報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

補足: チャベスとIMF

2007年05月25日 00時48分05秒 | ■中南米カリブ
前回の記事で、ひとつ書き忘れをした。
一行ですむのだが、それではなんなんので少しだけ付け足しておきたい。


2002年4月にチャベス大統領に対してクーデターが行なわれたが、このとき暫定政権の大統領に就いたのは、ペドロ・カルモナという人物だった。カルモナはベネズエラ経営者連盟会長で、ベネズエラの財界や富裕階級を代表する人物のひとりだ。

クーデターで誕生したこのカルモナの暫定政権を支持した国はごくわずかだった。たったの二日天下だったので、支持や承認をするヒマがなかったと言える。また別の見方をすれば、支持を表明した人たちは異様に判断が素早かったと言える。普通、二日程度の時間では、まともな情報収集も分析も判断もできない。いち早くクーデターを支持した人たちは、そもそも情報収集も分析も最初から必要なかったのだろう。

その人たちとは、
まず、ジョージ・W・ブッシュ・アメリカ大統領。
これは当然すぎるほど当然だろう。公式にチャベス大統領を非難し続け、チャベス大統領を国際的な孤立に追い込み、クーデターを企む勢力に動機と勢いを与えた。また実際的な支援を反チャベス派に行なっていたことも明らかになっている。
それから、アスナール・スペイン首相(当時)も暫定政権を支持した。
アスナール首相は、翌年のブッシュによるイラク攻撃を支持し、1300名の戦闘部隊を派兵するなどブッシュの良き同盟者だった。

そして、アメリカとスペインとともに、ペドロ・カルモナの暫定政権を驚くほど素早く支持した組織があった。
そう、IMFだ。
前回、書き忘れたのはこれだ。

(暫定政権に対して)国際通貨基金(IMF)や米国大統領、それに欧州連合(EU)の現議長国スペインのアスナール首相が熱烈な支持を示した。
http://www.diplo.jp/articles02/0206.html
     
ベネズエラの民主的な選挙で選ばれた政府が軍事クーデターによって転覆させられたわずか数時間後、IMFは「ふさわしいと彼らが考える如何なる方法でも[ペドロ・カルモナの]新政権を喜んで手助けする」と公然と言明した。

新たに据えられた独裁政権――国の憲法、議会や最高裁判所を直ちに解消したそれ――に金融援助をするというこの即座の表明はIMFの歴史において前例のないことであった。通常IMFは、選出された政府に対してすらこれほど迅速に反応することはない。
http://agrotous.seesaa.net/article/41544884.html#more

クーデターの首謀者のひとりペドロ・カルモナが暫定大統領に就いたのが、4月12日の午前6時。IMFがこの新政権を「喜んで援助する」と声明を発表したのが午前9時30分。新政権発足から、たったの4時間半(-1時間の時差により)しかたっていない。それだけの時間で、クーデター首謀者や実行者の人定(クーデターに加担した将軍は14人もいる)から、クーデターの動機・性格、今後の成り行きまでを分析し、ステイトメントを準備し、記者会見を行うというのは神業に近い。要するに、IMFは明らかにそうした情報収集や分析の必要などなかったということだ。

このクーデターには、アメリカ政府が関わっていたということはいまでは疑いの余地はない。ワシントンに本部を置く、アメリカの付属機関であるIMFが事前に計画を知らされていたとしても不思議はない。不自然なほど素早い声明が行なえた説明がほかにあるだろうか。このときのトマス・ドーソン報道官の記者会見の模様(ビデオとトランススクリプト)はIMFのサイトで閲覧できる。
http://imf.org/external/mmedia/view.asp?eventID=93

アメリカ政府やIMFによる不自然なほど素早い支持発表は、国際社会に向けたメッセージだったと言える。”我々に続け”ということだ。アメリカの顔色を伺わなければ、国際社会で何も発言できない政権は多い。また、アメリカの意向にあえて反対する政権もすくない。そして、IMFの管理下にある、あるいは影響下にある国々にとっては、IMFが公式に支持表明した暫定政権に対して取れる選択肢はひとつしかない。つまり、アメリカとIMFがカルモナの暫定政権をいち早く支持することによって、国際社会のほとんどの国が自動的に支持することになるという仕組みだ。

