歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪漢文の文章~幸重敬郎『漢文が読めるようになる』より≫

2023-12-29 19:00:05 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪漢文の文章~幸重敬郎『漢文が読めるようになる』より≫
(2023年12月29日投稿)

 カテゴリ  :ある高校生の君へ
 ハッシュタグ:#漢文 #幸重敬郎 #矛盾 #韓非子 #荘子 #伯楽 #春望 #杜甫 #呂氏春秋

【はじめに】


漢文の勉強法について考える際に、現在、私の手元にある参考書として、次のものを挙げておいた。
〇菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
〇小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波全書、1957年[1994年版]

これらのうち、受験に特化し、効率的な勉強法を説いた参考書としては、次の2冊であった。
〇田中雄二『漢文早覚え速答法 共通テスト対応版』学研プラス、1991年[2020年版]
〇三宅崇広ほか『きめる!センター 古文・漢文』学研プラス、1997年[2016年版]
 
今回のブログでは、次の参考書について、紹介しておきたい。
〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
 この本も、受験を視野には入れているが、単に受験用の漢文参考書の域を超えるような試みが感じられる。
著者略歴によれば、幸重敬郎(ゆきしげ よしろう)先生は、1963年生まれで、愛媛大学法文学部を卒業し、熊本大学大学院文学研究科修士課程を修了され(専攻は中国史の宋元代)、その後予備校で漢文を教え始め、1997年より河合塾講師だという。
予備校の講師の著作という意味で、受験を視野には入れている。「あとがき」(214頁~215頁)にも、「これまで漢文の読み方を直接受験生に指導しながら、漢文の読み方におけるさまざまな誤解や間違いを見てきました。それを本書で生かしていこうと思い、書いてきました」と著者は記している(215頁)。
ただし、一般の受験参考書と違い、入試問題は一切、掲載されていない。
漢文の文章を取り上げ、その句形、語句の意味、文章の解釈を解説しているのが特徴である。
そういう意味では、高校で漢文を学んだのちに、もう一度、漢文を勉強し直してみようという人、例えば社会人などにも適した本といえるかもしれない。
このことは、端的に「あとがき」にあらわれている。
例えば、本書をきっかけにして、さらに様々な漢文を読んでもらいたいという。
専門的な見地から書かれた漢文の入門書として、
〇吉川幸次郎『漢文の話』(ちくま学芸文庫)を薦めている。
 また、日本における漢和辞典の最高峰として、次の辞典を薦めている。
〇大修館書店の諸橋徹次『大漢和辞典』(図書館で利用してほしいという)
 そして、コンパクトな漢和辞典としては、
〇角川書店の『新字源』、三省堂の『全訳漢辞海』
が最もお薦めであると記している。

今回のブログでは、なるべく数多くの漢文の文章に触れて、漢文の句形や内容を知ってほしいという意図から、『韓非子』の矛盾の話、杜甫の「春望」などの漢文を取り上げて、紹介しておこう。
(返り点は入力の都合上、省略した。白文および書き下し文から、返り点は推測してほしい。)





【幸重敬郎『漢文が読めるようになる』(ベレ出版)はこちらから】
幸重敬郎『漢文が読めるようになる』(ベレ出版)






〇幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年
【目次】
はじめに
第一章 送り仮名・返り点の付いている漢文を読む
短い文を読んでみる
【文章】その一 「矛盾」の話 『韓非子』
【文章】その二 「きびしい政治は虎よりも恐ろしい」『礼記』
【文章】その三  三国時代の英雄「関羽」と軍師「諸葛亮」『三国志』陳寿
【文章】その四 「熟練の技」『帰田録』欧陽脩
【漢詩】その一 「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」李白
【漢詩】その二 「春望」杜甫

第二章 返り点の付いている漢文を読む
短い文を読んでみる
【文章】その一 「推敲」の話 『唐詩紀事』
【文章】その二 「ホタルの光、窓の雪」『晋書』
【文章】その三 「職務を忠実に守る」『韓非子』
【文章】その四 「伯楽と名馬」「雑説」韓愈
【文章】その五 「幽霊を売った男」『捜神記』

第三章 送り仮名・返り点の付いていない漢文を読む
短い文を読んでみる
【文章】その一 「母の老いを知る」『説苑』
【文章】その二 「進んでいる舟にしるしを刻みつけた男」『呂氏春秋』
【文章】その三 「書物からの知識よりまず体験せよ」『荘子』

あとがき
付録




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


第一章 送り仮名・返り点の付いている漢文を読む
【文章】その一 「矛盾」の話 『韓非子』
【文章】その二 「きびしい政治は虎よりも恐ろしい」『礼記』
【文章】その三  三国時代の英雄「関羽」と軍師「諸葛亮」『三国志』陳寿
【漢詩】その二 「春望」杜甫

第二章 返り点の付いている漢文を読む
【文章】その二 「ホタルの光、窓の雪」『晋書』
【文章】その四 「伯楽と名馬」「雑説」韓愈
【文章】その五 「幽霊を売った男」『捜神記』

第三章 送り仮名・返り点の付いていない漢文を読む
【文章】その二 「進んでいる舟にしるしを刻みつけた男」『呂氏春秋』
【文章】その三 「書物からの知識よりまず体験せよ」『荘子』






再読文字について


例によって、漢文といえば、再読文字についてまとめている。
例えば、次のような例文がある。
蓋君子善善悪悪、君宜知之。『史記』

【書き下し文】
蓋し君子は善を善とし悪を悪とす、君宜しく之を知るべし。
【現代語訳】
思うに君子は善をよいことと見なし、悪を悪いこととみなす、あなたはそのことを知っているはずだ。

【語句】
 「蓋」は「けだし」と読んで「思うに」という意味である。
 漢文ではよく使うので覚えておこう。
 「君子」は「くんし」と読んで「徳のある立派な人物」という意味である。
 「善善悪悪」は「善を善とし悪を悪とす」と読む。「善」と「悪」は名詞でもあり、動詞としても読む。
 「君」は「きみ」と読んで、「あなた」という意味である。

【再読文字】
「宜」は「よろしく―べし」と読む。
 「宜」は再読文字である。
 「宜知之」は「宜しく之を知るべし」と読む。
 「宜」という字はまず返り点と関係なく「よろしく」と読んで、次に返り点に従って「べし」と読む。一つの漢字を二度読むのでも再読文字と呼ぶ。

