だが、まだ事態は結末を迎えていない。
「で、どうする? 『1人で来い』と書かれていない以上、1人で行く必要はないけど。
まぁ、1人で行くってのも、度胸試しにいいかもしれないけどな」
タイチが、今度はいたずらめいたシニカルな笑みと声音で、恐い事を言い始める。
「や、やめろよ~……」
冗談に聞こえなかったのか、将太は少し怯えて言った。
(こりゃ、いいカモだわ……)
タイチは、気弱で、ネガティブな解釈をする将太は、イジメられて仕方ない、と判断した。
「お前、ちっとは前向きになれよ」
「え、僕が後ろ向きだって言うの?」
「まぁ、ネガティブって事だな」
「どこがだよ」
……どうやら、本人に自覚はないらしい。
タイチは、困ったなぁ、と思いつつ時間もないので、
「まぁ、そのうち教えてやるよ。
それよりどうするんだ? オレはどうでもいいけど、お前が決めろよ」
「どうすればいいと思う?」
「それくらい自分で考えてくれよ。まぁ、先生を呼べば、即解決だと思うけど」
「それでも、また狙われちゃうよ……」
また将太の顔が怯えて歪む。
それをネガティブって言うんだよ、とタイチは思ったが、やはり時間がないので、
「分かった分かった。オレが1人で行って、片づけてやるよ」
最も手っ取り早い解決法を口にした。
(な、なに言ってんだよぉ?殺されちゃうよ……)
将太は、引き止めなきゃ、と思いつつ、何故か自信満々に言い放つタイチに呆気に取られて口ごもってしまった。
タイチは、そんな高飛車な勝利宣言をして、そのままトイレを出て行ってしまった。
言っておくが、タイチはそんなに強くない。
クラスの誰もが「弱い」と思っているが、弱いわけでもない。
確かに、筋力はほとんどないが、元々運動神経が良く、幼い頃から拳法を習っているので、ケンカに負けた事はない。
まぁ、ケンカをしたこと自体あまりないが。
ケンカというものは、実戦経験がモノを言う。
体格も体力も違いすぎる上に場数も桁違いとくれば、たとえタイチに戦闘の才能があったとしても勝機はない。
ただ、幸いな事に、相手は殴る専門でナイフ等の武器は使わないから、死ぬ事はないだろう。
……殴り殺される以外は。
「よぉ。あんたが《ブラッドライカー》さんかい?」
タイチは、屋上の扉を唐突に開け放ちつつ、言った。相手の存在など確認せずに。
屋上には人影がなく、ただ、ぽつんと1人の男がこちらに向かって立っていた。
大柄で筋肉質な男。少し背の低いタイチと比べると、頭二つ分デカい。
その顔は、遅いぞ、と言わんばかりに怒りの形相を形作っている。
「遅かったじゃねえか! 何ちんたらやってたんだよッ!」
顔もそのままに、怒鳴り散らしてきた。
しかし、その男――《ブラッドライカー》――は、やってきた人物の顔を見て、困惑の表情を浮かべる。
「な、なんだてめぇ? 小林将太はどうしたッ? まさか逃げやがったんじゃねぇだろなッ!?」
また怒鳴る。
タイチは、その騒音に等しい怒鳴り声に片耳をふさぎつつ、手の中の紙切れに目を落として、
「小林将太? ……あぁ、お前の今回のターゲットは将太だったのか。ワリぃな。こんな紙切れが教室に落ちてたんでオレが拾ったんだ。宛名がなかったから一応、届けに来たんだが――」
「そうか。そいつはご苦労さん。代わりにお前が殴られていけッ!」
――いきなり、右ストレートがとんで来た。
タイチは、
(あぁ、昼休みももうすぐ終わるってのに)
と、のんきな事を思いながら、予想通り大振りなそれを、軽く体を捌く事で回避した。
瞬間、《ブラッドライカー》の顔が驚愕に歪む。
イジメとは、強者が弱者に対して行うものであり、イジめる者は必ず弱い相手を選ぶものだ。
彼も、今回は選んだわけではないが、相手――タイチが弱そうだったから殴ろうとしたのだ。
まさか避けられるとは思ってもみなかったのだろう。
一方、タイチは避けると同時に反撃もできたが、相手がキレると厄介なので、回避のみにとどめた。
そして、余裕の笑みを漏らす。
《ブラッドライカー》はその自信満々な笑みを見て、何故かケンカを中断する。
タイチは、突然構えを解いて両手を軽く上げた彼を見て、不審な顔をつくり、
