6月14日。
朝、6時半に起きた。
いつものように何度も起きたので何度も夢を見た。夢の内容は忘れた。
9時に病院に着かなければならなかった。8時に出ると遅いかもしれないと聞いていたので7時に出ようと思っていた。
朝食は摂らないようにと言われていたので何も食べなかった。飲まなかった。
起きてすぐケータイを充電しはじめた。しかしなかなか充電が完了しなかった。昨晩は満タンだったのに。
意外と時間がかかって結局、寮を出たのは7時半だった。昨日とは違う管理人のおじさん(昼と夜の交代制らしい)に挨拶すると「早いなあ、もう出るのかい」と言われた。
私は微笑して寮を出た。ここに再び戻ってこれたらいいな、と思った。
タクシーを拾った。
最初、タクシーの止め方がよくわからなくて戸惑った。何台かが通り過ぎた。
そういえばタクシーを自分で止めるのは、ひょっとすると初めてだったように思う。貧乏人の私は、タクシーにひとりで乗るという機会が滅多にないのである。交通費は0円が基本である。
ためしに左手を掲げてみた。止まった。
久々のタクシーの感触に浸りつつ目的地への地図を運転手に渡す。
しかしどうもよくわからなかったようで、とにかく最寄駅まで行ってみます、と言われた。私は、はあ、とうなずくしかなかった。
運転手は信号待ちのときにケータイを取り出し、運転手仲間に道を教えてもらっていた。
私の持っていたチケットは3000円分の価値しかないものだった。だから、料金メーターが2000円を超えたあたりから胸の中がそわそわし始めた。
チケットをくれた社員の方は、3000円で行けると思います、と、曖昧な言い方をしていた。なかなかにテキトーである。
料金メーターが2800円になってからは、それはもう落ち着いていられなかった。メーターは80円ずつ増えていたのであと3回で3000円を超えるのだった。
2960円になった。
………………。
3040円になった……。
なんと3040円で目的地に到着した。もう1分ほど早ければ3000円で収まっていたのに。
私はしかたなくチケットと10円玉4枚を支払った。思わぬ出費はその額に関係なく、痛い。
タクシーを降りた。まだ8時すぎだった。
8時半から受け付けているという話だったので、近くのコンビニで少し時間を潰してから病院へ行った。
3階で健康診断を受けてください、と言われていたのでとりあえず3階へ行く。
多くの人がいた。
小便がしたくなってトイレに入った。トイレには何人かいて、なぜかみんな紙コップを持っていた。
受付へ行くと企業名と氏名を書かされた。順番待ちらしい。名前から想像がついていたがその病院は工場で働く人専用のところらしい。順番待ちの名簿にはいろんな企業の名前が並んでいた。
私は1泊分の大きな荷物を持って移動しなければならなかった。それがとても目立って恥ずかしかった。
それにしても人が多すぎた。人ごみの苦手な私はじゃっかん冷や汗をかいてだまりこんでいた。
最初の検査が尿検査だった。
さっきトイレで見たのと同じ紙コップを渡された。そういうことだったのか……。
さっきトイレで用をたしたばかりの私は、とてつもなく焦った。
とりあえずトイレの個室に入ってがんばってみた。ダメだった。
自分の愚かさを呪った。紙コップを見てすぐに尿検査だと気づくべきだった。健康診断なんてあまり縁がないのでそこまで気がまわらなかった。
尿が出ない旨を伝えて尿検査は後回しにしてもらった。
もう何も語りたくない。
私は人間が多すぎて精神的にキツかった。理性を総動員して気分を抑えるのに必死だった。
黒いシャツ、黒いズボン、黒い腕時計、黒い大きなカバン、ついでに黒髪黒瞳。黒一色の私はあきらかに浮いていた。だから余計に精神がダメージを受けた。
そんな酷い調子だったので、もう語りたくない。
測定結果でショックだったのは身長と視力だった。身長が167.5センチしかなかった。メガネ視力は0.5と0.3しかなく、メガネを替えるようにと言われた。
