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考えてみるより先に、キレた代理である。2017-09-30

2020年01月29日 | まったくの「わたくしごと」

代理の嫌いなこと。

それは、まず、自分が行っていないか

考え直さなければならない。。

だが、無性に自分を省みず

暗鬱な気分になる。

この不安な情勢の中、選挙など、とんでもない。

その一言が、

幕を引かせた。

 

端的に言えば、

この不安な情勢の中 批判だけしていて、とんでもなくないのか?

 

選挙になっていった、根本を、勝手にこじつけるメデイアや与党の

発言を真に受けてるとは思わないが

決まったことに対して、

どういう、考えを持っていけば良いかを考えていけば

「北朝鮮に対する対応について、国民の信義を仰ぐ」

と、いうのであれば、

どれだけ、国民の思いがまとまっていないかを言われている。

 

では、自分はどう考えるか。

 

そういうことではないか?

 

その答えが今やるなんてとんでもない。

が、答えか?

問われた問いに対して、

私はこう考える。

だから信任する、不信任になる。

それは、ちゃんと考えていると思う。

 

だが、今やるなんて、とんでもない。

と、言うのであれば、

今、やらなきゃならないように、

問題の本質を見ず、

答えにならない回答で

人民を惑わしてしまうだけになるからこそ

今になってしまうのだろう。

誰が、そうさせたのだ?

 

 

反対なら反対で良い。

自分を省みず、自分の考えをだしていかず、

くそ文句をたれている。

問題はそんなことじゃない。

例えば、北朝鮮に対する制裁措置。

それを自分はどう考えて反対するか、賛成するか

その考えを周りに示していくのなら判る。

 

何故、阿部さんがそうしたのか、

いろんな意味合いで推し量ってみることのほうがだいじじゃないのか?

その結論を出せばよいと思う。

 

1国の首相がこの憂慮の時に

国民に仰がなければならない。

そんな、まとまりのない国が

中味はどうあれ、

金正恩のほうが、よほど、国民をまとめている。

こんな状態で仮に戦争に突入したら

日本は勝てるわけがない。

 

そんな風に、憂慮は外に有るのでなく、

国民自らの中にあることを思わされる。

 

*******

「戦のことです」
やっと茶を口に啜ると沖田は
お勝に言ってもせん無い事を事実のままに答えた。
「十八史略・・司馬遷の兵法の書です」
「はあ・・よその国の兵法がこの国のことにもあてはまりおすか?」
聞きなれない司馬遷という名前が
この国の人間の物でないと悟る、お勝の聡さに
沖田はいくばくか驚いた。
けれど、もっと驚いたのはお勝の言った言葉が
沖田の思いそのものだったことである。
兵法の神とまでいっていい司馬遷であるが
この国が抱える内憂外患は
大国の内輪争いの考えでは解ききれない複雑さがある。
けれど、どんな兵法の書による手引きより恐ろしい見識が沖田にはある。
和国においては武田信玄による。
「人は生垣」
城を護るは結句人脈。
人を大切にした城主こそが人によって護られる。
この裏側は恐ろしい。
城主を載せる生垣がどんな想いであるか。
想い一つを間違えれば城は城主を載せたまま崩れ去る。
今、この国が城主を載せる想いに憂いている
尊皇攘夷。倒幕。勤皇。
いろいろの想いが交錯し愚劣にも、
下克上を夢見る見当違いのやからさえいる。
国の生垣が一つに纏まらない状態で外に患いを抱える。
―国が成り立つはずが無い―
城が崩れるは内からというが、
正に司馬遷とて防ぎきれない亡国の図式である。
仮になんらかの手立てがあったとして、
良薬を布くに布けないほどこの国の病巣は急速に悪化していた。
結句、新撰組も国を護る為というより
既に広がり続ける病巣の拡散を防ぐ為だけに存在するが如くであった。

 

 

 

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