
リッタースハウゼンの木管フルート、榎田先生が頭部管の割れを治してきてくださいました。

在りし日の丸ビル

スカイラウンジ トップサーティ


で作曲されました。



とヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム
けれどタンポが乾いてボロボロに。
今とは規格が違う薄いタイプのタンポで替えがないらしいです。
吹かせてもらいましたが、上手くならせません。
先生は吹けるんだけれど…。
アンサンブルのメンバーたちも吹いてみましたがなかなか…。
結局榎田先生が、
「オープンG#だけじゃ無くてさ、ブリジアルキーも違うだろ。こんな楽器吹けるの世間広しと言えども俺ぐらいだからさ。俺の持ってるベーム式の木管と交換してあげるよ。」
「確かに…。」
というわけで、またまた先生お持ち帰りになりました。
「ちょっと時間かかるかもしれないけど…。」と、いつになるんだろう?
木管フルート欲しいです。
月曜日夜はドボルザークの「セレナーデ」第1楽章を練習しました。
それからヘンデルの「アレキサンダーの饗宴」合奏協奏曲、休憩を挟んで、「テイク・ファイブ」「煙が目にしみる」
「煙が目にしみる」は「みなさんの演奏は元気よすぎるんですよ。高音に向かってもっと減衰して、小学生みたいな演奏だよ。」
「丸ビルの上のバーラウンジで呑んだことありますか?大人の感じ。」「丸ビルもう無いけと…。」と隣のA氏。

在りし日の丸ビル

スカイラウンジ トップサーティ
それはともかく初めからやり直し。
「今でやっと20歳くらいです。もっと大人の感じ、枯れたおじさんみたいに。」
「テイク・ファイブ」は5拍子が難しい。
私はダルセーニョの後分からなくなってしまいました。
「迷子になったわ」ととなりのメンバーに言うと「あ!このセーニョ、ウソウソ。こっちに飛ぶんだ。」と楽譜のミスプリントでした。休んでたから伝わって無かった…。
「また、ちゃんと練習しててくださいよ。」とこちらはなりました。
クラッシック音楽で枯れた感じと言えばブラームスの「クラリネット五重奏曲」を挙げる人も多いです。
ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms(1833- 1897年)ハンブルク生まれ、ウィーン没

クラリネット五重奏曲 (ブラームス
ヨハネス・ブラームスのクラリネット五重奏曲ロ短調 作品115は、彼の晩年に完成しました、
ブラームスを代表する室内楽曲の1つです。
1891年の夏にバート・イシュル

で作曲されました。
姉妹作の《クラリネット三重奏曲 イ短調》作品114と同時期の作品です。
ブラームスは夏の時期に様々な避暑地を訪れていましたが、何度か訪れていたこの避暑地以上に快適な土地はないと、前年からその地で夏を過ごすようになっていました。
バート・イシュル滞在中にブラームスは興が乗り、珍しく速筆で作品を仕上げています。
この2曲の初演は非公開を前提に、マイニンゲン公ゲオルグ2世(1826-1914年)

の宮廷

マイニンゲン宮廷劇場
において11月24日に行われました。演奏者は、クラリネット奏者のリヒャルト・ミュールフェルト
において11月24日に行われました。演奏者は、クラリネット奏者のリヒャルト・ミュールフェルト

とヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム

マイニンゲン宮廷管弦楽団のメンバーでした。
このときと同じ顔ぶれによる公開初演は、ベルリンにおいて12月10日に行われ、熱狂的な反響を得て全曲が繰り返し演奏されました(ただしその2日後の上演は、評価が芳しくなかったという)。とうとう1892年1月5日にウィーン初演が行われました。
このときの演奏者は、クラリネット奏者のフランツ・シュタイナー(1839 - 1902)と、ロゼー四重奏団でした。それから15日遅れで、ミュールフェルトとヨアヒム四重奏団もウィーンで上演を行って大成功を収め、この時は無条件で称賛の念を表す批評で占められました。
ブラームスは、《クラリネット五重奏曲》のあまりの評価の高さに対して、「自分は《三重奏曲》の方が好きだ」と言っています。
第1楽章
アレグロ(ロ短調、6/8拍子、ソナタ形式)
第2楽章
アダージョ(ロ長調~ロ短調~ロ長調、3/4拍子、三部形式)
第3楽章
アンダンティーノ(ニ長調の間奏曲、4/4拍子)
第4楽章
コン・モート(ロ短調、2/4拍子、変奏曲形式)
自分の技量では大きな音で演奏するのが難しく、金欠の悩みもあって維持できず、やむを得ず売却しました。
唯一の木製だったので所有し続けるべきだったかも、と先生の記事を読んで後悔しています。
ヘルムートハンミッヒ級のビンテージかもしれません。
本当に、名器だったのかも。
私が持っていたリッターズハウゼンも頭部管はとてもいい感じでした。
しかし、
せっかくの名器もメンテナンスできなければ…。
私の楽器も残念ですが、持つべき人のところにいけてよかったです。