そういえば最近、よく見えなくて気分が悪くなる。一番前の席なのに黒板の文字がよく見えなかったりする。でもなぁ……、金がない。もったいない。
それはともかく。
尿検査もなんとか終えた私は病院をあとにした。
言い忘れていたが、受付に背の高い美人のおねえさんがいた。
その人にお疲れさまでした、と言われて落ち込んでいた精神が少し浮上した。
健康診断で試験は終了だった。
まだ11時で、18時のバス出発まで7時間もヒマだった。
とりあえず地図では近くに金閣寺があったので、そこへ向かった。
炎天下。黒い私は黒い荷物を持って黒い革靴で一生懸命に歩いた。
金閣寺は遠かった。
バス停7つ分くらいの距離があった。
採血されてふらふらの私はそれでもとにかく金閣寺を目指した。
京都に着いてからいまだ何一つ購入していない私は意地でも出費なしで済ませるつもりでいた。だから水も飲まず、ひたすらに歩いていた。
金閣寺の参拝ルートの入り口に着いた。「金閣寺」と書かれた立て札があったのでそれを撮って写メールにした。「金閣寺だー!」と返事が来た。
まずは木陰で休んだ。汗がどっと出た。
案内図のところに北朝鮮の言葉を話す北朝鮮の人達がいた。また、近くで英語の話し声も聞こえた。さすが名所。外国人観光客が多い。
少しして中学生がどばーっと来た。制服姿の男子女子が大勢押し寄せた。修学旅行らしい。
再び人ごみに酔う私。中学生らの記念写真に写ってしまいそうになる私。
それでもとにかく参拝ルートへ足を進めてみた。
入り口の手前に参拝料金の書かれた札があった。大人400円子供300円。
タダじゃなかったので中に入るのはあきらめた。
観光名所にタダで入ろうとした私が愚かだった。
中学の制服でも持ってくれば良かった。そうすればうまくいけば中学生達にまぎれこんで中に入ることができたかもしれない。いや、無理だけど。
金閣寺をあきらめた私はタクシーのりばに向かった。
タクシーに乗り、バスの出発まであと5時間ほどあったがとにかく京都駅に向かってもらった。
2400円くらいで京都駅に着いた。もちろんチケットを使ったのでタダだった。
地下に商店街があるのでそこでヒマをつぶそうと考えていた。
そういえば去年ここで御守り袋を買ったなぁ、と思い出した。袋だけで中身がない、見せかけだけの御守りである。私は今もそれを持ち歩いていた。もちろん、中身は無いままである。
とりあえずトイレに入った。
トイレから出た。
トイレの近くに土産用の和菓子売り場があって、そこの試食コーナーを利用した。生八つ橋のチョコ、抹茶、いちご、りんご……、などを食した。夏季限定の冷やして食べるものまであった。おいしかった。
近くに漬物屋があった。そこの試食コーナーももちろん利用する。大根とかナスとかきゅうりとかかぼちゃとか食べた。
他にもちりめんじゃこなどがあり、ひととおり食べてその区画をあとにした。
書店に向かった。すぐ近くにあった。
いろいろ本を見た。
しばらくするとあまりにもノドが渇いて、しかたなく水を買いに行った。
輸入品ばかりをそろえた店があり、少々高かったが105円の500ミリリットルミネラルウォーターを買った。
これで京都での出費は合計145円になった。ちょうど、矢口真里さんの身長と同じ数字である。ちっちぇえ。
といっても、実は会社から朝食代として500円いただいていたので、355円の収入とも考えられる。
ふたたび書店で本を漁る。文庫版『ZOO』の対談とか解説を読んだ。おもしろかった。西尾維新先生の新刊『ザレゴトディクショナル』もあった。読みたかったが袋とじになっていて読めなかった。
読めなかったといえば、乙一先生の最新小説「毒殺天使」である。
ダメ人間作家トリオ(定金伸治、乙一、松原真琴)の『とるこ日記』巻末に収録されているのだが、こちらも袋とじ仕様で読めなかった。
本に飽きた私はふたたび試食コーナーへと足を伸ばした。
いや、今度はお土産を買うのが目的である。
元母に八つ橋を三箱買って来いと命令されていたのでしかたなく、である。