「あれ、どうしたんだ? オレを殴るんじゃなかったのか?」
挑発するようで、しかし探るような調子で言う。
「どうやら……お前はターゲットには相応しくないようだ。俺はほんの少しでも負ける可能性のあるケンカはやらねぇ。
俺の目的はただ一つ――他人の血を見る事なんだからな。それで、自分の血を見てちゃ、ざまぁねえだろ」
一度ケンカを始めると相手の血を見るまで絶対にやめない、というのが《ブラッドライカー》の特徴で、だからこそこんな異名を持っているのだが、例外もあるらしい。
結局のところ、イジメっ子は弱い者イジメしかできない臆病者でしかないのだ。
ただ、そこらへんのイジメっ子は頭が悪い上にプライドが高く、キレやすい。たとえ相手の方が強かったとしても、ヤケになってかかっていく。
だが、《ブラッドライカー》は違う。
彼は小学校時代は優等生だったらしい。どういう理由でイジメっ子になったのかは定かではないが、元々頭は良いし冷静な性格なのだ。
だから、いまのタイチの動きを見て十二分に評価し、あっさりケンカをやめる事ができたのだ。
「それは助かった。もうすぐ昼休みも終わる。授業に遅れると、オレの優等生ぶりが不完全なものになるからな。
じゃ、そういう事だから、オレは教室に――」
「そこで何をしてるんだッ!?」
タイチの言葉をさえぎるように、タイチが開けてそのままになっていた扉から緊迫した声が響いてきた。
それなりに威圧感のある野太い声だ。
屋上の入り口を見ると、眉間にしわを寄せた顔の中年男性が現れていた。
(あれ? なんで生徒指導の竹内先生がいるんだ?)
その疑問は、竹内教諭にコソコソと隠れる少年を見つけて解決した。
(将太が呼んだのか……)
そして、タイチは思案顔になってうつむく。
(この状況をどう説明したものか……あくまで優等生であるオレが、こんなヤツと一緒にこんな所にいるのはマズイ……なんとか上手く言い訳しなきゃ、せっかく上手く演じてきた優等生というオレの評価が下がっちまうな。
………まぁ、なんとかるだろ)
タイチの思考は、一瞬でお気楽モードに突入した。
しかし、スグに真面目顔を作って竹内教諭に近づきながら、
「何もしていませんよ。……ほら、この通り。僕には何の異常もありませんし、」
いったん言葉を切り、《ブラッドライカー》の方へ顔を向けて、
「彼、山岡優太くんも、見ての通り異常ありません。
僕は話し合いで解決しようと、ここへ出向いたのですが、到着後すぐに先生が駆けつけて来て下さったおかげで、何事もありませんでした」
そう言い終わってから、将太に目を移してうなずく。
話を合わせろ、という事だ。
「そ、そうか。それは良かった……」
教諭は急いで駆けつけたのだろう。肩でゼェゼェ息をしながら、安心した顔で言った。
そしてすぐ、
「君達2人は授業に行きなさい。まだ間に合うだろう」
時計に目を落として、やさしい口調で言った。
タイチと将太は、「はい」と頭を下げて、屋上を後にした。
キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン♪
6時間目終了、つまりは終業のチャイムが鳴り響いた。
生徒達は皆一様に歓喜の声をあげながら、一目散に教室から流れていく。
そんな中、いつもの無表情――やはり少し怒っているように見えるが――で帰り支度をしているのはタイチだけ……
いや、今回は将太もまだ残っている。タイチのような無表情ではないが、笑顔でもない。
そこに――、
「小林と長谷川は職員室に来るように」
と、生徒指導の竹内教諭の声がかけられた。教諭はそのまま職員室の方へと去っていく。
「将太、分かってるな?」
「うん」
2人が職員室へ行くと、隣接する生徒指導室に通され、竹内教諭と向かい合ったかたちでソファに腰を下ろした。
教諭との間には、コップの3つ載った背の低いテーブルがある。
教諭は自分の前に置かれたお茶を一口飲んで、真面目顔で切り出した。
「今日の事を詳しく聞かせてほしいんだ。話してもらえるかい?」
「はい。今回の件については全て把握していますので、僕が説明します」
そうして、タイチは事件の“真相”を語り始めた。
