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〈「事業仕分け」という荒療治〉

2009-11-26 | インポート

11/25 Wed.  [ クラちゃんの起床時刻 5:20 AM ]

 

 

◇「事業仕分け」は、行政での究極の〝荒療治〟

                  〝体質改善〟のため、かなりの痛みが伴っています。

 

 

11日から始まった、行政刷新会議ワーキングチームの手によって行われている「事業仕分け」は〝完全公開〟という透明性も手伝って、マスコミはもとより多くの国民の傍聴者が会場に訪れるなどし、今や鳩山政権の「目玉」として衆目を集めています。

 

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さきの総選挙で「これまでの政治のムダを洗い出し、国民の生活を第一に考える政治を断行する」とした民主党が、これまでの55年体制の〝ゆるま湯〟の中で継続されてきた事業の見直しと「子ども手当」などマニフェストの財源確保のために、国の関与する全ての事業を「公(おおやけ)の場」で精査し、必要性の可否を問い直すとするこの短期集中作業は、例えれば、長年かかって曲がってしまった腰を、整体師が「ボキボキッ!」っと一気に伸ばしてしまおうかという〝荒療治〟に映ります。

 

今回の見直し作業、447事業に亘る項目の洗い直しが行われ、財政面から言えば、総額3兆円の財源確保が目標として掲げられています。

 

これまで、国の〝ヒモ付き〟で行われてきた「まちづくり関連事業交付金」などの、地方自治体で行われる補助事業や「国立女性会館」などの省庁の傘下にあった施設の運営費、さらには「福祉医療機構」などの独立行政法人をはじめ、全ての事業にメスが入れられました。

 

それぞれを所管する省庁の役人を前に「仕事人」ならぬ「仕分け人」は、ボキボキッと整体し、バッサバッサとなで切りにしていきます。

 

テレビを通じて流されるその場面は、ある意味 痛快であり、ある意味 心配でもあります。

 

例えば、地方自治体にとって深刻な課題である「公共交通の再生」に関しては、現在もバス路線など、赤字運営の補填(ほてん)や、新たな活性化を図る施策は国の補助の下で行われており、これが切られれば、自治体の単費(たんぴ)で補うのは不可能となり、地域の〝市民の足〟は風前の灯となりかねません。

 

それに対する「仕分け人」の判断は「地域の公共交通インフラの再生は必須であるので(新型バスの購入補助は削減するが)赤字補填は必要とする」という〝賢明〟なものでした。

「仕分け人」は〝何でもNO!ではない〟ということが見え、安堵したところです。

 

 

 

今回の「事業仕分け」については(さきにも触れましたが)マニフェスト実行のための〝財源確保〟が第一義とされ「あれだけやっても約1兆4千億円の〝捻出〟にしかならず、見直しの効果は不十分」との評価がされていますが、私は、視点を変えれば、今回の仕分け作業には、また違った役割があると思うのです。

 

そもそも、この「事業仕分け」は、旧態依然の体制下で、半ば漫然と行われてきた公共事業や補助事業の〝存在意義〟や〝果たしている役割〟を、改めて見つめ直すこと、さらには、国の関連事業という隠れ蓑(かくれみの)を纏(まと)い、官僚の天下りの温床を維持し、そこに公金を流し込んでいるような〝悪しき旧体制〟を質すこと(それも公の場で)が、財源確保以上に大きな役割を担っていると思うのです。

 

〝公開裁判〟と揶揄(やゆ)する向きもありますが、第三者の前で事業の意義を即答できるか・できないかは、担当省庁の「取り組みの程度や意欲」を推し量る物差しにもなり、「仕分け人」の切り出す刃(やいば)をはっしと受け止め、返す刀を繰り出せないとすれば「本気で取り組んでいない」と判断される、ということでしょう。

 

オ役人にも「俊敏な反射神経」が要求され「あのォ~…」とモタついてみたりとか、言い訳めいた答弁をした瞬間に「バッサリ」ですから、全身で聞いて全身で応えるノウハウとエネルギーが要求されるところです。

 

今回のこの荒療治、平たく言えば、だらだら造っていた建造物を一旦ブチ壊して〝更地〟に戻し、新たな使い勝手のイイ建造物を、みんなの手で創りあげる、ということを目的としているとされ、逆に言えば、国民ひとりひとりが責任をもってカナヅチややノコギリを手に、建設作業に参加する、ということなのかも知れません。