一度目からかなり時間が空いていたので、店員は私が二度目だと知らずに試食を勧めてくれた。
冷やして食べるタイプのものが一番おいしかったと思う。
同様にしてまた漬物もいただき、また書店にもどってこっそり水を飲んだ。
そのようにして時間を潰していると、授業が終わった彼女からメールが来た。
そろそろ時間だったので地上に昇り、バス停へ向かった。
帰りは夜行ではないが、高知に到着するのは深夜である。
バスに乗る。席が非常口の隣だった。
東京から帰る際の飛行機でも非常口の隣だったし、そういえば今回会社へ向かうために乗ったバスでも非常口の隣だった。どうも私は非常口に好かれているようである。しかし何の意味があるのだろうか……。
驚いたことにバスは5時間もせずに高知に到着した。
元母に車で迎えに来てもらって自宅に帰った。
以上で私の京都就職試験の旅は終了である。
本当はもっとおもしろいことがあったのだが、引っ込み思案の私は多くを語らなかった。観光客に写真を撮ってと頼まれたりお年寄りのおばあさんを背負ったりしたけどイメージが崩れてしまうので語らないでおいた。
翌週の月曜日に結果の通知が届いた。
既に報告した通り、採用が内定した。
入社承諾書もちゃんと郵送したし、完璧である。
しかし問題は、全国どこの拠点に配属されるか、ということである。
3年前の先輩は名古屋に配属されているそうである。
今年入社した先輩はまだ本社で研修中らしい。
ということは、しばらくは京都で働くことになるのかもしれない。
できればずっと京都がいいのだが、無理っぽい。
余談だが、この企業には久留米高専の学生さんも採用されている。
久留米高専といえば乙一先生の母校である。
つまり私は乙一先生の後輩と同じ会社で働くことになるのである。
嬉しい。
だけどやっぱり、小説家になって乙一先生本人に会えたほうが何千倍も嬉しい。
よし、頑張ろう。
朝、6時半に起きた。
いつものように何度も起きたので何度も夢を見た。夢の内容は忘れた。
9時に病院に着かなければならなかった。8時に出ると遅いかもしれないと聞いていたので7時に出ようと思っていた。
朝食は摂らないようにと言われていたので何も食べなかった。飲まなかった。
起きてすぐケータイを充電しはじめた。しかしなかなか充電が完了しなかった。昨晩は満タンだったのに。
意外と時間がかかって結局、寮を出たのは7時半だった。昨日とは違う管理人のおじさん(昼と夜の交代制らしい)に挨拶すると「早いなあ、もう出るのかい」と言われた。
私は微笑して寮を出た。ここに再び戻ってこれたらいいな、と思った。
タクシーを拾った。
最初、タクシーの止め方がよくわからなくて戸惑った。何台かが通り過ぎた。
そういえばタクシーを自分で止めるのは、ひょっとすると初めてだったように思う。貧乏人の私は、タクシーにひとりで乗るという機会が滅多にないのである。交通費は0円が基本である。
ためしに左手を掲げてみた。止まった。
久々のタクシーの感触に浸りつつ目的地への地図を運転手に渡す。
しかしどうもよくわからなかったようで、とにかく最寄駅まで行ってみます、と言われた。私は、はあ、とうなずくしかなかった。
運転手は信号待ちのときにケータイを取り出し、運転手仲間に道を教えてもらっていた。
私の持っていたチケットは3000円分の価値しかないものだった。だから、料金メーターが2000円を超えたあたりから胸の中がそわそわし始めた。
チケットをくれた社員の方は、3000円で行けると思います、と、曖昧な言い方をしていた。なかなかにテキトーである。
料金メーターが2800円になってからは、それはもう落ち着いていられなかった。メーターは80円ずつ増えていたのであと3回で3000円を超えるのだった。
2960円になった。
………………。
3040円になった……。
なんと3040円で目的地に到着した。もう1分ほど早ければ3000円で収まっていたのに。