弁当を片付けにロッカーへ行った将太が、なぜか曇った顔で教室を出て行くのを目撃した事。
不審に思い、とりあえず追いかけた事。
トイレの中で脅迫状を握った将太を見つけた事。
自分が「話し合いで解決してくる」と言った事。
そこまで説明したところで、将太が、
「長谷川くんが1人で屋上に行ったので、慌てて先生を呼びに行ったんです」
と付け加えた。
「あとは、屋上でお話した通りです」
一通りの説明を終えて、タイチはお茶をすすった。
竹内教諭は、少しの間だまり込んで、
「なるほど。じゃあ、少し質問していいかな?」
まだしわの刻まれていない眉間にしわを寄せて尋ねた。
「はい」と2人はうなづく。
竹内教諭は、眉間のしわを取り除いて、言った。
「まず、小林君は脅迫状を見つけた後、教室から出て行ったんだよね。長谷川君だけしか気づかなかったのはなぜかな?」
「それは僕が、みんなが会話に夢中になっているスキに教室を抜け出したからです。でも……なぜか長谷川くんは僕を追いかけて来てくれて……」
将太が言いよどむのを予想していたタイチはすかさず、
「あぁそれはですね。……これは小林くんに証言してもらいたいのですが、僕は普段カバンを置いてあるロッカーが真正面に見える位置に座っていたんです」
ほう、という顔で竹内教諭が尋ねる。
「小林君、そうなのかい?」
将太は、なるほど、と思いながら
「……はい。たしかに長谷川くんの席はロッカーが正面に見える位置でした」
「なるほど。小林君を見つけたのは偶然ということなんだね?」
「その通りです」
竹内教諭は納得した顔で、お茶をすすってから、
「うん。じゃあ最後の質問だけど、長谷川君は、なぜ1人で屋上へ行ったんだい?」
「はい。ボクは脅迫状を読んで宛名が無いことに気づき、とりあえず、この脅迫状は僕が偶然拾った事にして、小林くんだけでも逃がそうと考えたんです。
よくよく冷静になって考えてみれば先生に助けを求めるのが最善策だと分かりますが、その時の僕は、小林くんを逃がす事で頭がいっぱいだったのです。
それにしても、小林くんが先生を呼んで来てくれて助かりました。おかげで、何事も無く解決できたのですから。
小林くん、ありがとう」
タイチは将太に向かって頭を下げた。
「え……? いや~、僕の方こそありがとう!?」
まさか、助けてもらってお礼をされるとは思ってもみなかったのか、将太は狼唄ぎみに答えた。
竹内教諭は、2人のやりとりを終始笑顔で見てから、さりげなく口を開いた。
「う~ん……まあ、今回は何事も無かったから良かったけど、ケンカになっていたらどうなっていた事か……。君はもう少し、自分の身も案じるようにしなさい。いいね?」
竹内教諭は、責めるような厳しい口調でタイチに言った。
「はい。今後はそうするよう、努力します」
タイチは真摯な眼差しで答えた。
「よろしい。ではまあ、今回の件についてはこれで終わり。二人とも帰っていいよ。……けどね、何か問題が起きた時は、必ず私や他の先生方に報告に来なさい。
学校では、我々教師が君達の親なんだからね」
締めの言葉がキマって満足顔の教諭に、2人は一礼して生徒指導室をあとにした。
帰り道。太陽は沈みかけ、夕日が街を朱に染めている。少し遅めの帰路についている2人も、同じく朱に染まっている。
「今日はホントにありがとう」
いきなり礼を言う将太に、タイチは、
「礼ならさっき聞いたぞ。それよりお前、聞きたい事があるんじゃないか?」
彼の心中を察しつつも、相変わらず抑揚のない声で言う。
「う、うん……。あのさあ……。
ほんとに、《ブラッドライカー》とは、何もなかったの?」
「あぁ」
「うそだ……。だって、タイチがトイレを出てから、僕が先生を呼んで屋上に駆けつけるまで、5分はあったよ?」
「ふん。また余計な心配しやがって。そういうのをネガティブって言うんだよ」
将太は思わず、足元に視線を落とした。
「……まぁ、フツウに考えりゃあ、その5分間、《ブラッドライカー》と接触してたと思うわなぁ」
瞬間、将太はパッと顔を上げて、
「え? 違うの?!」
その顔には、!マークと?マークが踊っている。
その、あまりに分かりやすいリアクションに、
(コイツ、将来役者になれるんじゃ……?)