しかし幸い、クーデターは二日で幕を閉じた。アメリカ政府もIMFも、まさかたった二日後にチャベス大統領が生きたままミラフローレス(大統領宮殿)に戻ってくるとは夢にも思っていなかったに違いない。だから、不自然なほど素早い支持表明を臆面もなくできたのだ。自分たちの力を過信しすぎていたのかもしれない。あるいは、ベネズエラ国民やチャベス大統領、政府スタッフの力をみくびっていたと言えるかもしれない。


[スペイン前政権、クーデターを支援]

アメリカ、IMFとともに、2002年のカルモナの二日政権を支持した、スペインのアスナール首相(当時)についても若干のべておきたい。

アスナール政権は、イラク戦争に1300名の実戦部隊を送るなど、アメリカのよき同盟者だった言える。しかし、スペイン国民は、そのようなアスナール政権を拒絶した。2004年3月の選挙で社会労働党のホセ・ルイス・サパテロにあえなく敗れた。

そして、アスナール政権が倒れると、チャベス大統領はスペインを訪れた(2004年11月)。このとき、スペイン新政権の外務大臣モラティノスはチャベスの訪問に合わせて重大な発言をした。
「前政府の下で、(カラカス)のスペイン大使は、クーデターを支援せよ、というスペインの外交上前代未聞の命令を受け取った」
とモラティノス外相は国営テレビのインタビューで語った(04年11月23日)。
チャベス大統領は、
「それが行なわれたことに疑問の余地はない。スペイン大使は唯一、アメリカ大使とともに反乱者を承認した」
と答えた。
http://www.indymedia.org.uk/en/2004/11/301754.html

対米重視政策を採っていたアスナール前政権は、アメリカの反チャベス策略にかかわっていた可能性が高い。
結局のところ、2002年の反チャベス・クーデターを不自然なほど素早く支持したのは、すべて直接間接の当事者だったから、ということなのだろう。


今日に至るまで、チャベス大統領に対する再クーデターや暗殺の危険は消えていない。
また、IMFは2003年からベネズエラの経済成長率を故意に低く見積もり続けているという報告もある。
http://www.cepr.net/documents/publications/imf_forecasting_2007_04.pdf





IMF・世銀、ベネズエラが脱退表明するなか、衰える権威に直面
http://agrotous.seesaa.net/article/41544884.html#more

ベネズエラ再クーデタの危険(ル・モンド・ディプロマティーク2002年6月号)
http://www.diplo.jp/articles02/0206.html

IMF's Support for Coup Government in 2002 May Have Influenced Venezuela's Decision to Withdraw from the Fund
http://www.cepr.net/index.php?option=com_content&task=view&id=1159&Itemid=77

IMF:Press Briefing by Thomas C. Dawson, (video)
Friday, April 12, 2002 9:30 AM
http://imf.org/external/mmedia/view.asp?eventID=93

IMF:Press Briefing by Thomas C. Dawson,(Transcript)
http://imf.org/external/np/tr/2002/tr020412.htm

Political Forecasting?
The IMF's flawed growth projections for argentina and venezuela
http://www.cepr.net/documents/publications/imf_forecasting_2007_04.pdf

Spain says former government backed Venezuela coup
http://www.indymedia.org.uk/en/2004/11/301754.html

Moratinos defends coup comments
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/4059555.stm

What A Difference Three Years Can Make: Bush Rebuffed in Venezuela (Again)
http://www.venezuelanalysis.com/articles.php?artno=1416

THE REVOLUTION WILL NOT BE TELEVISED (グーグル・ビデオ)
(ドキュメンタリー:アイルランド)
http://video.google.com/videoplay?docid=5832390545689805144

チャベス大統領、IMF・世界銀行から脱退へ

2007年05月03日 00時07分37秒 | ■中南米カリブ
4月30日、ベネズエラのチャベス大統領は、IMFと世界銀行から脱退すると表明した。

過去半世紀あまり、IMFと世界銀行はアメリカの覇権拡大の便利な道具として力を発揮してきた。その結果、世界中に飢餓、貧困、低賃金労働など様々な問題が撒き散らされた。