 ここで、再読文字をまとめておく
 未―     いまダ―ず    まだ―しない・―しない
 将―・且―  まさニ―ントす  今にも―しようとする
 当―・応―  まさニ―ベシ   当然―するはずだ・―するだろう
 須―     すべかラク―ベシ ―する必要がある
 宜―     よろシク―ベシ   ―するのがよい・―するはずだ
 猶― なホ―ノごとシ・なホ―ガごとシ  まるで―のようだ
 盍― なんゾ―ざる           どうして―しないのか
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、157頁~159頁)

「矛盾」の話 『韓非子』


「矛盾」という故事成語は、高校の副教材である菊地隆雄ほか『漢文必携』(桐原書店)でも取り上げられていた。

矛盾<韓非子>
つじつまの合わないこと。
※矛と盾を売っている人がその両方を自慢したため、話のつじつまが合わなくなってしまったことから。
(菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』桐原書店、1999年[2019年版]、182頁~186頁)

ところが、幸重敬郎『漢文が読めるようになる』(ベレ出版、2008年)には、次のようにある。

楚人有鬻楯与矛者。誉之曰、「吾楯之
堅、莫能陥也。」又誉其矛曰、「吾矛之利、
於物無不陥也。」或曰、「以子之矛、陥子
之楯、何如。」其人弗能応也。 『韓非子』説難一

●書き下し文
 楚人に楯と矛とを鬻(ひさ)ぐ者有り。之を誉めて曰く、「吾が楯の堅きこと、能く陥(とほ)す莫きなり」と。又其の矛を誉めて曰く、「吾が矛の利(するど)きこと物に於て陥さざる無きなり」と。或ひと曰く、「子の矛を以て、子の楯を陥さば、何如」と。其の人応(こた)ふること能はざるなり。 

●現代語訳
楚の国の人に楯と矛を売る者がいた。売っている物をほめて言った、「自分の売っている楯は突きとおすことができるものがないほど頑丈だ」と。いっぽうで自分の(売っている)矛をほめて言った、「自分の売っている矛はどんなものでも突きとおすするどい矛だ」と。ある人が言った、「あなたの矛で、あなたの楯を突きとおせば、どうなるのか」と。その楯と矛を売っていた人は答えることができなかった。

〇この文章は、『韓非子』(かんぴし)という書物の中のたとえ話である。
 この文章は、「矛盾」という言葉のもとになった話である。
 『韓非子』は今から約2200年前、戦国時代末期の人「韓非」の手になる書物である。
 「信賞必罰(功労のある者には確実に褒美を与え、罪を犯した者には必ず罰を与える)など、法家の思想がまとめられている。
 
【語句】
・楚人~「楚」は国名で「そ」と読む。
 戦国時代に長江の中流域にあった国。「楚人」は「そひと」と読む。現代語では、「日本人」は「にほんじん」のように、「人」を「じん」と読むが、漢文では、「国名+人」は「ひと」と読む。
・鬻~難しい漢字であるが、「ひさぐ」と読んで、「売る」という意味。
・何如~「いかん」と読む。「何」を「い」、「如」を「かん」と読んでいるわけではない。
 「何如」の二文字で「いかん」と読む。
 「所謂」を「いわゆる」と読んだり、「所以」を「ゆゑん」と読むのと同じ。
 「何如」は疑問を示す語句で、「どうか・どのようか」という状態を尋ねる。
 ここは「どうなるのか」と少し意訳したほうがわかりやすい。
 「あなたの矛で、あたなの楯を突きとおせば、どうなるのか」と所謂「矛盾」を指摘したわけである。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、20頁~27頁)

「きびしい政治は虎よりも恐ろしい」『礼記』


苛政猛於虎
孔子過泰山側。婦人哭於墓者而哀。
夫子式而聴之、使子路問之曰、「子之哭也、
壱似重有憂者。」而曰、「然。昔者、吾舅死於
虎、吾夫又死焉。今吾子又死焉。」夫子曰、「何
為不去也。」曰、「無苛政。」夫子曰、「小子識
之。苛政猛於虎也。」  『礼記』

●書き下し文
孔子泰山の側(かわはら)を過ぐ。婦人の墓に哭する者有りて哀(かな)しげなり。夫子(ふうし)式(しょく)して之を聴き、子路をして之を問はしめて曰く、「子の哭するや、壱(いつ)に重ねて憂ひ有る者に似たり」と。而(すなは)ち曰く、「然り。昔者(むかし)、吾が舅(しうと)虎に死し、吾が夫又死す。今吾が子又死せり」と。夫子曰く、「何為(なんす)れぞ去らざるや」と。曰く、「苛政無ければなり」と。夫子曰く、「小子之を識(しる)せ。苛政は虎よりも猛(まう)なるなり」と。

●現代語訳
孔子が泰山の麓を過ぎた。婦人が墓のところで大声を上げて泣いていて悲しそうであった。先生は車の手すりに手をかけて婦人の泣き声をじっと聴き、子路にこれをたずねさせて言った、「あなたが泣いている様子はまことに何度も悲しいことがあったかのようである」と。そこで言った、「そのとおりです。以前、私の夫の父親は虎に殺され、私の夫もまた(虎に)殺されました。今また私の息子も(虎に)殺されてしまいました」と。先生が言った、「どうして立ち去らないのか」と。(婦人が)言った、「きびしい政治がないからです」と。先生が言った、「おまえたち、このことをおぼえておきなさい。きびしい政治は虎よりも恐ろしいものなのだ」と。

※本文は、『礼記(らいき)』という書物の中にある。
 『礼記』は孔子が生きた時代(春秋時代)よりもずっと後の前漢時代に作られた書物である。
 それでも今から約2000年前の作品である。
 「苛政は虎よりも猛なるなり」は故事成語(昔の話にもとづくことわざ)としても有名である。
 ここでいう「苛酷な政治」とは、やはり重い税金である。
 人民を苦しめる重税は虎に襲われる災難よりも恐ろしいということわざである。
 人を襲う虎が出るようなところには、役人も税を取り立てには来なかったでしょう。
 なお、「苛政は虎よりも猛(たけ)し」と読んでいるテキストもある。