なんて思いながら、タイチは続ける。
「確かに、お前と先生が屋上に来る約5分前にトイレを出たが、そのまま屋上に直行したなんて誰も言ってないだろ?」
「え? ど、どういうこと?」
将太には、何がなんだか分からない。
再び、!マークと?マークのダンスパーティーを始める彼の顔は無視して、
「実はあの後、屋上へ続く階段まで行って、そこでしばらく作戦を考えてたんだ。で、さっき先生にも話したように、オレはターゲットじゃないし、あの紙切れも拾った事にすれば大丈夫かな、と思って飛び出したんだ。そこでお前と先生が来て、一件落着ってワケ」
タイチは得意げに言った。
しばらくの沈黙のあと、ようやく、理解したという顔で将太が、
「……やっぱ、頭いいんだね、タイチは。
前から、勇気あるし、冷静だとは思ってたけど、頭までいいなんて羨ましすぎるよぉ!」
ホメ殺しだ。
しかしタイチは、
「いんや。オレは、先生を呼ぶっていう安全策があったのに、思いつきで1人で行ったんだから、冷静じゃないし、勇気があるというよりは、むしろ無謀だ。
頭のいいヤツは無茶なんかしないさ」
冷たく否定する。
(せっかく、褒めちぎってやったのに白(しら)けさせるさせるなよ~!)
と、将太は心の中でツッコんでから、
「……タイチはやっぱり、空気読めないよねぇ」
しみじみと肩を落としたのだった。
将太は知らない。……いや、タイチ以外に知る者は居ない。
彼――長谷川タイチが嘘をついている事を。
「で、どうする? 『1人で来い』と書かれていない以上、1人で行く必要はないけど。
まぁ、1人で行くってのも、度胸試しにいいかもしれないけどな」
タイチが、今度はいたずらめいたシニカルな笑みと声音で、恐い事を言い始める。
「や、やめろよ~……」
冗談に聞こえなかったのか、将太は少し怯えて言った。
(こりゃ、いいカモだわ……)
タイチは、気弱で、ネガティブな解釈をする将太は、イジメられて仕方ない、と判断した。
「お前、ちっとは前向きになれよ」
「え、僕が後ろ向きだって言うの?」
「まぁ、ネガティブって事だな」
「どこがだよ」
……どうやら、本人に自覚はないらしい。
タイチは、困ったなぁ、と思いつつ時間もないので、
「まぁ、そのうち教えてやるよ。
それよりどうするんだ? オレはどうでもいいけど、お前が決めろよ」
「どうすればいいと思う?」
「それくらい自分で考えてくれよ。まぁ、先生を呼べば、即解決だと思うけど」
「それでも、また狙われちゃうよ……」
また将太の顔が怯えて歪む。
それをネガティブって言うんだよ、とタイチは思ったが、やはり時間がないので、
「分かった分かった。オレが1人で行って、片づけてやるよ」
最も手っ取り早い解決法を口にした。
(な、なに言ってんだよぉ?殺されちゃうよ……)
将太は、引き止めなきゃ、と思いつつ、何故か自信満々に言い放つタイチに呆気に取られて口ごもってしまった。
タイチは、そんな高飛車な勝利宣言をして、そのままトイレを出て行ってしまった。
言っておくが、タイチはそんなに強くない。
クラスの誰もが「弱い」と思っているが、弱いわけでもない。
確かに、筋力はほとんどないが、元々運動神経が良く、幼い頃から拳法を習っているので、ケンカに負けた事はない。
まぁ、ケンカをしたこと自体あまりないが。
ケンカというものは、実戦経験がモノを言う。
体格も体力も違いすぎる上に場数も桁違いとくれば、たとえタイチに戦闘の才能があったとしても勝機はない。
ただ、幸いな事に、相手は殴る専門でナイフ等の武器は使わないから、死ぬ事はないだろう。
