倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

〈「声」のフシギ〉

2011-01-27 | インポート
先日、地域の役員サンの急ぎの用事があり、電話をかけました。

すると、電話の向こうで聞き慣れた声で「はい、△△です。」との応答が。


急いでいたワタクシ、さっそく「おはようございます、クラノです。先日お願いしておいた件だけど・・・。」と用件を話し始めると「あ、とーちゃんですね。今 代わります。」との返事・・・ (@@)


ど~やらワタクシ、声を聞いてご本人と思い込み、息子サンに話しかけていたのでした ^^;
イヤしかし、声・イントネーション・電話の出方…どれをとってもゴ本人としか思えなかったのですが・・・。


このように「声」って、とりわけ家族の場合、容姿以上に「似る」ものですよネ。
(くだんのオ宅は、容姿はそれほどそっくりというワケではないのです。が、声は正にウリふたつでした)

声のフシギ・・・を実感したひとときだったのでした



また、クルマを運転中、ラジオの「道路交通情報」を聞く機会があるのですが、その際、アナウンスをされる職員の声に交々(こもごも)を実感しました。


道路交通情報センターの、ある女性職員は、やや舌足らずで、何だか子供サンのような可愛らしい声でアナウンスします。
またある男性職員は、何というか「息を止めて言葉を発する」かのような口調でアナウンスされており、聞いているうちに声に合わせて息を止めている自分がいて、苦笑してしまいました。



私はかねがね「声」は、容姿以上に人それぞれの個性を伝えるツールである、と思っています。
必要以上に(^^)大きい声の人、また逆に、こちらの耳が遠くなったんじゃないかと思うほどに聞き取りにくい声の人、また妙にドスの効いた声や、実年齢に見合わないような声を出す人・・・。
また昨今では「スーザン・ボイルさん」のように、類(たぐい)まれな美声で一世を風靡した方もいらっしゃいます。


変な話し、整形でカオは容易に変えられても、声はそう簡単に変えることはできないとも聞きます。



また、ワタシらのような稼業(?)の場合「声」は、意思を伝える重要なツールとなります。


私は幸い、声自体はマイク不要なほど ^^;一定のボリュームを有していますが、ややもする「早っちゃべり」になってしまうので、滑舌をしっかりとし、聞く方に不快感を与えないような「耳さわりのイイ」話し方に努めなければ、と思うところです。



親しいオ宅に〝間違い電話〟をかけ(^^)「声」について思いをいたしたひとときでした。