アメリカの覇権政策を真っ向から批判し、南米地域内での独自の政治経済的結束を進めているチャベス大統領にとって、IMFと世界銀行からの脱退は当然の成り行きと言える。ベネズエラは1999年にIMFへ債務を完済し、2007年4月に世界銀行へ債務を完済した。

IMFや世界銀行から脱退しようとは思わないまでも、事実上縁を切りたいと思っている国は多い。近年、IMFからの借入金を返済期限を待たず、数年前倒しして返済する傾向が強まっている。カザフスタン('00年)、韓国('01年)、タイ('03年)、ブラジル、ロシア('05年)、アルゼンチン('06年)など。

借入金が存在するあいだは借入れ国はIMFに対して絶対的な服従を強いられる。それは「占領」政策というにふさわしい。当該国の主権は著しく侵される。IMFはお決まりの「規制緩和、自由化、民営化」を振り回し、金融政策とは関係のない政治や社会分野での法改革や制度改革まで強要する。IMFの目的は政治経済社会を欧米流に「構造改革」することだ。そして、いつも同じ結果が生じる。倒産と失業の増加。税金や公共料金、物価の上昇。教育や福祉政策の縮小。衛生医療環境の悪化などだ。当該国の国民は多大な苦痛と犠牲を強いられる。そして、外国企業や外国資本が利益を享受する。

IMFの「占領」政策の結果、社会不安や不満が増大し、暴動が生じることもある。これは「IMF暴動」と呼ばれる。過酷な「占領」政策によって暴動が発生し、社会が混乱することまで、あらかじめ計算済みということだ。IMFは当該国の国民生活をそこまで平気で追い詰める。一度IMFの占領政策を受けた国は、IMFに対してぬぐいがたい憎悪をもつ。

1989年2月、ベネズエラでこのIMF暴動が発生した(カラカソ大暴動)。そのとき、ベネズエラ陸軍の青年将校ウーゴ・チャベスは、国民の困窮と怒りを目の当たりにした。そして、1992年に仲間とともにクーデターを決行する。が、失敗して2年2ヶ月投獄される。しかし、1998年、チャベスは大統領選挙に出馬。みごと当選する。翌99年大統領に就任。ところが2002年4月、アメリカにバックアップされたベネズエラ支配階級と軍の一部がクーデターを起こし、チャベス大統領をオルチラ島に監禁。しかし、ベネズエラ各地で市民が蜂起。首都カラカスでは百万とも言われる市民が大統領府を取り囲んだ。恐れをなした首謀者は国外へ逃亡。クーデターは二日天下に終わった。

IMFの占領政策とIMF暴動が、今日のチャベス政権を生んだとも言える。そして、チャベス大統領がIMFと世界銀行からの債務をとっとと返済し、両機関から脱退するというのも実に自然の成り行きだ。(ちなみに、タイの前首相のタクシン氏も、タイ国民の反IMF感情を巧みにつかんで選挙で第一党となり首相に就いたと言われている)

IMFは、過去何十年ものあいだ、100ヵ国あまりの国々に対して、常に同じ「処方箋」しか用いてこなかった。その結果、単なる風邪だった患者は次々と重態に陥っていった。債務が債務を呼ぶ末期的な中毒症状だ。いまでは、賢明な国はIMFや世界銀行の融資をきっぱり拒絶している。両機関がこの地上にもたらしてきたすさまじい災厄を考えれば当然の判断である。途上国の反乱はむしろ遅すぎたといえる。

チャベス大統領がIMF・世界銀行からの脱退を表明した同じ4月30日、偶然なのか、当のIMFもある発表をした。「22年ぶりに赤字決算」になる、と。貸付は前倒し返済され、新たな融資は拒絶されるため、IMFは金利収入が減少し財政難に陥っていた。それがついに、22年ぶりの赤字という形になって表れた。この赤字決算は、途上国の反乱に対するIMFの敗北宣言と見えなくもない。ベネズエラの脱退で、脱IMF・脱世界銀行という傾向は今後ますます加速されるだろう。アメリカ一国しか拒否権をもっていない、地上で最も非民主的な国際機関が消滅しても誰も困りはしない。

