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ヒトラーに愛された音楽家

2021-03-06 00:15:50 | 音楽
ミモザと梅、先週買って来たら、満開。
ちょっと開きすぎ?

レハールのメリーウィドウはヒトラーに愛されていましたが、他にも愛された音楽家たちはいました。

リヒャルト ゲオルグ シュトラウスは、1930年に第三帝国音楽院総裁に着いていました。

指揮者のヴィルヘルム フルトベングラーは副総裁。

シュトラウスは息子の妻がユダヤ人だったので断れなかったと戦後裁判で認められています。

1934年、フルトベングラーはパウル ヒンデミットのオペラ「画家マティス」を企画上演します。
オペラは大成功でした。
ヒンデミットは帝国音楽院の顧問でしたが、ユダヤ人と組んで弦楽三重奏をレコーディングするなどしていたので、その年ナチスの機関誌が「堕落の旗手」と書くと、ゲッペルスに「無調の騒音作家」とされ、1936年公式に演奏が禁止されます。

フルトベングラーはこれに対して「根拠の無い言いがかりである。ヒンデミットは 現代ドイツの 音楽において 必要不可欠な人物であり、 容易に切り捨てることは いかなる理由があろうとも許されるべきではない」(音と言葉)
と、抗議し、 これに呼応しドイツ国内外で支持のデモが 起きています。
これによりヒンデミットは亡命、フルトベングラーは帝国音楽院を辞任しています。

1935年、シュトラウスはユダヤ人シュテファン ツヴァイクが台本を 担当した オペラ「無口な女」を上演したことで ナチスに攻撃され 総裁を辞任しています。

その後を引き継いだ ペーター ラーベ、 パール グレーナー が引き継いでいます。
グレーナーはゲッペルスと対立 辞任しようとしますが慰留されます。

ワーグナーやリストもヒトラーが崇拝していましたが、亡くなっていたので、彼らは究極の選択をせずにすんだとも言えるでしょう。