……殴り殺される以外は。
「よぉ。あんたが《ブラッドライカー》さんかい?」
タイチは、屋上の扉を唐突に開け放ちつつ、言った。相手の存在など確認せずに。
屋上には人影がなく、ただ、ぽつんと1人の男がこちらに向かって立っていた。
大柄で筋肉質な男。少し背の低いタイチと比べると、頭二つ分デカい。
その顔は、遅いぞ、と言わんばかりに怒りの形相を形作っている。
「遅かったじゃねえか! 何ちんたらやってたんだよッ!」
顔もそのままに、怒鳴り散らしてきた。
しかし、その男――《ブラッドライカー》――は、やってきた人物の顔を見て、困惑の表情を浮かべる。
「な、なんだてめぇ? 小林将太はどうしたッ? まさか逃げやがったんじゃねぇだろなッ!?」
また怒鳴る。
タイチは、その騒音に等しい怒鳴り声に片耳をふさぎつつ、手の中の紙切れに目を落として、
「小林将太? ……あぁ、お前の今回のターゲットは将太だったのか。ワリぃな。こんな紙切れが教室に落ちてたんでオレが拾ったんだ。宛名がなかったから一応、届けに来たんだが――」
「そうか。そいつはご苦労さん。代わりにお前が殴られていけッ!」
――いきなり、右ストレートがとんで来た。
タイチは、
(あぁ、昼休みももうすぐ終わるってのに)
と、のんきな事を思いながら、予想通り大振りなそれを、軽く体を捌く事で回避した。
瞬間、《ブラッドライカー》の顔が驚愕に歪む。
イジメとは、強者が弱者に対して行うものであり、イジめる者は必ず弱い相手を選ぶものだ。
彼も、今回は選んだわけではないが、相手――タイチが弱そうだったから殴ろうとしたのだ。
まさか避けられるとは思ってもみなかったのだろう。
一方、タイチは避けると同時に反撃もできたが、相手がキレると厄介なので、回避のみにとどめた。
そして、余裕の笑みを漏らす。
《ブラッドライカー》はその自信満々な笑みを見て、何故かケンカを中断する。
タイチは、突然構えを解いて両手を軽く上げた彼を見て、不審な顔をつくり、
「あれ、どうしたんだ? オレを殴るんじゃなかったのか?」
挑発するようで、しかし探るような調子で言う。
「どうやら……お前はターゲットには相応しくないようだ。俺はほんの少しでも負ける可能性のあるケンカはやらねぇ。
俺の目的はただ一つ――他人の血を見る事なんだからな。それで、自分の血を見てちゃ、ざまぁねえだろ」
一度ケンカを始めると相手の血を見るまで絶対にやめない、というのが《ブラッドライカー》の特徴で、だからこそこんな異名を持っているのだが、例外もあるらしい。
結局のところ、イジメっ子は弱い者イジメしかできない臆病者でしかないのだ。
ただ、そこらへんのイジメっ子は頭が悪い上にプライドが高く、キレやすい。たとえ相手の方が強かったとしても、ヤケになってかかっていく。
だが、《ブラッドライカー》は違う。
彼は小学校時代は優等生だったらしい。どういう理由でイジメっ子になったのかは定かではないが、元々頭は良いし冷静な性格なのだ。
だから、いまのタイチの動きを見て十二分に評価し、あっさりケンカをやめる事ができたのだ。
「それは助かった。もうすぐ昼休みも終わる。授業に遅れると、オレの優等生ぶりが不完全なものになるからな。
じゃ、そういう事だから、オレは教室に――」
「そこで何をしてるんだッ!?」
タイチの言葉をさえぎるように、タイチが開けてそのままになっていた扉から緊迫した声が響いてきた。
それなりに威圧感のある野太い声だ。
屋上の入り口を見ると、眉間にしわを寄せた顔の中年男性が現れていた。
(あれ? なんで生徒指導の竹内先生がいるんだ?)
