ある発見をしたといったら、大げさか?
ちょこちょこ、書いていることだけど、
OHをすると、メーカーが仕組んだ音質が変わる。
つまり、悪くなる。
もしくは、オリジナルの音でなくなる。
などと、本気で書いてる修理屋さんが何人かいて
もう、びっくり!!
実際、へたったコンデンサで、クラック寸前の劣化半田では
元の性能などどこかにふきとんでる。
「それをして、オリジナルの音だというのか?」
と、いう高橋の説明をきいて、納得できた。
では、なぜ、
元の性能に戻すということを・・・、
そして、当時ではそこまでの性能がなかったコンデンサを良いものにかえることを、
「OHすると、オリジナルの音でなくなる」
と、いうのだろう?
ふたつ、考えられる。
一つは、メーカーでチョイスしたコンデンサが、的確だと信じているということだろう。
たいていが、コストダウンのために性能が並(場合によっては、並以下)のコンデンサを使う。
音にかかわる部分こそ良いものをつかっていても、
関わらない部分はもろにコストダウンをはかっていると判るコンデンサがある。
そして、良いものをつかっていても、今になると、その当時より質の良いコンデンサが開発されている。
きちんと音響用のコンデンサのくせのないものを選んでつけている当方になると、
OHだけでも、ちょっとした、音質改善になっている。
だが、幾度となく修理をこなしているだろう修理屋さんに、OHでよくなるということが判らないはずがない。
やむをえず、コンデンサを別のものにつけたら、
よくなったり、わるくなったり、変化があり、
これでは、色づけしてしまうとか、自然で癖がないとか、厳選していくことにつながろう?
二つは、
まるっと、高橋の受け売りだが
「さわっちゃいけないところと、触って良くなるところがあり、ここをわかっていないで、やみくもに変えることはしちゃいけない」
よく、たとえにだすが、当方では、
音質改善をするのでも、機器本体を健康にしてから(OHを意味する)で、ないと、
音質改善はしない。
基本性能がちゃんとなってない状態で、音質改善などとんでもない。
たとえていえば、
まともなことをせず、いきなりオペアンプをつけるとか、
そのオペアンプでも、機器とのトータルバランスな音を考えずにつけちゃうとか・・。
(と、いっても、基本性能をちゃんとしてないから、なおさら、バランスが崩れてしまうのだが)
そういう「さわっちゃいけない」をそのまま実行する。
「さわっちゃいけない」が判っていないから、「どうすれば、さわれるか」が判らない。
技術的には当然、さわれるものだけど、
音として、どうかということをいう。
こういうことが、判ってないから
オリジナルの音でなくなるという神話を流布させてしまうのだが、
専門職ということもあり、専門家がいうのだからと信じてしまう処も大いにあるだろう。
オリジナルの音でなくなる。
と、いうこの台詞に高橋がいう。
「では、オリジナルの音をしっているのだろうか?」
知っているのは経年劣化の半田やらコンデンサのだしてる音であり
それは、オリジナルだろうか?
それとも、きんきん音にかわってしまった「わかってない人がおこなったOH」をみて
判断しているのだろうか?
誰だったが、音質改善などしても良くならないと宣っていたけど
これも、「わかってない人がおこなった音質改善(正確には改悪だろうけどwww)」しか知らないのだろうと
思う。
どうすれば、本当に良くなるかが判らない人は
判らない自分をスキルが足りないと認められないか
気が付かないのだろう。
このあたりは、高橋が自分で言う。
「スキルがたりない」
この言葉は裏を返せば、現時点ではもっともっと良くなる方法を探し当てられないという意味合いで
「良くわかってない人」の「スキルがたりていない」というのとは質が違うと思う。
根本姿勢のどうすれば、もっともっと音が良くなるかという処の立ち位置として
スキルがたりないと認めるということは、
ーなんとかして、音をよくしたいーのに、というのがある。
ところが、
オリジナルの音でなくなるなどというもっともらしい言い訳を言う方は
自分にオリジナル(知っていたとして)をこすものを作り出すスキルがないという裏側を暴露していると思う。
本来、そういう方が言うべき台詞であろうに、
自分にはスキルがないとはいわない。
こういう裏側を突き崩してしまうだけのOHや音質改善を行う人も少なく
そういう方が施工したものを聴く機会もすくないのだろうし
修理屋さんとなれば、なおさら、
きちんと良くした機器が自分のところにやってくることはないわけですから
OHでさえ、機器の伸び代をあげていくということを知らぬまま
自分にはスキルがないんですよとは、思わず
あらたな神話をつくってしまうのでしょうね。
もう、いまや、機械がふるくなって
OHしてやらないと、風前のともしび、もしくは
劣化した音に耳がエージングされてしまうという状態になっているのに
OHでオリジナルの音が変わるという保守的な構えでなく
仮に発売当初のオリジナルの音がきけたとしても、その音でさえ、もう、いまになれば、性能を引き出せていないんだ。ということを
認めて、
より、いっそう、性能をあげてやるんだという構えにかえていかなければ、ならない。
そんな時代の変換期にはいっているんだということは、事実だと思う。
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