先々週にカーボン噛みが怖くて行かなかった八甲田雪中行軍資料館と日本一のブナを見てきた。
3:20発のフェリーに乗って、青森7:00着。
スゲー明るいライトのハンターカブが同乗してたのでお話したらライトを丸ごと交換したみたい。
青森に着いたら資料館が開く9:00まで時間があるので杉沢村?見学してみます。
場所はここですがね。
沢山ネット上で上げられてるから確認作業って感じ。
違ったのが、先の左側の道が下りでグチャグチャだって事。
なるほど・・・こんな感じなんだ。
写真に載せるのをやめました。
なんか、墓仕舞いしてる場所もあったし、あんまり雰囲気の良い場所じゃありません。
これなら伝説の杉沢村になるのもわかりました。
というわけで、そろそろ開館時間となる八甲田雪中行軍遭難資料館へ向かいます。
着いたらまだ20分前。
とまあこれも想定内で、その時間で資料館裏にある幸畑陸軍墓地の見学(参拝?)です。
駐車場からすでにお墓は見えてます。
家で全部調べてるから、これも確認作業。
ここだけは別です。
遭難凍死者英霊堂です。
あんまり撮りたくないから奥は撮りませんでしたが、兵士の人数分の人形も置かれてる。
線香もあるので、お線香を焚きました。
地蔵尊。
こちらも地蔵尊。
ずらっと観音様から大きな卒塔婆など見えます。
雪中行軍英霊卒塔婆。
兵士の墓標群。
ここの見学で地味に時間を使ったので、資料館の開館前に着て良かった。
ゆっくり見るなら1時間以上かかるでしょう。
こちらは士官の墓地。
兵の墓地。
それが二群に分かれてあります。
銅像として有名な後藤房之介伍長は生存者合同墓碑にその名を刻まれてました。
右から4番目にあります。
9時を回ったので八甲田雪中行軍遭難資料館を見学開始。
入館料270円は安い。
後藤伍長の銅像のレプリカがデンと置かれてました。
これの実物を見た時は、暗かったので怖かった。
館内に入ったらミニシアター(約10分)を観て下さいだって。
なので、ミニシアターの椅子に座って周りを見てた。
雪中行軍について映像が流れてるけど、知ってるから新たな情報はありません。
唯一勉強になったのが、1泊2日の行軍だからなめてた兵士がいた事。
防寒装備をいい加減にして、当日は田代温泉泊だから大丈夫だって。
そんな事がミニシアターで流れてました。
ミニシアターを観終わって館内見学。
ジオラマの足元をよく見て下さい。
装備の違いが分るでしょう。
文献もかなり多く展示されてたので、暇なら半日潰れる。
楽譜は読めませんが、読めれば頭の中にメロディーが流れる?
遺族に鉄道料金が半額になる案内状とかも残されてるのか。
記念絵葉書まで出してるとは・・・来て良かった。
兵舎とおにぎりのレプリカ。
凍って食べられなかったそうですけど。
いろいろ装備についても書かれてます。
当時の装備の人形。
外套(コート)も展示されてるが、これは寒いでしょう。
一般的な兵士は、この軍靴を履いて。
その上にワラ靴を履いたそうです。
生存した方々は、当時はハイカラというかオシャレというか、今ならロングブーツに相当するゴム長を履いてました。
写真がある人は写真付きで遭難者210名が展示されてる。
当時の装備。
時々ブログに出てくる弁開凧次郎さんも資料としてあった。
立ったまま仮死状態で見つかった後藤伍長発見の下り。
30分ほど見学して資料館を後にします。
次は、田茂木野って所へ向かいます。
しかしまあ、県道40号線から枝道に入るとのどかな風景が広がります。
なんか懐かしい道。
いきなり着いたのが八甲田山雪中行軍遭難者遺体安置所跡地です。
ここがそれなのか・・・って、周りに民家がありますけどね。
長居する場所でもないので写真を撮って県道40号線を進みます。
後藤伍長発見の地。
そして案内板ポールしかなくなってる第3露営地。
当時の馬立場(銅像茶屋)から先に第2、第1露営地があります。
鳴沢第2露営地跡。
石塔もあります。
平沢第1露営地。
ここから宿泊地の田代温泉まで現在の道で3km。
銅像茶屋に戻って八甲田雪中行軍資料館めぐり終了。
次行きます。