 

また、今回の「仕分け」に対し、主に文教関係から多くの反対意見が出されていますが、私はこれも大切なことだと思います。

今回の事業の大幅見直しの実行、それに対する意見、それらを総合して新年度予算が組まれていくことこそが「国民主権の政治」の表れにつながる、と思います。

 

ただ…国の改革がスタートしたばかり、という状況下で、新年度予算を睨む地方自治体にあっては、これまでの補助金・交付金の変更があれば、自治体予算そのものも再計上ということになり、まさに「気を揉(も)む」といったところです。

 

長野市においても、年末年始を経て各部局が事業計画を練り、やがて市長査定に臨むワケですが、足し算のひとつが有るや無いやでは、描く絵も大きく変わってきてしまいます。

 

いずれにしても、国民の総意で改革を選択した以上は、痛みに耐え、創意工夫でこの大きな転換点、潮目を乗り切る「チームワーク」が、各自治体にも求められているのだと思います。

 

そんな中、事業見直しに反発一途(いちず)だと思われた首長の中にも、自治体においても「事業仕分け」をすべき、と考え、実行に移し始めているのは評価されるところです。

 

今回の国の動向を契機に、私たちの住む長野市においても(いたずらな廃止を進めるのでなく)これまでの事業を見つめ直す〝意識〟を持つべきときを迎えているといえるのかもしれません。

 

来たる12月議会において、議論の緒(ちょ)をつけてみたいと思います。

 

 

 

 

◇ オマケ・・・「現役世代と次世代」

 

先日「長野市テニス協会 納会大会」に足を運ぶと、会場の南運動公園の緑地に生える落葉樹は、すっかり葉が落ち、冬木(とうぼく)の侘びしさを漂わせています。

 

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それでも、樹(き)の根元を見れば、芝生のそこここから、可愛らしい新芽が育ち始めていました。

 

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果たして、この樹(き)の実子(じっし)かどうかは定かではありませんが、今を盛りと枝を伸ばす大きな樹と、次世代に向けて力強く育ち始めた小さな芽との〝共存風景〟が、自然の世界で受け継がれる循環型社会の象徴を見たようで、微笑ましく、また頼もしく映ったものでした。

 

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
文科省と学校が、どれほど腐っているかを知ってい... (yamato)
2009-11-26 08:34:53
文科省と学校が、どれほど腐っているかを知っていますか。
事業仕分け大賛成です。
文科省官僚が計画した事業は、全て廃止すべきと思っています。
文部科学省の仕事は、質の高い教育を提供し、子供達が良い社会生活を送れるようにすることです。ところが、官僚達は、デタラメ政策で子供達の人生を台無しにしました。
大学を天下り機関に変え、世界最低にまで堕落させたのも文科省官僚です。
不登校、退学者20万人、引きこもり、ニート60万人という現実こそ、文科省官僚の無能と腐敗を明らかにしています。文科省こそ、日本社会を衰弱させる癌です。「『おバカ教育』の構造」(阿吽正望 日新報道)を読むと、すべてが分かります。絶対に許せません。
不道徳で無責任な腐敗官僚の行う事業は、国民にとって危険です。
誰もが、事業仕分けで文科省を廃止すべきと、確信する筈です。
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yamato さん ゑ (クラちゃん)
2009-11-26 18:09:10
yamato さん ゑ

ご閲覧&ご投稿 ありがとうございます。

今回の「事業仕分け作業」の中でも、文科省関連事業が遡上(そじょう)に乗ると、賛否が交錯し、ひときわ大きな話題となっていますね。

教育に関する諸課題は、多岐に亘り、また複雑多様化する中、地方自治体においても多くの問題を抱えています。

私も、行政視察などを通じて、いち地方自治体においても、教育委員会の「胸三寸」で、成果に大きく差が出てしまうことを実感しましたが、ましてや、その大元締めである文科省の責任は大きいと言わざるを得ません。

yamatoさんのおっしゃる通り、文科省が所管するわが国の教育には多くの課題が内在していると思います。
今後も私なりに勉強させていただきながら、地域の教育基盤の向上に向け、積極的に取り組んでまいりますので、今後ともヨロシクお願い申し上げます。

ありがとうございました。
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