暇人に見て欲しいBLOG

別称(蔑称)、「暇人地獄」。たぶん駄文。フリマ始めました。遊戯王投資額はフルタイム給料の4年分(苦笑)。

就職試験の記録(京都) 6月13日

2006年06月22日 08時14分01秒 | 旅行など
 6月13日。
 バスの中で何度も起きた。このところ眠りが浅く、何度も夢を見ては起きたりしていた。バスのなかでもそれは同じだった。一体いつになったらこの症状は治まるのだろうか。
 京都に着いたのは午前7時だった。
 ところで、なぜか京都(終点)で降りたのは私だけだった。

 約一年ぶりの京都は、一見変わっていないようだった。実際はどうだか知らない。
 ボクは荷物をなるだけ軽くしようとして靴は革靴しか持ってきていなかった。持ってきたというより、履いてきた、というべきである。試験の時間まで4分の1日近くもあるので、少し遠い(タクシーで30分程度、バスで1時間弱程度だ)が、歩いて行くつもりだった。
 西尾維新先生の《戯言シリーズ》の主人公、いーちゃんは京都のまちをよく徒歩で移動していた。それを真似てみたかったのである。
 しかしながらその日履いていたのは弟に借りた革靴であり、相当に歩きづらかった。それでも懸命に歩いた。
 日が昇りきる前に到着したかった。というかもっと早く着いてどこかの公園でパンフレットの暗記でも試みようと思っていたので、ちんたら歩いている暇などなかった。
 京都駅から少し東へ行って南に曲がってずーっと行くと、鴨川を横切る勧進橋がある。その近くで腰を落ち着け、朝食を摂った。家から持ってきたお菓子だった。川岸におじさんがいて、それを眺めて食事した。後でまたおじさんが登場しておもしろいことになったりはしない。
 それにしても荷物が重かった。たった1泊なのになぜ重いのかというと書類とか勉強道具とかスーツとか食料とかが入っているからである。そしてひたすらに歩きづらい革靴。すでにさんさんと輝いている太陽。高めの湿度。登校中の女子高生。その他もろもろがボクの行く手をはばんでいた。あと、神社が多くて罪深いボクは恐る恐る、ちぢこまって歩かねばならなかった。嘘である。

 そんなこんなで結局、ボクはギブアップしてバス停のベンチに腰を下ろした。京都駅から乗っても、途中から乗っても、料金は変わらない。つまりボクの努力はむなしく無駄に終わったのだった。
 目指す企業の最寄のバス停で下車した。

 昨晩から一度も水を補給していないのでノドが渇いていた。だから歩いているときもずっと、水飲み場のある公園を探していたのだが、とうとう見つからなかった。
 女子高生について行って学校の冷水機を拝借しようなどと画策したりしてみたが、自分が女子高生のあとをつけている場面を想像して、犯罪だ、と思ってやめておいた。ボクはこれから大事な試験を受けるのである。その前に痴漢として捕まったのでは立つ瀬もないしやる瀬もない。というか惨め。いや、馬鹿。
 ともかく。そこから少し南に行くと大きな公園があった。体育館とかプールまで設けられている広い公園である。荷物は持ったまま水飲み場を探す。が、なかった。バレーボールの選手っぽい格好をした女性が多くいて、次々に体育館へと入っていた。もしや中に冷水機があるのではないかと思い建物の中に入ると、すぐに冷水機が見つかった。ばっちり水分を補給できた。
 草むらに木でできたテーブルとイスが設置されていたので、そこに腰を落ち着けた。
 カバンから企業の資料を取り出し、音読する。実はここに至るまで志望動機を考えていなかった。何かそれらしいことを言わないと落とされてしまうので、ともかく資料を覚えて何かそれらしい動機を考えようと思った。去年働いた親会社の資料も読んだ。声に出して読んだ。学校のテストのときはそこまでしないのに。黙読してハイ終わりなのに。
 やる気が違った。頑張って、と言われていたからである。応援してもらっていたからである。ここでやらなきゃ男じゃないぜ、だった。その割りには予習を始めるのが遅い気もするが、気にしてはいけない。

 そうこうしているうちにお昼が近づいていた。ボクは公園のトイレの個室でスーツに着替えた。ヒゲも泡なしで剃った。水だけつけて剃った。皮膚まで切って血が出ないかと不安だったが、大丈夫だった。
 トイレを出ると、外はとてつもなく暑かった。真っ黒なスーツが光を吸収し加熱される。荷物を置いていた場所に子供達がいた。ボクはできるだけにこやかに荷物を取ってその場をあとにした。
 太陽光から熱を吸収しつづけるダークスーツに、ボクはやられていた。ただでさえ暑いこの時期にこれである。汗っかきなボクは汗をたらたらと垂れ流しにしていた。さいわい、企業はすぐ近くだったので、それほど濡れはしなかったが。