南米では相互協力の動きが活発化している。地域内の共同市場メルコスル(域内関税の原則撤廃と域外共通関税の実施)が結成されている。地域内で金融支援をおこなうメルコスル開発銀行案もある。また、チャベス大統領は、経済協力協定に参加する国に対し、石油供給を100%保証するとも発言している。まだ足並みが完全にそろっているとは言いがたいが、これからは域内のことは域内で協議し決定するという方針が強まることは間違いない。アメリカは、中南米カリブ地域がアメリカの「裏庭」だという認識を捨てることになるだろう。








ベネズエラ、IMF、世銀から脱退へ=チャベス大統領が発表
http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_int&k=20070501012211a

IMF、22年ぶり赤字に 07年度、融資減で200億円
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007050101000168.html

ベネズエラ債務完済
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-16/2007041606_01_0.html

IMF事務所の閉鎖 (在ベネズエラ日本国大使館 経済概要)
http://www.ve.emb-japan.go.jp/gaiko/keizai/keizai2007/keizai200701.htm

途上国はIMF・世銀・WTOから脱退し、新国際機関を創立せよ
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2006/
new_institution_for_developing_countries_2006.htm


ネオリベラリズムとネオコンの破綻
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2006/collapse_of_neo_liberalism_2006.htm

反米のチャベス大統領、友好国の石油「全面保証」
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070430STXKB009430042007.html

南米銀設立など合意
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-23/2007022307_02_0.html

タイ、異常なバーツ高

2007年04月17日 16時29分54秒 | ■時事・評論
タイの通貨バーツが昨年来じわじわ高くなっていた。
それ自体は、タイの好調な輸出の表れとみられていた。
しかし、政変以降、急激にバーツ高が進んだ。
通常、政情の「不安定」な国の通貨は安くなる。
政変がなかったとしても、現在のバーツ高騰は異常と言うしかない。

タイバーツは、97年のアジア通貨経済危機以降は、1ドルが約40バーツと、非常に安定していた(99年を除く)。それが現在、1ドルが32.23バーツとなっている(4月17日現在)。昨年に比べ、20%近くも高くなっている。

バーツ高騰の主因は、海外からの短期資金の流入によるものと見られている。タイ暫定政府は短期資金の規制を行なったが(06年12月)、効果はみられなかった。そして3月15日には9年ぶりの高値34.90バーツを記録し、以降高値を更新し続けた。

アメリカ政府が言うところの民主主義を後退させる「軍事クーデター」が発生し、しかもその後、複数の爆弾事件も勃発している。現在、主だったデパートなど人の出入りの多い場所では、入り口で必ず荷物チェックがなされている。また南部三県での混乱もまったく収拾できていない。そうした政情の「不安定な」タイに、なぜ海外から短期資金が流入し続けているのか。おかしくはないだろうか。普通、不安定なところからおカネは逃げるものだ。しかも、規制をしてもまだ資金が流入し続けたのはさらにおかしい。資金の自然な流れとは言えない。昨年の政変が、タイの国内勢力同士による単純な覇権権力争いなら、交渉する相手が代わるだけで、このような異常な通貨高の圧力が発生することはないはずだ。バーツ高騰には、外部からの「強固な意志」が働いているとしか思えない。

バーツ高が進めば、タイの輸出競争力は低下し、輸出関連産業に影響を与えるだろう。また、割高になったバーツによって観光客のサイフの紐も固くなり、観光業にも影響を与えるだろう。景気が低迷すれば、暫定政権に対する支持率は低下し、ついには不信任につながるかもしれない。暫定政権が選挙に敗北すれば、前首相が堂々と返り咲くこともあり得る。そうなれば誰が得をするだろうか。

タクシン前首相は、積極的な外資の導入と巨大プロジェクトによる急速な成長政策を行なっていた。タクシン前首相在任中に、巨大新空港(スワンナプーム空港)の建設が着工・完成した。また、高速道路やスカイトレインの延長事業、サイアム地区再開発事業、そして過剰と思えるほど多くの商業ビルやデパート、高層住宅が首都に建設された。スカイトレインに乗ってバンコク市内を眺めれば、いまでも建設中の多くの高層ビルを目にすることができる。タクシン前首相時代のこうした巨大プロジェクトによる成長政策には外国の技術や資本が必要であり、多くの外国企業や外国資本に活動の機会と利益を提供してきたことは間違いない。