【語句】
・孔子~儒家の祖。姓を「孔」、名を「丘」、字を「仲尼」という。春秋時代、魯の国の人。
 「泰山」は中国の人にとって、日本人にとっての富士山のような山である。
・「使」を「しむ」と読んで使役
 「使子路問之曰」は「子路→之→問→使→曰」の順で「子路をして之を問はしめて曰く」と読む。
 子路は孔子の弟子の名。子路は字(あざな)で、姓を「仲」、名を「由」という。
※ここでは「使」の用法に注意せよ。
 「使」は「―させる」という使役の意味を表して「しむ」と読む。
 「使」の下に使役する相手、つまり「―させる」相手が書かれている場合には、その相手に「をして」という送り仮名を付ける。「子路をして」がそれにあたる。
 そして次に動作を表す「問」がきて「問ふ」+「しむ」→「問はしむ」と読む。
 意味は、「子路に、これをたずねさせて言った」となる。
・何為~「なんすれぞ」 
「何為不去也。」は「何為(なんす)れぞ去らざるやと」と読む。
 「何為」は「どうして」という意味。
 「也」は「なり」ではなく、「や」と読んで、ここでは疑問を示している。
 「どうして立ち去らないのか」という意味。家族が次々と虎に殺されているのに、どうして虎がいるような危険なところを立ち去らないのか」という。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、27頁~36頁)

三国時代の英雄「関羽」と軍師「諸葛亮」『三国志』陳寿


『三国志』「蜀志」陳寿

 羽聞馬超来降。旧非故人。羽書与諸葛亮、
問超人才可誰比類。亮知羽護前、乃答之
曰、「孟起兼資文武、雄烈過人。一世之傑、黥彭
之徒也。当与益徳並駆争先。猶未及髯之
絶倫逸群也。」羽美鬚髯。故亮謂之髯。

【人名の説明】
・関羽: 字は雲長。三国時代、蜀の武将。劉備、張飛と義兄弟の契りを結ぶ。三国時代、屈指の大豪傑。
・馬超:字は孟起。はじめ味方した曹操に父馬騰を殺され、のちに劉備に仕え、蜀の将軍として活躍する。
・諸葛亮:字は孔明。劉備の三顧の礼をうけて軍師となる。「天下三分の計」を立てる。蜀成立後は丞相(宰相)となる。
・黥布(げいふ)・彭越(ほうえつ):ともに劉邦に仕え、漢の建国に功績のあった武将。
・張飛:字は益徳(『三国志演義』では翼徳)。劉備・関羽の義兄弟。一人で万人の敵を相手にできると称された豪傑。

※この話は、新たに劉備の武将となった馬超に対する関羽の微妙な心理状態を察知した諸葛亮が、関羽のプライドに配慮し、関羽こそが武将として一番だと称え、関羽を安心させたというものである。

●書き下し文
羽馬超来降すと聞く。旧(もと)故人に非ず。羽書もて諸葛亮に与へ、超の人才の誰に比類すべきかを問ふ。亮羽の護前せるを知り、乃ち之に答へて曰く、「孟起は文武を兼資し、雄烈人に過ぐ。一世の傑、黥彭の徒なり。当に益徳と並駆し先を争ふべし。猶ほ未だ髯の絶倫逸群なるに及ばざるなり」と。羽鬚髯(しゅぜん)に美なり。故に亮之を髯(ぜん)と謂ふ。

●現代語訳
関羽は馬超が降伏してきたと聞いた。もともと(馬超は関羽にとって)昔なじみではなかった。関羽は手紙を諸葛亮に送り、馬超の才能をだれになぞらえることができるかをたずねた。諸葛亮は関羽が自分のほうが劣っていると言われたくないと思っているとわかり、そこで関羽に返事をして言った。「孟起(=馬超)は文武の才能を兼ね備え、勇猛さは普通の人以上である。一代の英雄であり、黥布や彭越の(ような古代の英雄の)仲間である。益徳(=張飛)と並んで馬を駆せ先陣を争うほどの人物である。それでもあなたのずば抜けてすぐれているのには及ばない」と。関羽はあごひげ・ほおひげが立派であった。それで諸葛亮は関羽のことを髯と呼んだのである。。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、36頁~42頁)

【語句】
・「すなはち」と読む漢字
 漢文で「すなはち」と読む漢字は「乃」のほかに「則」「即」「便」「輒」などがある。
 「すなはち」と同じ読みをしても、漢字によって意味が違う。
 「乃」は、「そこで」と訳すことが多いが、「やっと」「それなのに」「なんと」と訳すこともある。ほかの「すなはち」と読む漢字については、文中に出てきたところで確認しよう。
・再読文字「当」
 「当与益徳並駆争先。」では、「当」に注意すること。
 「当―」は再読文字で「当(まさ)に―べし」と二回読む。
 読む順でもまず「当」を読む。
 「当→益徳→与→並駆→先→争→当」の順になる。
「当に益徳と並駆し先を争ふべし。」と読む。
「益徳(=張飛)と並んで馬を馳せ先陣を争うほどの人物である」という意味である。

・再読文字「未」
 「猶未及髯之絶倫逸群也。」では、「未」に注意すること。
 「未」は「当―」と同じく再読文字である。
 「未―」は「未(いま)だ―ず」と読む。
 「猶→未→髯→之→絶倫→逸群→及→未→也」の順で読む。
 「猶ほ未だ髯の絶倫逸群なるに及ばざるなりと。」と読んで「それでもあなたのずば抜けてすぐれているのには及ばない」という意味である。

(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、36頁~42頁)

「春望」杜甫


「春望」杜甫
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭搔更短
渾欲不勝簪

※この杜甫の詩は、あまりにも有名である。
 題名の「春望」とは、「春のながめ」という意味である。
 杜甫や李白が活躍したのは、唐の全盛期である。玄宗皇帝の治世である。
 都長安も国際的な都市として栄えていた。日本からも遣唐使が派遣された。
 ところが、玄宗皇帝は晩年になると、楊貴妃という絶世の美女に心を奪われ、政治を顧みなくなり、その結果反乱が起こる。有名な「安史の乱」である。この反乱で、都も陥落し、皇帝も四川に逃れる。華やかさを誇った都長安も荒廃してしまった。それこそが「国破れて山河在り、城春にして草木深し」なのである。

●書き下し文
「春望」杜甫
国破れて山河在(あ)り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火(ほうくわ)三月(さんげつ)に連なり
家書万金に抵(あ)たる
白頭搔(か)けば更に短く
渾(す)べて簪(しん)に勝(た)へざらんと欲す