私はしかたなくチケットと10円玉4枚を支払った。思わぬ出費はその額に関係なく、痛い。
タクシーを降りた。まだ8時すぎだった。
8時半から受け付けているという話だったので、近くのコンビニで少し時間を潰してから病院へ行った。
3階で健康診断を受けてください、と言われていたのでとりあえず3階へ行く。
多くの人がいた。
小便がしたくなってトイレに入った。トイレには何人かいて、なぜかみんな紙コップを持っていた。
受付へ行くと企業名と氏名を書かされた。順番待ちらしい。名前から想像がついていたがその病院は工場で働く人専用のところらしい。順番待ちの名簿にはいろんな企業の名前が並んでいた。
私は1泊分の大きな荷物を持って移動しなければならなかった。それがとても目立って恥ずかしかった。
それにしても人が多すぎた。人ごみの苦手な私はじゃっかん冷や汗をかいてだまりこんでいた。
最初の検査が尿検査だった。
さっきトイレで見たのと同じ紙コップを渡された。そういうことだったのか……。
さっきトイレで用をたしたばかりの私は、とてつもなく焦った。
とりあえずトイレの個室に入ってがんばってみた。ダメだった。
自分の愚かさを呪った。紙コップを見てすぐに尿検査だと気づくべきだった。健康診断なんてあまり縁がないのでそこまで気がまわらなかった。
尿が出ない旨を伝えて尿検査は後回しにしてもらった。
もう何も語りたくない。
私は人間が多すぎて精神的にキツかった。理性を総動員して気分を抑えるのに必死だった。
黒いシャツ、黒いズボン、黒い腕時計、黒い大きなカバン、ついでに黒髪黒瞳。黒一色の私はあきらかに浮いていた。だから余計に精神がダメージを受けた。
そんな酷い調子だったので、もう語りたくない。
測定結果でショックだったのは身長と視力だった。身長が167.5センチしかなかった。メガネ視力は0.5と0.3しかなく、メガネを替えるようにと言われた。
そういえば最近、よく見えなくて気分が悪くなる。一番前の席なのに黒板の文字がよく見えなかったりする。でもなぁ……、金がない。もったいない。
それはともかく。
尿検査もなんとか終えた私は病院をあとにした。
言い忘れていたが、受付に背の高い美人のおねえさんがいた。
その人にお疲れさまでした、と言われて落ち込んでいた精神が少し浮上した。
健康診断で試験は終了だった。
まだ11時で、18時のバス出発まで7時間もヒマだった。
とりあえず地図では近くに金閣寺があったので、そこへ向かった。
炎天下。黒い私は黒い荷物を持って黒い革靴で一生懸命に歩いた。
金閣寺は遠かった。
バス停7つ分くらいの距離があった。
採血されてふらふらの私はそれでもとにかく金閣寺を目指した。
京都に着いてからいまだ何一つ購入していない私は意地でも出費なしで済ませるつもりでいた。だから水も飲まず、ひたすらに歩いていた。
金閣寺の参拝ルートの入り口に着いた。「金閣寺」と書かれた立て札があったのでそれを撮って写メールにした。「金閣寺だー!」と返事が来た。
まずは木陰で休んだ。汗がどっと出た。
案内図のところに北朝鮮の言葉を話す北朝鮮の人達がいた。また、近くで英語の話し声も聞こえた。さすが名所。外国人観光客が多い。
少しして中学生がどばーっと来た。制服姿の男子女子が大勢押し寄せた。修学旅行らしい。
再び人ごみに酔う私。中学生らの記念写真に写ってしまいそうになる私。
それでもとにかく参拝ルートへ足を進めてみた。
入り口の手前に参拝料金の書かれた札があった。大人400円子供300円。
タダじゃなかったので中に入るのはあきらめた。
観光名所にタダで入ろうとした私が愚かだった。
中学の制服でも持ってくれば良かった。そうすればうまくいけば中学生達にまぎれこんで中に入ることができたかもしれない。いや、無理だけど。
金閣寺をあきらめた私はタクシーのりばに向かった。
タクシーに乗り、バスの出発まであと5時間ほどあったがとにかく京都駅に向かってもらった。
