森の空想ブログ

秋風の色に染まって流れた音楽/小林道夫先生のラストコンサート【森へ行く道<108>】

 

コンサートの会場へ向かう道には秋風の香りが漂っていた。

胸の裡に流麗な音楽が流れていた。

ラストコンサート。今期のツアーを最後に、小林先生が演奏活動を終了するという情報は夏ごろから得ていたので、実質、宮崎でその演奏を聴き、お目にかかる機会は最後になるのだ。爽やかな秋空の向こうに流れてすぎる風景は、「ゆふいん音楽祭」でご一緒する機会を得、交流させていただいた40年にわたる歳月だ。

40年と少し前の当時、「星空の音楽会」のタイトルで続けられていた老舗旅館「亀の井別荘」の庭園での演奏会活動を終了する議論が続いていた。町の観光協会主催のイベントでは継続できないという事情があったようだ。そのころ、町内在住の若者7人が発起人となり、「ゆふいん音楽祭」として引き継ごうという結論が出た。この街に移住して間もない私(30歳―まだ若かった)もその一人に加えてもらった。九州の田舎の小さな町で、居ながらにして上質の音楽を聴く機会を惜しむ心情と、観光客招致のためのイベントではなく、自分たちが心から楽しめる音楽会を作り上げていこうではないか、という趣旨が一致したのである。

その音楽祭は、町に点在する小さな施設を借りて演奏会場とし、時には街角や路上や駅前の広場に出て、演奏した。小学校や公民館も借りた。文字通り手づくりの音楽祭は徐々に浸透し、町内の聴き手を育て、遠来の客も集まり始めた。その時期に小林道夫さんが参加して下さり、以後、音楽監督としてこの音楽祭を育てあげてくださったのだ。すでに日本の音楽会を牽引する存在として知られた氏のことを私たちは「小林先生」と呼んだが、小林さんはそれを穏やかに拒否した。あくまで一人の仲間として参加しているという態度が、信頼を集め、仲間たちや音楽家たちを結集させた。ふと気が付くと、会場設営のための椅子を小林さんが一緒に運んでくれていたりした。またある時は夜が更けるまで、酒を酌み交わし、音楽のこと、文学や芸術の道、後に「町づくり」と呼ばれた地域計画などについて語りあったのである。そのような、町の成長期とともに歩んだのが「ゆふいん音楽祭」であった。

1086年、私は「由布院空想の森美術館」を開設した。設立時に、かつて小林さんが愛用していたチェンバロを譲りうけるという幸運があった。熊本市の音楽愛好家のもとへ、私は車を運転して受け取りに行き、阿蘇の高原を越えて由布院へと運んだのである。この美術館は「町づくり」の議論と運動を下敷きとして誕生した施設であるという意識が強かったから、私は町の種々の行事に参加した。その一連の活動の中に、このチェンバロを使用した演奏会を組み込んでもらえたことは、望外の幸せであった。美しいチェンバロは美術館の「展示」の主役の一つとなり、木造りの美術館空間に清麗な音を響かせたのである。「湯布院映画祭」「ゆふいん音楽祭」「アートの町由布院」という評価が定着し、多くの人が訪れるようになって、湯布院の町が最も輝いた時期であった。

2001年、種々の要因が重なり、私は同館を閉館して宮崎へと移り住み、クラシック音楽を聴く機会を失ったが、そこは、神楽の伝承地であり、夜を徹して神楽が舞い続けられる神々の原郷であった。神楽とは、山深い村々が伝えてきた神事儀礼であり、古代史・演劇史・宗教学・民俗学・音楽・美学等の要素を含む総合芸術であった。峠に立ち、峰を渡る風の音を聴き、村の入り口に翻る幟旗を見つめながら、私は時折、神楽笛に混じるチェンバロの音を聴くことがあった。私の音楽は、このようにして発酵と純化を続けていたのかもしれない。

今回の演奏会は、宮崎在住のフルート奏者・桐原直子さんの活動をずっと見守り続けてきた小林さんからの最上のプレゼントでもあった。桐原さんは、ゆふいん音楽祭にも初期のころから参加し、宮崎でも音楽活動を続けて来た逸材である。同時期にゆふいん音楽祭に参加したチェロ奏者の河野文昭さんの伴奏も小林さんのチェンバロと響き合って、桐原さんの演奏を荘厳した。西洋の音楽とは、鍛錬を重ねた演奏者が、楽譜に忠実に音楽を奏でることによって、作曲家の意図、それを聴いた時代の王侯貴族の心象、演奏家の心情などが協奏する高度な芸術だと私はこれまで理解してきたが、この日の演奏会は、一曲一曲に込められた奏者の心情が見事に昇華された逸品であった。

ラストコンサート。

良い音楽を聴いた。

これが私の人生で最後の音楽鑑賞になってもいいとさえ、思ったのである。

     ☆

演奏会終了後、桐原さんが楽屋に招いてくださった。そこには演奏を終えた小林先生の穏やかな笑顔と、期せずして集まったゆふいん音楽祭を支えた「同志」のような面々とが顔をそろえていた。これもまた良し。

*写真1枚目は小林道夫さんの「バッハ/ゴルトベルク変奏曲」「バッハ小前奏曲集」のCDジャケットから転載。写真2枚目は同日のコンサートチラシから。3枚目は当日のアンコールに応える三者。4枚目は楽屋にて。


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