●現代語訳
 「春のながめ」杜甫
国都長安は破壊されてしまったが山や河だけは変わらずに残っている
(廃墟となった)長安の町中にはふたたび春がやって来て草木が生い茂っている
(戦乱という)この時代を痛み悲しんでは花を見ても涙を流し
家族との別れをうらんでは鳥の鳴き声にも胸をつかれてはっとする
戦いを知らせるのろしはもう何ヶ月にもわたって上げつづけられており
家族からの手紙は万金もの価値に相当する
白髪頭をかきむしるうちに髪はますます短く(少なく)なり
もうすっかり冠を髪にとめるピンも挿せなくなろうとしている

【語句】
・濺ぐ~「涙を流す」という意味。
・烽火~「のろし」=戦場で敵の攻撃などの危急を知らせるための合図に上げる煙り。
・家書~「家族からの手紙」と「家族への手紙」という意味がある。ここは「家族からの手紙」
・簪~冠を髪にとめるためのピン

【対句】
・対句とは、二つの句で文の構造が同じであり、語句の意味や文法的なはたらきが対応していることである。
・この杜甫の詩では、第一句と第二句、第三句と第四句、第五句と第六句が対句になっている。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、59頁~67頁)

「ホタルの光、窓の雪」『晋書』


「ホタルの光、窓の雪」『晋書』
『晋書』車胤伝
車胤、字武子、南平人也。曾祖浚呉会稽
太守、父育郡主簿。太守王胡之名知人、
見胤於童幼之中、謂胤父曰、「此児当大興
卿門。可使専学。」胤恭勤不倦、博学多通。
家貧不常得油。夏月則練嚢盛数十螢火
以照書、以夜継日焉。

※この文章は歴史書の列伝である。
 歴史書では司馬遷の『史記』以来、「紀伝体」というスタイルが用いられる。
 「紀」とは「本紀」のことで、帝王・皇帝を中心とする記録である。
 一方、「伝」は個人の伝記で「列伝」という。
 『晋書』は、三国時代の三国を統一した晋朝の歴史を記した書で、やはり「紀伝体」
で編纂されている。上の文章は、その列伝の中にある「車胤」という人物の伝記の冒頭である。 
 伝記の冒頭には、もちろん姓名、そして字(あざな:成人するときに付ける呼び名)が記述され、次に出身地、続いて祖先の経歴が記される。
 車胤は、後に「尚書郎」という高官に出世する。貧しかった車胤がホタルを集めてその灯りで勉強したというこの話と、同じ晋代の孫康という人物が、やはり貧しくて油が買えなかったので、雪明かりに照らして書物を読み、後に出世したという話があり、この二つの話から「螢雪の功」という言葉が生まれる。「苦労しながら学問をしたその成果」という意味である。
 卒業式などで歌われる「螢の光」の冒頭「螢の光窓の雪、ふみ読む月日かさねつつ」という歌詞も、この話にもとづくものである。
 なお、王羲之という人物を知っている人もいると思うが、ちょうどこの文章と同じ晋代の人で、書の神様(書聖)と称えられている。

●書き下し文
車胤、字は武子、南平の人なり。曾祖浚(しゅん)は呉の会稽太守、父育は郡の主簿たり。太守王胡之人を知るに名あり。胤を童幼の中に見て、胤の父に謂ひて曰く、「此の児(こ)当に大いに卿の門を興(おこ)すべし。専ら学ばしむべし。」胤恭勤(きょうきん)にして倦(う)まず、博学多通なり。家貧しくして常には油を得ず。夏月には則ち練嚢(れんなう)もて数十螢火を盛りて以て書を照らし、夜を以て日に継ぐ。

●現代語訳
車胤は字を武子といい、南平郡の出身である。曾祖父の浚は(三国時代の)呉の会稽郡の長官で、父の育は郡の主簿であった。郡の長官の王胡之は人の能力を見抜くことで有名で、子どもたちの中にいる胤を見て、胤の父に次のように言った、「この子はそなたの家を大いに興すに違いない。学問に専心させなさい」と。胤は礼儀正しく勤勉で何事にもあきることなく、博学でひろく事物に通じている。家が貧しくていつも油を買えるとは限らなかった。夏にはねり絹の袋に数十匹のホタルを入れてそれで書物を照らし、昼に続いて夜も勉強した。

【語句】
・再読文字「当」
 「此児当大興卿門。」ではまず「当」に注目してほしい。
 「当」は再読文字である。「当―」は「当(まさ)に―べし」」と読む。
 「きっと―するにちがいない」などと訳す。
 「此の児当に大いに卿の門を興すべし。」と読んで、「この子はそなたの家を大いに興すに違いない。」と訳す。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、93頁~101頁)

「伯楽と名馬」(「雑説」韓愈)


「伯楽と名馬」(「雑説」韓愈)

 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而
伯楽不常有。故雖有名馬、祇辱於奴隷人之
手、駢死於槽櫪之間、不以千里称也。馬之
千里者、一食或尽粟一石。今食馬者、不知其
能千里而食也。是馬也、雖有千里之能、食
不飽力不足、才美不外見。且欲与常馬等、
不可得。安求其能千里也。策之不以其道、
食之不能尽其材。鳴之不能通其意。執策
而臨之曰、「天下無馬。」嗚呼、其真無馬邪、
其真不知馬邪。

※この「伯楽」とは、もともと天馬をつかさどる星の名前である。
 それが春秋時代の孫陽という名馬を見抜く人物を呼ぶのに使われるようになり、以後名馬を見抜く人物を「伯楽」というようになった。
※この文章は、ただ馬の話がしたいのではない。「人」を「馬」にたとえている。
 たとえ優秀な能力を持つ人でも、それを認めてくれる人物がいなければ、野にうずもれたまま一生を終えるということを述べているのである。

【語句】
・「不常」は部分否定
 「不常―」は「つねには―ず」と「常に」に「は」を付けて読む。
 「いつも―するとは限らない」という意味で部分否定という。
 「常不―」は「つねに―ず」と読んで「いつも―しない」という意味である。
 「不常―」は「常には」と「は」を付けることで、部分否定であることを示している。
 「不常有「常には有らず」と読んで、「いつもいるとは限らない」と訳す。
 「千里の馬はいつもいるけれども、伯楽はいつもいるとはいるとは限らない。」となる。