では、現在の暫定政権の経済政策はどうだろうか。それは、急速な成長経済とは裏腹の「足るを知る経済」として知られている。「足るを知る経済」とは、現プミポン・タイ国王が長年にわたって提唱している理念で、何ごとも中庸をもってよしとするという考え方と言える。短期的な利益をめざすのではなく、地域間の格差を是正する、持続可能な経済成長をめざすものだ。

タクシン政権下の巨大プロジェクトによる急速な成長経済政策によって、大きな利益をあげてきた外国資本にとっては、「足るを知る経済」はあまり有難くない経済政策と言えるだろう。何としてもタクシン時代に戻して、いままで同様利益を享受したいと考えるだろう。そのためには、暫定政権に徹底したダメージを与えなければならない。その答えがバーツの高騰ではないのだろうか。

暫定政権は、バーツ高騰に対する対策として金利下げを決定した。また財政政策も検討されている。しかしながら、どちらの政策もバーツの安定に効果があるとは思えない。かつての日本も円高を止めることはできなかったのだから。

1995年4月19日、円ドルレートが1ドル79.75円の史上最高値をつけた。1994年からはじまった異常な円高の最終局面だった。この超円高によって、バブル崩壊で疲弊した日本経済はとどめを刺された。翌1996年に発足した第二次橋本政権は金融市場の自由化を行なった(「金融ビックバン」)。これはワシントンの圧力による規制撤廃、自由化、民営化という「構造改革」の幕開けだった。そして「構造改革」は小泉政権へと受け継がれていった。その結果、日本経済がどうなったか、そして誰が利益を享受したかはいまさら言うまでもない。いま、タイのバーツを高騰させているのもまったく同じ原理と言える。通貨高騰や暴落を起して、相手を屈服させるのだ。

アジア通貨はつねに外国資本からの圧力と脅威にさらされている。こうした脅威に対抗するために共同防衛策が検討されている。ASEAN+日中韓の13ヶ国による通貨安定のための外貨準備策だ。5月に京都で開かれる蔵相会議で正式に提案される予定だ。しかし、この構想はどこからか横槍が入って失敗に終わることもあり得る。

97年にタイで通貨危機が発生したとき、タイ政府の要請を受けて、日本はいち早く救援に乗り出そうと動いた。しかし、この試みはワシントンによってみごとに潰された。本来なら、タイの通貨危機は日本の資金によって簡単に初期消火されていた。したがって、アジアを巻き込む通貨経済危機に発展することもなかったはずだ。だが、IMFがタイに乗り込んでくるとボヤはたちまち大火災になり、近隣諸国に燃え広がった。

この大惨事を目の当たりにして、日本は97年秋に「アジア通貨基金」の設立を提案したが、アメリカ、IMF、中国の反対にあってこの試みも挫折した。アメリカ政府とIMFは、アジアが共同して通貨を安定させることを阻み続けている。今回のASEAN+日中韓による独自の通貨安定構想のゆくえもたいへん心もとない。

アジア通貨経済危機によって、タイ、韓国、インドネシアはIMFによる「支配」を受けいれ、多くの企業や銀行を外国資本に売り渡した。IMFの強要する規制撤廃、自由化、民営化によって、この三ヵ国の経済はさらに悪化し、福利厚生は縮小し、格差は拡大し、失業や犯罪は上昇した。ワシントンやIMFが強要する政策とは、実質的な政治経済的な占領にほかならなかった。それによって、得をしたのは欧米の多国籍企業や金融資本だ。

通貨危機以前は、アジア経済は持続的で安定した成長をしていた。しかし、欧米の経済理念(グローバリゼーション)を受け容れた途端、通貨経済危機に見舞われた。

昨年9月のタイの政変とは、こうした外国の都合によって翻弄される経済的枠組みから脱っすることが真の目的であったと見ている。そのためには思い切った手段が必要だった。それが見せかけの「軍事クーデター」だった。ワシントンやIMFの目を眩まし、手出しができないようにするためには、そのくらいの思い切った手段が必要だったのだ。これが「タイ・マジック」だ。

