ファイルを整理していたら、日経ビジネス1992年11月2日号にタイ
トルの見出しで、グレゴリー・クラーク氏(当時、上智大教授)の
記事が出て来ました。
1. 択捉・国後を含む返還主張は不適切
色丹島と歯舞諸島は以前、北海道に属していた。これに対し、
択捉島と国後島はクリルないしは千島列島の一部で、1951年に
締結された、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄すること
を求められた列島の一部である。
①西欧の地図、特にサンフランシスコ条約締結当時に「千島列島」
に触れた資料では、はっきりと千島列島に含まれている。J・F・
ダレス(サンフランシスコ条約起草者)は択捉と国後について
は一言も触れていない。
②条約締結前後の51~54年に残された、関係者の公式コメント、
及び報道用のコメントで、日本が不承不祥ながら、サンフラン
シスコ条約において択捉と国後を失ったと考えていたことが確
認できる。
③51年10月19日の国会での質問に対して、日本外務省の西村条約
局長は、「千島列島」に「南千島、すなわち択捉と国後」が含
まれることを確認している。
④45年2月のヤルタ会談で、ソ連が日本へ宣戦布告するのと引き換
えに、千島列島を保有することに米国は同意した。もしモスク
ワが、「伝統的な領土」という主張を、領土の一部返還の理由
として受け入れるならば、ほかの一切の戦後の領土取り決めが
脅かされる。例えば、中央ヨーロッパの「伝統的ドイツ領土」
が、ドイツの領土主張の対象となるであろう。
⑤日本の外務省はサンフランシスコ条約交渉時の資料公表を拒ん
でいる。しかし、これは米国では既に公表されており、吉田元
首相が日本の言い分を守ろうとどのように努力したか、米国と
他の連合国がそれをいかにして拒否したかが記されている。
2. 54年の立場にも戻れば見込みはある
こうした状況下、日本は従来の外交姿勢を変えるべきであるの
は明らかなように思える。すなわち、色丹と歯舞は千島列島の
一部では決してない、という論拠のもとに、「伝統的」な領土
とし両島の返還を求める。同時に日本はサンフランシスコ条約
で放棄することを強制されたすべての領土、すなわち樺太と千
島の最終的解決を目指した国際会議の開催を求めるべきだ。
その際には、日本は択捉と国後に対する権利を保持するために、
吉田元首相が多大な努力を払った事実(日本は強制的に領土の
放棄を迫られたのだと主張できる)を根拠に、この2島領有を
主張できる。その場合には、日本はいったん領有権を放棄する
形になるのだが、こうした手順を踏めば、モスクワのメンツを
つぶすことなく、中央ヨーロッパの領土問題についての危険な
先例になることもない。
…
日本がもし54年の立場に戻るなら、少なくともその立場はより
論理的になり、国際世論の理解も受けやすくなるだろう。領土
返還の見込みは十分あると考えられる。
「国際会議で決着を図る」と言う考えは、なかなか日本人には思
いつかない。それにしても、(戦争による)受けた苦しみは何と長
く続くのだろう。受けた恩恵は忘れやすいのと反対に。小田原梅干
トルの見出しで、グレゴリー・クラーク氏(当時、上智大教授)の
記事が出て来ました。
1. 択捉・国後を含む返還主張は不適切
色丹島と歯舞諸島は以前、北海道に属していた。これに対し、
択捉島と国後島はクリルないしは千島列島の一部で、1951年に
締結された、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄すること
を求められた列島の一部である。
①西欧の地図、特にサンフランシスコ条約締結当時に「千島列島」
に触れた資料では、はっきりと千島列島に含まれている。J・F・
ダレス(サンフランシスコ条約起草者)は択捉と国後について
は一言も触れていない。
②条約締結前後の51~54年に残された、関係者の公式コメント、
及び報道用のコメントで、日本が不承不祥ながら、サンフラン
シスコ条約において択捉と国後を失ったと考えていたことが確
認できる。
③51年10月19日の国会での質問に対して、日本外務省の西村条約
局長は、「千島列島」に「南千島、すなわち択捉と国後」が含
まれることを確認している。
④45年2月のヤルタ会談で、ソ連が日本へ宣戦布告するのと引き換
えに、千島列島を保有することに米国は同意した。もしモスク
ワが、「伝統的な領土」という主張を、領土の一部返還の理由
として受け入れるならば、ほかの一切の戦後の領土取り決めが
脅かされる。例えば、中央ヨーロッパの「伝統的ドイツ領土」
が、ドイツの領土主張の対象となるであろう。
⑤日本の外務省はサンフランシスコ条約交渉時の資料公表を拒ん
でいる。しかし、これは米国では既に公表されており、吉田元
首相が日本の言い分を守ろうとどのように努力したか、米国と
他の連合国がそれをいかにして拒否したかが記されている。
2. 54年の立場にも戻れば見込みはある
こうした状況下、日本は従来の外交姿勢を変えるべきであるの
は明らかなように思える。すなわち、色丹と歯舞は千島列島の
一部では決してない、という論拠のもとに、「伝統的」な領土
とし両島の返還を求める。同時に日本はサンフランシスコ条約
で放棄することを強制されたすべての領土、すなわち樺太と千
島の最終的解決を目指した国際会議の開催を求めるべきだ。
その際には、日本は択捉と国後に対する権利を保持するために、
吉田元首相が多大な努力を払った事実(日本は強制的に領土の
放棄を迫られたのだと主張できる)を根拠に、この2島領有を
主張できる。その場合には、日本はいったん領有権を放棄する
形になるのだが、こうした手順を踏めば、モスクワのメンツを
つぶすことなく、中央ヨーロッパの領土問題についての危険な
先例になることもない。
…
日本がもし54年の立場に戻るなら、少なくともその立場はより
論理的になり、国際世論の理解も受けやすくなるだろう。領土
返還の見込みは十分あると考えられる。
「国際会議で決着を図る」と言う考えは、なかなか日本人には思
いつかない。それにしても、(戦争による)受けた苦しみは何と長
く続くのだろう。受けた恩恵は忘れやすいのと反対に。小田原梅干