 久しぶりに見るその会社は、少し懐かしく見えた。
 人事部に就職試験で参った旨を伝えると小さな会議室に通された。
 案内してくれたのは去年もお世話になった人だった。相変わらず背が高い。190はあるだろう。
 しばらく待っていると女性社員の方がお茶を持ってきてくださった。でも東京の受付嬢のほうが美人だった。
 そういえばこの企業には受付嬢が見当たらない。守衛さんはいるのに。まぁ、どうでもいいか。
 ところで前回もそうだったが今回も受験者は私一人だった。気が楽でいいのだが、友人らに話すと「えー?」と驚かれる。私はそんなに特殊な扱いを受けているのだろうか。
 しばらく待っていると190の人が来て会社説明の準備を始めた。
 プロジェクターによる会社説明や工場見学などはつまらないので省く。人事異動はほとんどなかったようで、働いている人に見覚えがありまくった。
 今回の採用は子会社(修理部門)なので、そちらのほうも見学した。想像していたよりもだいぶ小さかったので驚いた。パートさんがほとんどだった。私が採用になった場合は外回りらしいので、工場内はあまり参考にならなかった。
 本社のほうに戻って再び待たされた。
 交通費が支給された。すぐに財布に仕舞った。高速バスなので1万円を少し超えるていどである。それでも私にとって諭吉は珍しく、持つ手が震えた。
 まず面接だった。
 直前までパンフレットを眺めてはいたが、部屋のドアをノックした瞬間、きれいさっぱり忘れてしまった。
 志望動機もあまり考えていなかった。
 入り口と面接官の机の位置関係がヘンだったので私は少し迂回するようなかたちで用意されていたイスの右隣に立った。
 何をしゃべったかはすっかり忘れた。
 しかしよい雰囲気だったのは覚えている。
 東京の時は3人の面接官と私の間には大きな隔たりがあった。メガネ視力の悪い私は面接官の顔がよく見えなかった。都会の威圧感があり、居心地が悪かった。
 今回は5人の面接官が目の前にいた。それなのに威圧感がまるでなく、比較的居心地がよかった。都会のギシギシとした刺々しい雰囲気ではなかった。安心した。
 おかげで特につまることもなくちゃんと話すことができた。緊張はしていたが、そもそも対人していて緊張しないことなど私にはありえない。この程度は緊張とは言わない。厳しい指摘もなかったし、とてもラクだった。本当に面接なのかと不安になったほどである。
 そんな感じになごやかに面接は終了した。私は、やっぱり京都っていいな、と思った。面接が堅苦しくなかったのは土地柄のためだと考えたのである。
 次は筆記試験だった。
 SPIだと言われた。そういえば友人がSPIの勉強をしていたなぁ、と思い出したが、私はSPIのことなど何も知らなかった。スパイかなにかかと思っていた。マークシートを渡され、マークシート方式の試験のことらしいと解釈した。
 国語はいつもどおりフィーリングで解いた。数学に手間取った。やたらと割り算を多用する問題だった。筆算の不得意な私は四苦八苦した。「確率」の問題はすぐ諦めて適当な選択肢をマークした。焦って頭の回転が止まったりしたが、まぁ、気にしてはいけない。
 適性検査(性格診断)は落ち着いて質問に答えた。東京では錯乱して矛盾しまくりな解答をしたので、ともかく整合性を保つことに心血を注いだ。それでもつい本音(矛盾)が出てしまったが、まぁ、許容範囲内だっただろう。
 筆記試験で今日の日程は終了だった。
 明日は健康診断のためにタクシーで病院に行かなければならないようである。そのためのタクシーチケットと京都駅まで行くためのチケット、合計2枚をいただいた。
 もうここには戻らないということで、お別れの挨拶をして社員寮へと向かった。

 寮に着くと管理人らしきおじさんがカギを渡してくれた。簡単な説明を受けて自分の部屋に向かった。
 去年夏に2週間暮らした施設である。勝手は知っていた。
 新入社員が毎年クーラーのつけっぱなしで入社1週間目で風邪をひくらしく、クーラーは極力使わないほうがいいと忠告を受けた。
 その話は去年も聞いて知っていた。というか会社に着いてからというもの、去年と同じ話しか聞かない。それが妙に懐かしく思えて微笑ましかった。
 正社員の方に会わないように、食事と風呂は誰もいないうちに済ませた。
 すぐ部屋に戻って、その日はずっとメールしていた。


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