現在の不自然なバーツ高騰は、ワシントンやIMF、欧米資本からタイ暫定政権に対する宣戦布告なのではないだろうか。

このままバーツ高騰が続き、タイ経済が低迷し、暫定政権の試みがはからずも失敗すれば、タイのみならず日本の国益をも損なうことになる。日本の生産設備の多くはタイに移転しており、日タイの経済は深くリンクしている。いすゞ自動車などは、今年でタイ進出50周年になる。それを記念して様々なキャンペーンも行なわれている。同じように何十年も前からタイに進出している日本企業は多い。日タイの経済関係は想像以上に長く、そして深い。タイ経済の真の安定は、日本の国益でもある。グローバリゼーションとは無縁の時代、日本もタイもともに持続可能な経済成長を続けていた。

いま、タイの暫定政府は孤軍奮闘している。
日本政府はかつてそうだったように、タイ経済を救出しようとしているのではないだろうか。
しかし、かつてそうだったように、したくてもできないのかもしれない。





9年ぶりに1ドル=34.9バーツ、バーツ高進行 2007/3/15
http://www.newsclip.be/news/2007315_010285.html

1ドル=34.6バーツ台、バーツ高進行 2007/3/22
http://www.newsclip.be/news/2007322_010478.html

タイ財務相、外為規制を事実上撤廃 2007/03/26
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070326AT2M2601M26032007.html

ASEAN財務相会議、外貨準備拠出で合意・為替安定へ新体制 2007/04/06
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070406AT2M0502C05042007.html

市場の不安定性を懸念、ASEANは経済協力を強化すべき=タイ財務相 2007/04/06
http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/2007-04-06T103457Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-254272-1.html

タイ中銀が0.5%利下げ、景気減速・バーツ高で 2007/4/11
http://www.newsclip.be/news/2007411_010881.html

金融資本に巨大な民主的規制をかけよう!タイで短期資本に対する規制
http://attackoto.blog9.fc2.com/blog-entry-67.html

「足るを知る経済」哲学 在京タイ王国大使館
http://www.thaiembassy.jp/rte1/content/view/254/

秋篠宮さまタイご訪問へ
http://www.sankei.co.jp/shakai/koshitsu/070302/kst070302000.htm


東ティモールで米不足

2007年03月09日 18時54分30秒 | ●東ティモール
「最近の飢餓研究(特にインドの経済学者アマーティア・センの研究)は、広範に浸透する飢餓、および死亡率の増加が、しばしば総体としての食糧供給が必ずしも不十分でない──場合によっては豊富でさえある──場所で起きていることを示している」

「そういう事例においては、根底にある飢餓の原因は、食料の欠乏よりもむしろ食糧入手手段の欠如である」

『誰が飢えているのか』L・デローズ著より

世界のどこかで飢餓が発生していると聞くと、われわれは文字通り、食糧が欠乏していると受け取る。しかし、そうした観念は捨てなければならない。以前、「食糧危機を創るIMFと世界銀行」と題してアフリカのマラウィの例を書いたが、マラウィの端から端まで陸路で食糧を輸送するよりも、カンサスから船で運んだ方が安いのだ。国際援助によって近代農法を導入し、収穫量を増加させても、輸送インフラを放置しておいては意味がない。こうしたことが世界中で発生している。その結果、先進国の巨大穀物会社や船舶会社が大儲けをする。

現在の東ティモールでの米不足は、こうした事例とは直接は関係なさそうだが、東ティモールもこうした構造と無縁とは言えないと考えている。

東ティモールを何度も訪れているが、首都ディリのマーケットでは、ベトナム産や中国産の輸入米しか売っていなかった。東ティモールの地方部には豊かな田園が広がっている。しかし、マーケットには自国米がない。それがいつも不思議だった。理由として考えられるのは、輸入米の価格が安すぎるということだ。50kg袋が13ドルだった。1kgあたり0.26ドルだ。国産米が輸入米と競争するなら、これ以下の価格で売らなければならない。はたして、これ以下の値段で利益がでるかどうかはあやしい。