・「於」を使った受身
 「祇辱於奴隷人之手」は置き字「於」に注意せよ。
 ここは「奴隷の手によって辱(はづかし)められる」という意味になる。
 読みは「奴隷人の手に辱(はづかし)められる」と読む。
 「□於A」の形で「Aに□る・Aに□らる」と読み、「Aに□される」という意味になる。

・「能」の読み方
 たとえば「能走」のように「走る」という動作を表す漢字の上に「能」が位置する場合には「能(よ)く」と読み、「能走」は「能(よ)く走る」と読んで「走ることができる」という意味になる。
 これが「走能」となると、いくら「走レ能」と返り点を付けても「能く走る」とは読まない。「走能」は「走る能」と読むしかない。意味も「走る能力」となる。
 つまり、「能」を「よく」と読んで「―できる」と訳すのは、「能」が動作を表す漢字よりも上に位置する場合なのである。
「雖有千里之能、」で動作を表す漢字は「有」で、「能」はその下に位置するから、「よく」と読むことはできない。「雖有千里之能、」は「千里走るほどの能力を持っていても、」と訳す。

・「且欲与常馬等、不可得。」
 「得べからず」は「得るべからず」と読まないように注意せよ。
 「得」は「え・え・う・うる・うれ・えよ」と活用する(ア行下二段活用の動詞)。
 「不レ得」となっていると「えず」と読む。
 「不レ可レ得」では「可=べし」が終止形に接続する助動詞なので、「得」は終止形のままで「得(う)べからず」と読む。「得る」と読むと連体形になる。
 「且欲与常馬等、不可得。」は、「その上、普通の馬と同じぐらいのはたらきをしようと思っても、(千里の馬には)できない。」と訳す。

・「安」は「いづくんぞ」
 「安求其能千里也。」は「安んぞ其の能く千里なるを求めんや。」と読む。
 「安」は「いづくんぞ」と「いづくにか」という読み方があるが、ここは反語で「どうして―しようか、いや―しない」という意味になるので、「いづくんぞ」と読む。
 「いづくにか」と読むと「どこに」という意味で、「どこにあるのか」や「どこに行くのか」などと使われる。
 
・句末「んや」は反語
 また、「求めんや」と、句末を「んや」と読むのも反語の特徴である。
 「ん」は古文の文法でいうと、推量の助動詞「む」である。
 漢文の送り仮名では「ム」ではなく「ン」と表記する。
 「や」は疑問や反語を示す終助詞で、「か」と同じなのであるが、反語では「か」は使わずに「や」を使って読む。
 「安くんぞ其の能く千里なるを求めんや。」は「どうしてその馬の千里走れる能力を求めることができようか、いやできない。」という意味になる。

・「不レ能」は「あたはず」
 「能」は「よく」と読んで「―できる」という意味であるが、「不レ能」となると「あたはず」と読んで「―できない」という意味である。
 「よく」と読む場合は「能走」で「能(よ)く走る」と読んで「走ることができる」という意味であるが、「あたはず」は「不レ能レ走」で「走る(こと)能(あた)はず」と読んで「走ることができない」という意味である。
 「能(よ)く」は動詞「走る」よりも先に読むが、「能(あた)はず」は「走る」という動詞よりも後に読む。
 また「能はず」では動詞は連体形になり、さらに動詞と「能はず」の間に「こと」を補って読んでもかまわない。「走る能はず」の「走る」は連体形である。たとえば動詞が「落つ」だと「落つる能はず」となる。

【書き下し文】
 世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。故に名馬ありと雖も、祇(た)だ奴隷人の手に辱(はづかし)められ、槽櫪(さうれき)の間に駢死(へんし)し、千里を以て称せられざるなり。馬の千里なる者は、一食に或ひは粟(ぞく)一石を尽くす。今の馬を食(やしな)う者は、其の能く千里なるを知りて食はざるなり。是の馬や、千里の能有りと雖も、食(しよく)飽かざれば、力足らず、才の美外に見(あらは)れず。且つ常馬(じやうば)と等しからんと欲するも、得べからず。安くんぞ其の能く千里なるを求めんや。之に策(むちう)つに其の道を以てせず、之を食ふに其の材を尽くさしむる能はず。之に鳴けども其の意を通ずる能はず。策(むち)を執りて之に臨みて曰く、「天下に馬無し。」嗚呼、其れ真(まこと)に馬無きか、其れ真に馬を知らざるか。

【現代語訳】世の中に伯楽がいて、その後で千里の馬がいる。千里の馬はいつもいるけれども、伯楽はいつもいるとはいるとは限らない。だからたとえ名馬がいたとしたも、ただ奴隷の手によって辱められ、馬小屋の中で首を並べて死に、一日に千里走るほどの能力を持っていることでほめたたえられないのである。馬の中で千里も走れる名馬は、一回の食事でときには穀物一石も食べ尽くしてしまう。今馬を飼育している人は、その馬が千里走ることができると知って養っている者はいないのである。この馬は、千里走る能力を持っていても、食糧が満足でなければ力も足りなくなり、才能のすばらしさが外にあらわれない。その上、普通の馬と同じぐらいのはたらきをしようと思っても、(千里の馬には)できない。どうしてその馬の千里走れる能力を求めることができようか、いやできない。千里の馬を鞭で打って走らせるのにそれにふさわしい扱い方をせず、その馬を飼育するのにその能力を十分に発揮させられない。飼い主に向かって鳴いても(飼い主と)その気持ちを通じることはできない。むちを手にとって馬に向かって言う。「この天下に名馬はいない」と。ああ、なんとほんとうに馬がいないのか。(それとも)なんとほんとうに名馬を見つけられないのか。

【解説】
・この文章は、唐代の大文章家・韓愈(かんゆ)が書いたものである。
 馬のたとえを使って、優秀な能力を持っていてもそれを発揮することの困難さを述べている。
優れた能力を持つ人でも、それを見抜ける人がいなければ、能力を発揮する機会も与えられず、相応の処遇もないので、結局その能力を発揮することはないと説いている。
 だからこそ「伯楽」のように能力を持つ人を見つけ出す人物こそ重要なのである。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、113頁~129頁)