その疑問は、竹内教諭にコソコソと隠れる少年を見つけて解決した。
(将太が呼んだのか……)
そして、タイチは思案顔になってうつむく。
(この状況をどう説明したものか……あくまで優等生であるオレが、こんなヤツと一緒にこんな所にいるのはマズイ……なんとか上手く言い訳しなきゃ、せっかく上手く演じてきた優等生というオレの評価が下がっちまうな。
………まぁ、なんとかるだろ)
タイチの思考は、一瞬でお気楽モードに突入した。
しかし、スグに真面目顔を作って竹内教諭に近づきながら、
「何もしていませんよ。……ほら、この通り。僕には何の異常もありませんし、」
いったん言葉を切り、《ブラッドライカー》の方へ顔を向けて、
「彼、山岡優太くんも、見ての通り異常ありません。
僕は話し合いで解決しようと、ここへ出向いたのですが、到着後すぐに先生が駆けつけて来て下さったおかげで、何事もありませんでした」
そう言い終わってから、将太に目を移してうなずく。
話を合わせろ、という事だ。
「そ、そうか。それは良かった……」
教諭は急いで駆けつけたのだろう。肩でゼェゼェ息をしながら、安心した顔で言った。
そしてすぐ、
「君達2人は授業に行きなさい。まだ間に合うだろう」
時計に目を落として、やさしい口調で言った。
タイチと将太は、「はい」と頭を下げて、屋上を後にした。
キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン♪
6時間目終了、つまりは終業のチャイムが鳴り響いた。
生徒達は皆一様に歓喜の声をあげながら、一目散に教室から流れていく。
そんな中、いつもの無表情――やはり少し怒っているように見えるが――で帰り支度をしているのはタイチだけ……
いや、今回は将太もまだ残っている。タイチのような無表情ではないが、笑顔でもない。
そこに――、
「小林と長谷川は職員室に来るように」
と、生徒指導の竹内教諭の声がかけられた。教諭はそのまま職員室の方へと去っていく。
「将太、分かってるな?」
「うん」
2人が職員室へ行くと、隣接する生徒指導室に通され、竹内教諭と向かい合ったかたちでソファに腰を下ろした。
教諭との間には、コップの3つ載った背の低いテーブルがある。
教諭は自分の前に置かれたお茶を一口飲んで、真面目顔で切り出した。
「今日の事を詳しく聞かせてほしいんだ。話してもらえるかい?」
「はい。今回の件については全て把握していますので、僕が説明します」
そうして、タイチは事件の“真相”を語り始めた。
弁当を片付けにロッカーへ行った将太が、なぜか曇った顔で教室を出て行くのを目撃した事。
不審に思い、とりあえず追いかけた事。
トイレの中で脅迫状を握った将太を見つけた事。
自分が「話し合いで解決してくる」と言った事。
そこまで説明したところで、将太が、
「長谷川くんが1人で屋上に行ったので、慌てて先生を呼びに行ったんです」
と付け加えた。
「あとは、屋上でお話した通りです」
一通りの説明を終えて、タイチはお茶をすすった。
竹内教諭は、少しの間だまり込んで、
「なるほど。じゃあ、少し質問していいかな?」
まだしわの刻まれていない眉間にしわを寄せて尋ねた。
「はい」と2人はうなづく。
竹内教諭は、眉間のしわを取り除いて、言った。
「まず、小林君は脅迫状を見つけた後、教室から出て行ったんだよね。長谷川君だけしか気づかなかったのはなぜかな?」
「それは僕が、みんなが会話に夢中になっているスキに教室を抜け出したからです。でも……なぜか長谷川くんは僕を追いかけて来てくれて……」
将太が言いよどむのを予想していたタイチはすかさず、
「あぁそれはですね。……これは小林くんに証言してもらいたいのですが、僕は普段カバンを置いてあるロッカーが真正面に見える位置に座っていたんです」
ほう、という顔で竹内教諭が尋ねる。
「小林君、そうなのかい?」
将太は、なるほど、と思いながら
「……はい。たしかに長谷川くんの席はロッカーが正面に見える位置でした」
「なるほど。小林君を見つけたのは偶然ということなんだね?」
「その通りです」
竹内教諭は納得した顔で、お茶をすすってから、
