「悠久の稜線 飯豊連峰 写真展」が開催されています。主催は飯豊の山の案内人の会で、17日(日)の14:00からは写真を撮られた物江章さんのDVD上映と講演会もあります。私も12日に観てきましたが、どうぞ、素晴らしい飯豊の魅力を写真から感じていただきたいと思います。まさし※写真は昔、私が飯豊に登ったときに撮った剣ヶ峰付近の写真です。
3月9日、イベント「鶴ヶ城プロジェクションマッピング「はるか」」を開催され、観に行ってきましたが、会津にこれほどの人がいたのか?と思うくらい鶴ヶ城は人、人、人で賑わっていました。もちろん本丸には入れませんでしたが、帯郭からその雰囲気だけ味わって帰りました。後ほどNHKの震災特集番組でちび八重ちゃんの歌のバックのマッピング「はるか」やインターネットで配信されたものを観て、なるほど素晴らしい演出であったのだと納得しました。まさし
3月9日、組合の冬季福利厚生事業「職場対抗カローリング大会」が開かれ、私も参加しました。参加チームは仮装で出場し、久しぶりに心地よいスポーツを楽しみました。このカローリングは、意外にゲームとしても面白く、つい真剣になってしまいました。結果は私のチームが優勝と、おまけのご褒美までいただきました。
3月9日、平和フョーラムの自主上映会で「放射線を浴びたX年後」を観ました。この作品は2012年1月に日本テレビ系列で放映されたドキュメント番組を映画化したものです。1954年、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」がアメリカのビキニ水爆実験によって被曝したことはよく知られていますが、が、実は被曝したのは1隻だけでなく992隻にのぼり、しかも、船員の多くは若くしてがんで人知れず亡くなっています。たとえば「第二幸成丸」の乗組員20人中17人が、「新生丸」では19人中17人が死亡しています。しかし、米政府は、200万ドルの慰謝料を支払うことで“完全解決”を図り、日本政府が受諾し、一切の調査を打ち切って隠蔽してしまった事や、日本も水爆実験の放射性物質に汚れた大気が全土を覆ったことや、翌年から、すべての魚が無検査で全国の食卓にのぼった事など、この映画を観て初めて知りました。生え後6カ月の私も1954年の春に被ばくしていたという事です。このことからも3.11・原発事故から2年も経過しますが、今私たちが国や電力、マスコミ等から知らされている事は、「真実ではない」という視点を持つことが大切であると感じました。まさし