「幽霊を売った男」『捜神記』


「幽霊を売った男」『捜神記』
 南陽宋定伯、年少時、夜行逢鬼。問之、鬼
言、「我是鬼。」鬼問、「汝復誰。」定伯誑之言、「我
亦鬼。」鬼問、「欲至何所。」答曰、「欲至宛市。」
鬼言、「我亦欲至宛市。」遂行数里。鬼言、「歩行
太遅。可共逓相担、何如。」定伯曰、「大善。」鬼
便先担定伯数里。鬼言、「卿太重。将非鬼也。」
定伯言、「我新鬼。故身重耳。」定伯因復担鬼、
鬼略無重。如是再三。
 定伯復言、「我新鬼、不知有何所畏忌。」鬼
答言、「惟不喜人唾。」於是、共行。道遇水。定伯
令鬼先渡、聴之、了然無声音。定伯自渡、漕漼
作声。鬼復言、「何以有声。」定伯曰、「新死、不
習渡水故耳。勿怪吾也。」行欲至宛市、定伯
便担鬼著肩上、急執之。鬼大呼、声咋咋然、
索下、不復聴之。径至宛市中、下著地、化為
一羊。便売之。恐其変化、唾之。得銭千五百
乃去。当時石崇有言、「定伯売鬼、得銭千五百。」

※この文章には「鬼」が出てくる。 
 漢文に出てくる「鬼」は幽霊や妖怪である。日本のおとぎ話や節分の時などに出てくる角のはえた赤鬼とか青鬼ではない。漢文では「おに」と読まずに「き」」とそのまま音読みする。
 内容も比較的気楽でおもしろいので、読んでいこう。

【書き下し文】
 南陽の宋定伯、年少(わか)き時、夜行きて鬼に逢ふ。之に問へば、鬼言ふ、「我は是れ鬼なり」と。鬼問ふ、「汝は復た誰ぞ」と。定伯之を誑(あざむ)きて言ふ、「我も亦鬼なり」と。鬼
問ふ、「何れの所に至らんと欲す」と。答へて曰く、「宛市(ゑんし)に至らんと欲す」と。鬼言ふ、「我も亦宛市に至らんと欲す」と。遂に行くこと数里なり。鬼言ふ、「歩行太(はなは)だ遅し。共に逓(たが)ひに相担ふべし、何如。」定伯曰く、「大いに善し」と。鬼便(すなは)ち先づ定伯を担ふこと数里なり。鬼言ふ、「卿太だ重し。将た鬼に非ずや」と。定伯言ふ、「我新鬼なり。故に身重きのみ」と。定伯因りて復た鬼を担ふに、鬼略(ほぼ)重さ無し。是くのごときこと再三なり。
 定伯復た言ふ、「我新鬼なれば、何の畏忌する所有るかを知らず」と。鬼答へて言ふ、「惟だ人の唾を喜ばざるのみ」と。是に於て、共に行く。道に水に遇ふ。定伯鬼をして先づ渡らしめて、之を聴くに、了然として声音無し。定伯自ら渡るに、漕漼(さうさい)として声を作(な)す。鬼復た言ふ、「何を以て声有る」と。定伯曰く、「新たに死し、水を渡るに習はざる故のみ。吾を怪しむ勿かれ」と。行きて宛市に至らんと欲するに、定伯便ち鬼を担ひて肩上に著(つ)け、急に之を執(とら)ふ。鬼大いに呼び、声咋咋(さくさく)然として、下さんことを索(もと)むるも、復た之を聴かず。径(ただ)ちに宛市の中に至り、下して地に著くれば、化して一羊と為る。便ち之を売る。其の変化せんことを恐れ、之に唾す。銭千五百を得て乃ち去る。当時石崇言へる有り、「定伯鬼を売りて、銭千五百を得たり」と。

【現代語訳】
南陽の宋定伯が、若かった時、夜出かけて幽霊に遭遇した。宋定伯がそれにたずねると、幽霊は言った、「自分は幽霊だ」と。幽霊がたずねた。「おまえはだれなのか」と。定伯は幽霊をだまして言った、「自分もまた幽霊だ」と。幽霊はたずねた、「どこに行こうとしているのか」と。答えて言った、「宛市に行こうと思う」と。幽霊が言った、「私もまた宛市に行こうと思っている」と。
こうして数里(いっしょに歩いて)行った。幽霊が言った、「(おまえは)歩くことが遅い。二人が順番に相手を背負うことにしよう、どうか」と。定伯は言った、「とてもよい」と。幽霊はすぐに先ず定伯を数里背負った。幽霊は言った、「そなたはとても重い、もしかすると幽霊ではないのか」と。定伯が言った、「私は新しい幽霊である。だから身体が重いのだ」と。定伯はそこでさらに幽霊を担いだところ、幽霊はほとんど重さがなかった。このようなことが二度三度と続いた。定伯はさらに言った、「私は幽霊になったばかりなので、おそれきらうものは何があるのか知らない」と。幽霊は言った、「ただ人のつばが嫌いなだけだ」と。そこで、いっしょに歩いていった。途中の道で川に遭遇した。定伯は幽霊にさきに川を渡らせてみて、その音を聞いたが、まったく音はしなかった。定伯が自分から川を渡ると、ざぶざぶと音を立てた。幽霊がふたたび言った、「どうして音がするのか」と。定伯は言った、「死んだばかりで、水を渡るのになれていないからだ。私をあやしまないでくれ」と。進んで行って宛市に到着しようとすると、定伯はすぐに幽霊を担いで肩の上にくっつけて、急に身動きできないように捕らえた。幽霊は大声で呼び、ぎゃあぎゃあとさけび、下ろすことをもとめたが、定伯はもう言うことを聞かなかった。まっすぐ進んで宛市の中に到着し、幽霊を下ろして地面につけると、一匹の羊に化けた。定伯はすぐにこの幽霊が化けた羊を売った。定伯は幽霊がもとに戻ることをおそれ、その羊につばをつけた。千五百銭を手に入れてなんと去って行った。その当時石崇が次のように言った、「定伯は幽霊を売って千五百銭もの金を手に入れた」と。

