森の空想ブログ

壁・アート・補修【風と森のアート´24-3】

老朽化し、部分的に崩落が始まっている壁を補修する。

私どもが「九州民俗仮面美術館」として利用させてもらっているこの建物は、石井記念友愛社の先代理事長が、戦地から帰還して来て石井十次の孤児救済事業を再開し、建築したものだ。それゆえ、70年以上が経過し、方々に傷みが出ている。屋根瓦などは限界寸前で、昨年9月には、雨漏りの修理に上った私自身が落下して骨折するという事故も起きた。それから半年以上が過ぎて、足も回復したので、修復を再開したのである。部分的に手入れをしながら再活用するというのが、腕の見せ所、古民家再生ARTの真骨頂なのである。

部材は、手入れをしながら保管してある古材や、近隣から切り出してきた木の枝、竹などを利用する。

それを縦横の比率、組み合わせ方などに工夫を凝らし、仕上げてゆく。

私は、画の道を志した20歳代前半から空家や古民家に住み、そこを再利用してきたキャリアの持ち主である。最初は農家の牛小屋を片付け、裏山に放置してあった松の丸太を担ぎ出してきて、そこをアトリエにした。昼間は家族で経営していた石切場で働き、夜は絵を描いた。壁に600号の大作が立てかけられていた時期もある。中二階の天井に近い位置にスピーカーを取り付けてあり、そこから流れる音楽を聴いた。そのころの若者たちが夢中になったフォークソングも聴いたが、主にラテン音楽やクラシックを聴いたものだ。だから今でもメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲の出だしの部分などは口笛で吹くことが出来る。モーツァルトのオペラ「魔笛」の中の鳥追いパパゲーノの歌なども口ずさむことが出来るのである。

そんなことなどを回想しながら、不登校中三のカワトモ君とクギを打ち、竹壁を仕上げ、木の枝で装飾を加えてゆく。

――これは、建築物ではないのだ。この廃棄物や雑木や枯れ竹などを組み合わせてゆくセンスこそがアートなのだよ。

カワトモが頷く。まだ半信半疑かもしれないが、こうして一緒に作業をしてゆくことで身に着く技術とアート感覚がある。

窓の向こうに、古唐津の壺や九州根来の瓶子などが見えてくるようになると、簡素なものの中にある味わいや古びて味わいのあるものの中に美を見出し、感謝し、観賞する日本人独自の美意識「侘び・寂び」の風趣が漂い始める。

――千利休がここに来たならば、茶を一服点てて進ぜよう、というかもしれぬ。

大袈裟な冗談を開陳しながら作業を継続。

これが、今後展開される予定の古民家再生ARTに応用できる技術とデザインの基礎となってゆくのである。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事