「うん。じゃあ最後の質問だけど、長谷川君は、なぜ1人で屋上へ行ったんだい?」
「はい。ボクは脅迫状を読んで宛名が無いことに気づき、とりあえず、この脅迫状は僕が偶然拾った事にして、小林くんだけでも逃がそうと考えたんです。
よくよく冷静になって考えてみれば先生に助けを求めるのが最善策だと分かりますが、その時の僕は、小林くんを逃がす事で頭がいっぱいだったのです。
それにしても、小林くんが先生を呼んで来てくれて助かりました。おかげで、何事も無く解決できたのですから。
小林くん、ありがとう」
タイチは将太に向かって頭を下げた。
「え……? いや~、僕の方こそありがとう!?」
まさか、助けてもらってお礼をされるとは思ってもみなかったのか、将太は狼唄ぎみに答えた。
竹内教諭は、2人のやりとりを終始笑顔で見てから、さりげなく口を開いた。
「う~ん……まあ、今回は何事も無かったから良かったけど、ケンカになっていたらどうなっていた事か……。君はもう少し、自分の身も案じるようにしなさい。いいね?」
竹内教諭は、責めるような厳しい口調でタイチに言った。
「はい。今後はそうするよう、努力します」
タイチは真摯な眼差しで答えた。
「よろしい。ではまあ、今回の件についてはこれで終わり。二人とも帰っていいよ。……けどね、何か問題が起きた時は、必ず私や他の先生方に報告に来なさい。
学校では、我々教師が君達の親なんだからね」
締めの言葉がキマって満足顔の教諭に、2人は一礼して生徒指導室をあとにした。
帰り道。太陽は沈みかけ、夕日が街を朱に染めている。少し遅めの帰路についている2人も、同じく朱に染まっている。
「今日はホントにありがとう」
いきなり礼を言う将太に、タイチは、
「礼ならさっき聞いたぞ。それよりお前、聞きたい事があるんじゃないか?」
彼の心中を察しつつも、相変わらず抑揚のない声で言う。
「う、うん……。あのさあ……。
ほんとに、《ブラッドライカー》とは、何もなかったの?」
「あぁ」
「うそだ……。だって、タイチがトイレを出てから、僕が先生を呼んで屋上に駆けつけるまで、5分はあったよ?」
「ふん。また余計な心配しやがって。そういうのをネガティブって言うんだよ」
将太は思わず、足元に視線を落とした。
「……まぁ、フツウに考えりゃあ、その5分間、《ブラッドライカー》と接触してたと思うわなぁ」
瞬間、将太はパッと顔を上げて、
「え? 違うの?!」
その顔には、!マークと?マークが踊っている。
その、あまりに分かりやすいリアクションに、
(コイツ、将来役者になれるんじゃ……?)
なんて思いながら、タイチは続ける。
「確かに、お前と先生が屋上に来る約5分前にトイレを出たが、そのまま屋上に直行したなんて誰も言ってないだろ?」
「え? ど、どういうこと?」
将太には、何がなんだか分からない。
再び、!マークと?マークのダンスパーティーを始める彼の顔は無視して、
「実はあの後、屋上へ続く階段まで行って、そこでしばらく作戦を考えてたんだ。で、さっき先生にも話したように、オレはターゲットじゃないし、あの紙切れも拾った事にすれば大丈夫かな、と思って飛び出したんだ。そこでお前と先生が来て、一件落着ってワケ」
タイチは得意げに言った。
しばらくの沈黙のあと、ようやく、理解したという顔で将太が、
「……やっぱ、頭いいんだね、タイチは。
前から、勇気あるし、冷静だとは思ってたけど、頭までいいなんて羨ましすぎるよぉ!」
ホメ殺しだ。
しかしタイチは、
「いんや。オレは、先生を呼ぶっていう安全策があったのに、思いつきで1人で行ったんだから、冷静じゃないし、勇気があるというよりは、むしろ無謀だ。
頭のいいヤツは無茶なんかしないさ」
冷たく否定する。
(せっかく、褒めちぎってやったのに白(しら)けさせるさせるなよ~!)
と、将太は心の中でツッコんでから、
「……タイチはやっぱり、空気読めないよねぇ」
しみじみと肩を落としたのだった。
将太は知らない。……いや、タイチ以外に知る者は居ない。
彼――長谷川タイチが嘘をついている事を。
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