2400円くらいで京都駅に着いた。もちろんチケットを使ったのでタダだった。
地下に商店街があるのでそこでヒマをつぶそうと考えていた。
そういえば去年ここで御守り袋を買ったなぁ、と思い出した。袋だけで中身がない、見せかけだけの御守りである。私は今もそれを持ち歩いていた。もちろん、中身は無いままである。
とりあえずトイレに入った。
トイレから出た。
トイレの近くに土産用の和菓子売り場があって、そこの試食コーナーを利用した。生八つ橋のチョコ、抹茶、いちご、りんご……、などを食した。夏季限定の冷やして食べるものまであった。おいしかった。
近くに漬物屋があった。そこの試食コーナーももちろん利用する。大根とかナスとかきゅうりとかかぼちゃとか食べた。
他にもちりめんじゃこなどがあり、ひととおり食べてその区画をあとにした。
書店に向かった。すぐ近くにあった。
いろいろ本を見た。
しばらくするとあまりにもノドが渇いて、しかたなく水を買いに行った。
輸入品ばかりをそろえた店があり、少々高かったが105円の500ミリリットルミネラルウォーターを買った。
これで京都での出費は合計145円になった。ちょうど、矢口真里さんの身長と同じ数字である。ちっちぇえ。
といっても、実は会社から朝食代として500円いただいていたので、355円の収入とも考えられる。
ふたたび書店で本を漁る。文庫版『ZOO』の対談とか解説を読んだ。おもしろかった。西尾維新先生の新刊『ザレゴトディクショナル』もあった。読みたかったが袋とじになっていて読めなかった。
読めなかったといえば、乙一先生の最新小説「毒殺天使」である。
ダメ人間作家トリオ(定金伸治、乙一、松原真琴)の『とるこ日記』巻末に収録されているのだが、こちらも袋とじ仕様で読めなかった。
本に飽きた私はふたたび試食コーナーへと足を伸ばした。
いや、今度はお土産を買うのが目的である。
元母に八つ橋を三箱買って来いと命令されていたのでしかたなく、である。
一度目からかなり時間が空いていたので、店員は私が二度目だと知らずに試食を勧めてくれた。
冷やして食べるタイプのものが一番おいしかったと思う。
同様にしてまた漬物もいただき、また書店にもどってこっそり水を飲んだ。
そのようにして時間を潰していると、授業が終わった彼女からメールが来た。
そろそろ時間だったので地上に昇り、バス停へ向かった。
帰りは夜行ではないが、高知に到着するのは深夜である。
バスに乗る。席が非常口の隣だった。
東京から帰る際の飛行機でも非常口の隣だったし、そういえば今回会社へ向かうために乗ったバスでも非常口の隣だった。どうも私は非常口に好かれているようである。しかし何の意味があるのだろうか……。
驚いたことにバスは5時間もせずに高知に到着した。
元母に車で迎えに来てもらって自宅に帰った。
以上で私の京都就職試験の旅は終了である。
本当はもっとおもしろいことがあったのだが、引っ込み思案の私は多くを語らなかった。観光客に写真を撮ってと頼まれたりお年寄りのおばあさんを背負ったりしたけどイメージが崩れてしまうので語らないでおいた。
翌週の月曜日に結果の通知が届いた。
既に報告した通り、採用が内定した。
入社承諾書もちゃんと郵送したし、完璧である。
しかし問題は、全国どこの拠点に配属されるか、ということである。
3年前の先輩は名古屋に配属されているそうである。
今年入社した先輩はまだ本社で研修中らしい。
ということは、しばらくは京都で働くことになるのかもしれない。
できればずっと京都がいいのだが、無理っぽい。
余談だが、この企業には久留米高専の学生さんも採用されている。
久留米高専といえば乙一先生の母校である。
つまり私は乙一先生の後輩と同じ会社で働くことになるのである。
嬉しい。
だけどやっぱり、小説家になって乙一先生本人に会えたほうが何千倍も嬉しい。
よし、頑張ろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます