健康食品№1 「小田原名産 精選白梅干」

「医者を殺すにゃ刃物は要らぬ。一日一粒の梅干があればいい」との諺があります。梅干で健康を得たい方の為のページ。

北方領土問題解決は国際会議で

2018-12-11 16:49:05 | Weblog
 ファイルを整理していたら、日経ビジネス1992年11月2日号にタイ
トルの見出しで、グレゴリー・クラーク氏(当時、上智大教授)の
記事が出て来ました。

1. 択捉・国後を含む返還主張は不適切

  色丹島と歯舞諸島は以前、北海道に属していた。これに対し、
  択捉島と国後島はクリルないしは千島列島の一部で、1951年に
  締結された、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄すること
  を求められた列島の一部である。

 ①西欧の地図、特にサンフランシスコ条約締結当時に「千島列島」
  に触れた資料では、はっきりと千島列島に含まれている。J・F・
  ダレス(サンフランシスコ条約起草者)は択捉と国後について
  は一言も触れていない。

 ②条約締結前後の51~54年に残された、関係者の公式コメント、
  及び報道用のコメントで、日本が不承不祥ながら、サンフラン
  シスコ条約において択捉と国後を失ったと考えていたことが確
  認できる。

 ③51年10月19日の国会での質問に対して、日本外務省の西村条約
  局長は、「千島列島」に「南千島、すなわち択捉と国後」が含
  まれることを確認している。

 ④45年2月のヤルタ会談で、ソ連が日本へ宣戦布告するのと引き換
  えに、千島列島を保有することに米国は同意した。もしモスク
  ワが、「伝統的な領土」という主張を、領土の一部返還の理由
  として受け入れるならば、ほかの一切の戦後の領土取り決めが
  脅かされる。例えば、中央ヨーロッパの「伝統的ドイツ領土」
  が、ドイツの領土主張の対象となるであろう。

 ⑤日本の外務省はサンフランシスコ条約交渉時の資料公表を拒ん
  でいる。しかし、これは米国では既に公表されており、吉田元
  首相が日本の言い分を守ろうとどのように努力したか、米国と
  他の連合国がそれをいかにして拒否したかが記されている。

2. 54年の立場にも戻れば見込みはある

  こうした状況下、日本は従来の外交姿勢を変えるべきであるの
  は明らかなように思える。すなわち、色丹と歯舞は千島列島の
  一部では決してない、という論拠のもとに、「伝統的」な領土
  とし両島の返還を求める。同時に日本はサンフランシスコ条約
  で放棄することを強制されたすべての領土、すなわち樺太と千
  島の最終的解決を目指した国際会議の開催を求めるべきだ。

  その際には、日本は択捉と国後に対する権利を保持するために、
  吉田元首相が多大な努力を払った事実(日本は強制的に領土の
  放棄を迫られたのだと主張できる)を根拠に、この2島領有を
  主張できる。その場合には、日本はいったん領有権を放棄する
  形になるのだが、こうした手順を踏めば、モスクワのメンツを
  つぶすことなく、中央ヨーロッパの領土問題についての危険な
  先例になることもない。

  …
  日本がもし54年の立場に戻るなら、少なくともその立場はより
  論理的になり、国際世論の理解も受けやすくなるだろう。領土
  返還の見込みは十分あると考えられる。


「国際会議で決着を図る」と言う考えは、なかなか日本人には思
いつかない。それにしても、(戦争による)受けた苦しみは何と長
く続くのだろう。受けた恩恵は忘れやすいのと反対に。小田原梅干
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