【解説】
・「令」は使役「しむ」
 「令」は「使」と同じように使役の助動詞として「しむ」と読む。「―させる」という意味。
 この「令」と動詞「渡」の間にある「鬼」が使役の対象なので、「鬼をして」と「をして」という送り仮名を付けなければならない。
 「了然として」は「まったく」という意味。
 「定伯は幽霊にさきに川を渡らせてみて、その音を聞いたが、まったく音はしなかった。」と訳す。
・「何以」は「なにをもつて」
 「何以」は「なにをもつて」あるいは「なにをもつてか」と読んで「どうして」という意味。
 「鬼がふたたび言った、『どうして音がするのか』と」という意味。
・「鬼大呼、声咋咋然、索下、不復聴之。」は「鬼大いに呼び、声咋咋(さくさく)然として、下さんことを索(もと)むるも、復た之を聴かず。」と読む。
 「咋咋然」は「ぎゃあ、ぎゃあ」とさけぶ擬音語。
 「索」は「さがす」と読むこともあるが、ここは「もとむ」と読んで、「要求する」という意味。
 「不復―」は「また―ず」と読んで、「もう―しない・二度と―しない」という意味。
 「幽霊は大声で呼び、ぎゃあぎゃあとさけび、下ろすことをもとめたが、定伯はもう言うことを聞かなかった。」と訳す。

※幽霊を売りとばした男の話である。
 日本だと古典落語に出てきそうな話である。この『捜神記』(そうしんき)という作品は今から1400年前の晋代に書かれたものである。幽霊の出てくるような作品を「志怪小説」という。
 「志」は「誌」と同じで、「しるす」という意味があり、「怪しいことをしるしたこばなし」という意味である。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、130頁~148頁)

「進んでいる舟にしるしを刻みつけた男」『呂氏春秋』察今


菊地隆雄ほか『漢文必携[四訂版]』(桐原書店、1999年[2019年版]、186頁)の故事成語にも、次の話は出てきた。

「舟に契みて剣を求む」『呂氏春秋』察今

楚人有渉江者。其剣自舟中墜於水。遽契
其舟曰、「是吾剣所従墜。」舟止。従其所契者、
入水求之。舟已行矣。而剣不行。求剣若此。
不亦惑乎。以此故法為其国与此同。時已徙矣。
而法不徙。以此為治、
豈不難哉。

【書き下し文】
楚人に江を渉(わた)るも者有り。其の剣舟中より水に墜(お)つ。遽(には)かに其の舟に契(きざ)みて曰く、「是れ吾が剣の従りて墜つる所なり」と。舟止(とど)まる。其の契みし所の者より、水に入りて之を求む。舟已に行く。而も剣行かず。剣を求むること此くのごとし。亦惑(まどひ)ならずや。此の故法を以て其の国を為(おさ)むるは此と同じ。時已に徙(うつ)れり。而も法は徙らず。此を以て治を為(な)すは、豈に難(かた)からずや。

【現代語訳】
楚の国の人に長江を渡る人がいた。その人の剣が舟の中から水の中に落ちた。いそいでその舟に刻んでしるしをつけて言った、「ここが私の剣が(水に)落ちたところだ」と。舟が止まった。その人が刻んでしるしをつけたところから、川の中に入って落とした剣を探し求めた。舟はもう進んでしまった。それなのに剣は進まない。剣を探し求めることはこのようである。なんと見当違いではないか。古い法律や制度によって国を治めることはこれと同じである。時勢はすでに移り変わってしまっている。それなのに法律や制度は変わらない。この古い法律や制度で政治を行うことは、なんと困難ではないか。

【解説】
・「已」と「巳」「己」
 ここで「已」に関連して、字形の似ている三つの漢字について区別の仕方を紹介しておく。
 「み」は上に…………巳
 「おのれ」「つちのと」下に付き…………己
 「すでに」「やむ」「のみ」中ほどに付く…………已

 巳は十二支の「ね、うし、とら、う、たつ、み…」の「み」である。上まで閉じる。
 「己」は「自己」の「こ」である。訓読みでは「おのれ」と読む。
 「つちのと」という読み方は漢文ではまず出てこないが、五行(木・火・土・金・水)のそれぞれに陽(兄=え)と陰(弟=と)を当てて、「木の弟(きのと)」とか「火の兄(ひのえ)」などとし、これを十干(かん)(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)に当てはめた読みである。
 十干の六番目に「己」があるので、五行の三番目の「土」と「陰=弟」を組み合わせて、「土の弟(つちのと)」と読むわけである。
 
 「已」は「すでに」「やむ」「のみ」の三つの読みがある。
 漢文では三つともよく出てくる。古文の「已然形」の「已」である。
 ちなみに「已然形」の「已」は「すでに」の意味で、「已然形」は「すでにしかるかたち」、すなわち「もうすでにそうなってしまったかたち」という意味である。
 
・「為」は「をさむ」
 この文は難しい。まず「為其国」の部分の読みからいこう。
 「為」は「ため」「なす」「なる」など読み方の多い漢字であるが、ここは「国」とあるのに注目する。「為」は「をさむ」と読んで「治」と同じく「国をおさめる」という意味がある。
 「為其国」は「為二其国一」と返り点を付けて、「其の国を為(をさ)む」と読む。
 次に「与」と「同」に注目する。
 「与」にもいろいろな読みがあるが、「与」には「と」という読みもあって、「A与レB同」「AはBと同じ」と読む。「為其国与此同」は「為二其国一与レ此同」と返り点を付けて「其の国を為(おさ)むるは此と同じ」と読む。
 では「以此故法」の読みを見てみよう。
 「故」には「ふるい」という意味があり、「故法」で「ふるい法」という意味である。
 「以此故法」は「以二此故法一」と返り点を付けて「此の故法を以て」と読む。
 「以」はここでは「―を使って・―によって」という手段を示す。
 「此の故法を以て其の国を為(おさ)むるは此と同じ。」と読んで、「古い法律や制度によって国を治めることはこれと同じである。」という意味である。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、169頁~184頁)

「書物からの知識よりまず体験せよ」『荘子』天道篇


「書物からの知識よりまず体験せよ」『荘子』天道篇

桓公読書於堂上。輪扁斲輪於堂下。釈
椎鑿而上、問桓公曰、「敢問、公之所読為
何言邪。」
 公曰、「聖人之言也。」
 曰、「聖人在乎。」
 公曰、「已死矣。」
 曰、「然則君之所読者、古人之糟魄已夫。」
桓公曰、「寡人読書。輪人安得議乎。有説
則可、無説則死。」
 輪扁曰、「臣也以臣之事観之。斲輪、徐則
甘而不固。疾則苦而不入。不徐不疾、得之
於手而応於心。口不能言。有数存焉於
其間。臣不能以喩臣之子。臣之子亦不能
受之於臣。是以行年七十而老斲輪。古之
人与其不可伝也死矣。然則君之所読者、
古人之糟魄已夫。」

