倉野立人のブログです。

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2011-05-13 11:37:54

2011-05-13 | インポート
先日、電車に乗っていて、足を踏まれました。
篠ノ井からの下り線に乗ると分かるのですが、長野駅構内に差しかかると、とある地点で車体が左右に揺れるのです。
その「揺れポイント」が近づくと、私はいつも身構えるのですが、慣れない乗客の中には「オッと!」という感じでよろける方が間々おります。
で、この日は、その「オッと!」の踵(かかと)が、どストライクで私の足の甲を直撃、思わず「イテッ!」と声に出してしまいました。
くだんの主、私の〝悲鳴〟を聞いて「いや、すみません。」と頭を下げてくれましたが〝足を踏んだ踏まれた〟というのは、概していえば、足を「踏んだ方」は、さほどでもない(下手をすれば気づかない)ものですが「踏まれた方」は痛いの何の、前触れもないイキナリの衝撃に、痛さも倍増、というところでしょう。
これと異種同義の事柄に「ことば」があると思います。
いわゆるところの「心ないことば」です。
相手に対し投げかけたことばが、言った方はさほどでもないと思った内容でも、聞いた方はイタク傷つく場合も間々あるものです。
これはまさに「足ふんじゃった」状態・・・言った(踏んだ)方はさほどでもなくても、言われた(踏まれた)方は痛い、傷つく。
私が遭った〝事案〟のように、踏んだ(言った)方が、踏まれた(言われた)方の悲鳴を聞いて気づけばまだイイのですが、踏みっぱなし(言いっ放し)の場合は、やられた方は、踏まれ損(言われ損)になってしまいます。
実は私、足を踏んづけられる方がまだマシ・・・というような思いも間々味わうところですが、自分が〝踏んづけられる〟都度に思うことは、せめて自分くらいは、他人様の足(心)を踏んづけない(傷つけない)ように心を配らねば・・・と自戒の念を新たにするところです。
それでも・・・絶えないもんですヨ、踏んづけてそのまま立ち去っちゃうヒトは。