低価格の輸入作物の最大の弊害は、国内作物の生産意欲を削いでしまうことだ。売れないなら作っても意味がない。自家消費以上の生産をしなくなる。あるいは、自家消費のコストすら輸入作物の価格を上回るかもしれない。このようにして、途上国の多くの農村は崩壊し、人口の都市流入・都市スラム形成という経過をたどった。都市部の人口爆発とともに、労働賃金の低下を引き起こし、都市部での生活レベルは低下し、犯罪も増加した。

「米欧アグリビジネスは、伝統的農村社会へ破壊的結果をもたらす。
雇用形態、農作物、消費者の嗜好、村落や家族の構造、あらゆるものを破壊する」

『なぜ世界の半分が飢えるのか』スーザン・ジョージ著より

東ティモールもこうした世界的構造から無縁であるとは思えない。
低価格の輸入米により、国内の米生産意欲は低下していたのではないだろうか。そこへ、昨年の騒乱によって一時は約15万人もの国内避難民を出した。おそらくそのほとんどは農業従事者だ。人口約80万人の国で、15万人が一時的とはいえ農業生産から遠ざかったということは、生産高にも影響を及ぼしているのではないだろうか。現在でも、最大で6万人が避難生活をしていると報告されている。

そして旱魃によって、事実上、米の生産が低下した模様だ。米不足が顕在化した。米価が上がると、米を隠匿してさらに価格をつり上げようとする業者も出ておかしくはない。おまけに、国内の治安を攪乱したい各種勢力が加わり、さらに米不足を引き起こすような画策を行っているふしもある。

東ティモールの米不足は、こうした複合的な要因が関連していると考えられる。しかし、東ティモールの米不足の根本的な原因も、食糧をめぐる世界的な利権構造と無縁とは言えないだろう。



東ティモールで「米騒動」 住民600人が倉庫に投石
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007022001000653.html
【東ティモール短信】米がない!
http://www.parc-jp.org/main/a_intl/etimor/ET070221

アジア通貨危機

2007年02月21日 11時11分12秒 | ■時事・評論
外貨準備はアジア諸国で多く、アジアの中央銀行は1.5兆ドルものドル建て資産を持っている(2002年)。莫大な貿易黒字を計上しているアジア諸国は、流入する膨大なドルが自国通貨に対して値下がりし、そうした自国通貨高が自国の輸出にブレーキがかかることを恐れせっせとドルを買い支え、米国の赤字をファイナンスする。それがまた米国に新たな輸入を可能にする。

しかし、そうした通貨当局によるドル買い介入は、国内通貨の過剰発行となり、国内に過剰流動性を発生させる。いきおい国内でバブルが発生し、バブル破裂とともに、金融機関が破綻し、経済危機を引き起こす。

1990年代後半に生じたアジアの通貨危機とはまさにこのことであった。放埓なドルの垂れ流しによって、アジア諸国に過剰流動性を生み出し、バブルをあおり、バブル進行の過程でさんざん儲けた外国の投資家たちが一斉にドルを引き上げたからこそ、アジア通貨は崩壊し、経済が壊滅した。すべて、無責任な米国の通貨当局のせいである。にもかかわらず、米国、IMF、世銀は、アジア諸国のクローニーキャピタリズムのなせる業であるとして、アジア諸国の通貨当局を非難して恥じなかった。
本山美彦著『民営化される戦争』より

※クローニーキャピタリズム(コネ重視型資本主義)
縁故関係者や仲間どうしで国家レベルの経済運営を外国企業や援助と結びつけて行い,権益を独占して富を増やしていくやり方。〔クローニーは仲間の意。アジア経済危機に際し,その根底にあるとしてアメリカのエコノミストなどによっていわれた〕


現在、アメリカ政府は戦費削減と称して、戦争の兵站業務だけでなく、ときには戦闘行為までも民間軍事会社に請け負わせている。戦費削減どころか、実際は、割高で過剰な利益を民間軍事会社に提供している。戦争民営化の市場規模は10兆円とも。ハリバートンやベクテルといった巨大企業がそこで大儲けしている。国際経済学者である著者は、戦争民営化の実態だけでなく、アメリカの経済戦略についても論じている。上記のアジア通貨危機の解説は実に簡明である。