【書き下し文】
桓公書を堂上に読む。輪扁(りんぺん)輪を堂下に斲(けづ)る。椎鑿(つゐさく)を釈(お)きて上(のぼ)り、桓公に問ひて曰く、「敢へて問ふ、公の読む所は何の言と為すや」と。公曰く、「聖人の言なり」と。曰く、「聖人在りや」と。公曰く、「已に死せり」と。曰く、「然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄(さうはく)のみなるかな」と。桓公曰く、「寡人書を読むに、輪人(りんじん)安くんぞ議するを得んや。説有らば則ち可なるも、説無くんば則ち死せん」と。
輪扁曰く、「臣や臣の事を以て之を観ん。輪を斲るに、徐なれば則ち甘にして固からず、疾なれば則ち苦にして入らず。徐ならず疾ならざるは、之を手に得て、心に応ず。口言ふ能はず。数の焉(これ)を其の間に存する有り。臣以て臣の子に喩(さと)す能はず。臣の子も亦之を臣より受くる能はず。是を以て行年七十にして老いて輪を斲る。古の人と其の伝ふべからざると死せり。然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄のみなるかな」と。

【現代語訳】
桓公が書物を表座敷の中で読んでいた。車大工の扁が車輪を表座敷の外で削っていた。(車大工の扁は)つちとのみを置いて(表座敷に)あがってきて、桓公にたずねて言った、「思いきっておたずねしますが、お殿様の読んでいらっしゃるものは何の言葉ですか」と。桓公が言った、「聖人の言葉だ」と。(車大工の扁が)言った、「聖人は生きているのですか」と。桓公が言った、「もうすでに死んでいる」と。(車大工の扁が)言った、「それならお殿様がお読みになっていらっしゃる物は、昔の立派な人物のかすにすぎませんね」と。桓公が言った、「わたしが書物を読んでいる。車大工ごときがどうして口だしなどできようか。申しひらきがあればよいが、申しひらきがなければ(おまえの)いのちはないぞ」と。
(車大工の扁が)言った、「わたしは自分の仕事でこれを考えてみましょう。輪をけずることが、ゆっくりだとはめ込みが緩くてきっちり締まらない。急ぎすぎるとはめ込みがきつくて入らない。ゆっくりでもなく急ぐでもない手加減は、これを手で覚えて心で会得するものです。口では説明できません。仕事のコツというものが、そこにはあるのです。わたしはそれをわたしの子に教えることはできません。わたしの子も同じように仕事のコツをわたしから教わることはできません。こういうわけで年齢が七十になって老いても輪をけずっています。昔の立派な人とその人たちが伝えることができなかったものとは、もうなくなっています。そうだとすればお殿様の読んでいる物は、昔の立派な人のかすにすぎません」と。

※『荘子』に出てくる「桓公」のように、ともすると文章に書いてあることを鵜呑みにしたり、頼ったりしがちである。
もちろん人の意見や幅広い知識を「文字」というものから知ることは大切だが、「車大工」の言葉のように、「文字」では伝えられないこともある。だからこそ、目で文字を追いながら読むだけでなく、自分で体験してみることが大切であるという。

【語句】
・「已」は「すでに」「やむ」「のみ」
 「已」には「すでに」「やむ」「のみ」という三つの読み方がある。
 どの読みになるかは、文の意味から判断するが、ここは句末にあたるので、「のみ」と読む。

・「安」は「いづくんぞ」
 「安」には「いづくんぞ」と「いづくにか」という読みがあるが、ここは「どうして―できようか」と反語の意味になるので、「いづくんぞ」と読む。「いづくにか」と読むと「どこに」という意味になる。
 「安得議乎」は「安くんぞ議するを得んや」と読む。「安得」の形はまず反語と見てまちがいない。ここは「乎」もあり、「安得―乎」の形で反語である。「いづくんぞ―をえんや」と読む。
 また「いづくんぞ」の送り仮名は「安くんぞ」と「安んぞ」のどちらでもかまわない。
「輪人安得議乎。」は「輪人安くんぞ議するを得んや。」と読んで、「車大工ごときが、どうして口だしなどできようか。」という意味である。

・「則」は「レバ則」
 「則」は「すなはち」と読んで条件を示す。
 「有れば則ち」「無ければ則ち」と「バ」を付けて読む。それで「則」のことを「レバ則(そく)」と呼ぶことがある。
 「則(すなは)ち」自体訳す必要はない。ただ「―すれば」と条件を示している。

・「可」は「かなり」
「有説則可」は「説有れば則ち可なり」と読む。「可」は「かなり」と読む。
 ここは「べし」と読んではいけない。
「可」を「べし」と読む場合には、「可」の下に動詞や助動詞にあたる文字がなければならない。たとえば「可レ学」だと「学ぶべし」と読む。
ここは「可」の下には何もないので、「べし」とは読まずに「かなり」と読む。
「可なり」とは、「よい・よろしい・かまわない」という意味である。

・「也」は「や」
 「臣也」の「也」は「や」と読む。
 「也」は「なり」と読んだり、疑問や反語の文で句末にあるとき「や」と読むが、ここのように文の途中にあるときにも「や」と読む。意味は「―は」「―のときには」などである。
 「臣也」は「臣や」と読んで「わたしは」という意味である。「臣」はもともと「臣下・家臣」という意味であるが、会話の中では自称として使われる。

※この本も、読者に漢文を体験してもらうためのものである。
ここに紹介した文章を何度も声に出して読んでみてほしいという。
何度も繰り返していくうちに、漢文訓読の基本がひとりでに身についてくるとする。
(この意味で『荘子』の話は示唆的である!)
訓読の基本が身についたら、今度は新たな漢文に挑戦してほしいそうだ。
自分で漢文が読めるようになるおもしろさを味わってほしい、と著者はいう。
本書をきっかけにして、さらに様々な漢文を読んでほしいという。
(幸重敬郎『漢文が読めるようになる』ベレ出版、2008年、185頁~213頁)



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