健康食品№1 「小田原名産 精選白梅干」

「医者を殺すにゃ刃物は要らぬ。一日一粒の梅干があればいい」との諺があります。梅干で健康を得たい方の為のページ。

清左衛門地獄

2008-04-29 06:42:46 | 地域おこし
 昔、清左衛門という者が良い水源を探しにここまで来ると、乗っていた馬もろとも地中深く落ちこんでしまった。そしてそこから勢いよくたくさんの水が湧き出してきた。その様な伝説の残る池です。
 富士フィルム(株)神奈川工場創設の有力な立地条件となった池と言われています。近くの同社宅の敷地から5~6000年前の縄文時代の住居跡が発見されたので、その頃には、既に存在していたことになります。
 傍に湧き水がありますので、箱根外輪山に注いだ雨が地下水となって表出したのでしょう。水のある所に水神が祭られ、集落が形成される。樋口忠彦氏の言う「水分(みくまり)神社型空間」を形成していたのであろう。
 箱根外輪山の麓に沿って小田原から大雄山まで、大雄山線が走っています。この沿線は山の辺・川の辺の空間を形成しています。青年期の私は「我々は明日何処に住むか」というテーマに強く関心を抱いていました。「大雄山線沿線はサラリーマンの住宅地としては最適。」と言えます。  小田原梅干  
  樋口忠彦著:「景観の構造」
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朝ドレファ~ミ♪

2008-04-23 14:37:46 | ビジネス
 JAかながわ西湘の大型農産物直売店「朝ドレファ~ミ♪」がオープンしたので、覘いてみることにしました。県西地域の農家約320軒が出荷登録し、地元の生産者と消費者を結ぶ大型施設です。
 キャベツ、トマト、大根、たけのこ、イチゴ、ミカン類など。梅干、梅ジャム、パン類も。(梅干は、私が販売しているものの方が品物も価格も良さそう。)野菜などには、生産地と生産農家の名前が入っています。スーパーでは見かけない名前です。
 夏ミカンを購入し、スーパーで購入した他県産のものと食べ比べてみました。甘みは若干落ちるものの、遜色ありません。大きさ・値段では、はるかに勝っていました。既存の流通経路では篩にかけられてしまうのでしょう。玄米も売られていました。希望すればその場で精白してもらえます。7分づき米も可能でしょう。
 南足柄市では、学校給食と地元生産農家との直接納品の取り組みも始まっています。先進国で食料自給率が50%以下の国は日本だけです。この様な取り組みによって、自給率がもっと上がるといいですね。 小田原梅干 
 「朝ドレファ~ミ♪」は、小田原厚木道路・小田原東インターチェンジの近く。営業時間:午前9:30~午後6時 定休日:毎週水曜日 お問合わせ:電話 0465-39-1500
  
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箱根 明神岳

2008-04-16 07:39:57 | 地域おこし
 大雄山・最乗寺を左手に折れると、「明神岳まで2時間」の標識が出てきます。なだらかな山道を登っていくと、うぐいすの鳴き声が聞こえます。久しぶりの明神岳です。1時間程登ったところで振り返ると、眼下に足柄平野、曽我山、相模灘が広がっています。金時山と違って、頂上までなだらかなので登り易いかも知れませんね。
 富士山もはっきり見えました。手前の山は金時山です。頂上には風除けが無く、少々寒い。山小屋も無いのが、人気がイマイチの理由でしょうか。その分見晴らしは抜群で、神山・駒ケ岳・大涌谷等も目の前に見えます。
 帰りは「矢佐芝方面」の標識従い、直下に降りて来ました。実は以前、道に迷ってしまい、藪の中を進む羽目に成ってしまいました。その為のルートの確認が今回の目的でしたが、標識もルートも分かり易くなっていました。おまけに、途中で美味しい湧き水も発見し、お薦めのルートとなりました。
 鈴木忠義氏(東工大名誉教授)によれば、「富士箱根伊豆」はオールシーズン型の観光地であり、広義の田園都市圏です。小田原から東京までは新幹線で40分程、新宿までは小田急線・ロマンスカーで1時間強の位置にあります。新幹線通勤者には小田原市から補助金も出ます。
 かっては伊藤博文、山形有朋といった首相経験者、益田孝、野崎廣太、松永安左ヱ門といった財界人も住んでいました。あなたも住むことを検討されては如何ですか?  小田原梅干  
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熱海 起雲閣

2008-04-10 08:25:37 | Weblog
 起雲閣(きうんかく)は、政・財界で活躍し“海運王”とも呼ばれた内田信也により1919年(大正8)に建てられました。日本の伝統的な建築美を伝えるこの建築「麒麟」は、東向きに建てられています。
 その後、根津嘉一郎(東武鉄道・創業者)の所有となり、1932年(昭和7)洋館「玉姫」「玉渓」が増築されました。「玉姫」はアールデコ調のダイニングルーム、「玉渓」は暖炉を持つ、チューダー様式のリビングルームです。共に南向きに建てられています。
 「麒麟」「玉姫」「玉渓」を見る限り、どの建物も日当たり・風通しがすこぶる良い。旧帝国ホテルの設計者・ライトが住宅建築で推奨した手法です。しかし、敷地利用としては巽落ち(南東方向が抜ける)で、日本では嫌われています。ここに根津の斬新性を見る思いがしました。
 1947年(昭和22)に旅館として生まれ変わり、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、船橋聖一、武田泰淳などの文豪達にも愛されてきました。川の流れを取り込んだ庭園といい、一度あなたも見学されると良いでしょう。小田原梅干
⇒熱海 起雲閣
  
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文命堤

2008-04-02 09:26:08 | 地域おこし
 今年も随所で、桜を楽しむことができました。あなたは如何でしたか?写真の桜は何処にあるかと言いますと、実は堤防の上(天端・「てんば」と読む)にあります。最大幅で50m。治水上、重要な役割を担っています。
 小田原北条氏が秀吉に滅ぼされて後、徳川家康は大久保忠世を小田原城主としました。忠世は足柄平野全体にかんがいし、米作をさせようと、流路を平野の中央寄りに移す決意をしました。その為の堤防でした。ところが富士山の噴火(1707年)やらで、なかなか進展しません。結局、1726年・田中丘隅、1735年・蓑笠之助の働きによって完成を見ました。
 忠世は武田信玄の釜無川の治水工事に、ヒントを得たのではないかと見ています。旧・御勅使川と釜無川との合流地点である現・信玄橋一帯が洪水に見舞われていました。それで、竜王の高岩(竜王鼻)に堤防を築いて御勅使川の流路を北へ移し、釜無川水流の制御をした訳です。
 現在、どちらも水の辺の憩いの場となっています。尚、記事を書くに当たり、南足柄市・「市史の散歩道227、228 いにしえ探訪」を参照しました。小田原梅干  
 
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