日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

決断が鈍るまま越年へ

2009年12月30日 17時45分18秒 | 残日録
買い物に付き合わされたが・・・。

年末には、こまごまとした買い物がある(4軒)。おまけに現在では、支払いがほとんど振り込みとなっているから、その口座にお金を移した。(ブロバイダー(電話を含む)、電気、ガス、携帯電話、・・・)そうそう、カードの決済もある。それにプリペイドカード(先金方式)も「ワオン」(イーオングループのジャスコやマックスバリューなど)

疲れること夥しい。

夕刻には、明日の冷え込みを知らせるべく、冷たい雨を伴った寒気がやってきて、震え上がらせられた。寒い、寒い! 犬の散歩も早々に切り上げた。

明日の予定さえ通告された(墓参り、予約の「おせち」を貰いに行く)から、「日向ぼっこ残日録」なんて夢だ。

一眼デジカメの機種選定に戸惑っている。決断が出来ないのだ。わずかな違いに10万円もの大金を余分に掛けることの意味を考えて・・・。12~3万円か23万円か、越年交渉となった。

正月は、胸苦しさを・・休めたいから、なるべくひとと会わずに・・寝正月とするか!

初詣に誘いに来ないで頂戴ね!

何をしようかと

2009年12月29日 21時20分40秒 | 気まま日記
年末に男の仕事は少ない。

縁側(日向ぼっこ残日録の・・・)に面したガラス戸の磨きとトースターの掃除(外せる部品も分解)とレンジを丁寧に拭いた。

まあいいか。

先に年賀状を出したが、体調の所為か「下らない一言」を乱筆で書き込んで、止めておけば良かったと恥じ入っている。ポストから取り戻せないから仕方がない。
人生だって同じだ。過ぎ去ったことを思い出して恥じ入っても仕方がない。


4つ5つ(年齢が)までは、その行為に悪意がない、純粋な精神がある。ということは「性善説」か。ところが6つ7つともなると、思い切って悪意を平気で口にする。大人は笑っているから、喜んでその毒が進化する。
当地方には、「6つ7つは、畦の草まで憎む」なんて表現するから、物心つくと、なににでも「悪事」を働くようだ。あぜの雑草までが、手に負えない存在なのだろう。


それが、齢(よわい)還暦も遠うにすぎると、また、幼児のように発言に配慮がなくなるから、困った存在になる。注意、注意!

正月からは、反省も込めて「日記」を書くことにした。ブログとは違う。ペンをとって「消しゴム」の利かない日記だ。文字も誤字や乱筆も・・忘れ去られようとしている記憶を少しでも引き止めなければならないから・・・。
三日坊主にならないかと心配で、新潮文庫の「マイブック」(帯に自分の本とある)324円にする。

風邪かな

2009年12月28日 20時47分54秒 | 気まま日記
昨日、鳥取方面に行った。

日本海の気候は、移り気だったが、天気予報(雪)ほども悪くなかったのだが、それでも時々吹雪のように雪が舞った。
風が刺すように吹いたので、寒いのなんの・・・・。平地に雪のない正月を迎えるのだろう。途中の中国山脈にも雪がなかったから、珍しいことかも知れない。

景色なんて写せる状況になかった。正月の食べ物なんかを土産に買った。

春先にでも、行きたいところを見つけたが・・・・。

報恩講終わる

2009年12月27日 17時50分02秒 | 残日録
【報恩講】仏教各宗派で、毎年宗祖への報恩のために営む法会。浄土真宗では親鸞(しんらん)の忌日を最終日とする7日間(東本願寺では陰暦11月21~28日)

11月に、檀家寺での行事を終え、今日、「同行」(どうぎょう)の当番に当たっていた我が家での御院主さんの読経があって、本年の行事が完結した。
そう、檀家寺が本堂修復(耐震工事)で1億円程度の寄進が必要で、すでに粗方割り当てられた金額を納めたが・・・宗教にもお金が掛かる。自分の家のこと(耐震)など言っていられないから・・つ・・。

地区の当番(班長、老人会役員、更生会などの地区の役割)も本年でその役割を終えた。うれしい限りだ。体力的に不安があったので、その役割をこなせるかとの杞憂もあったのだから。うれしいのだ。

「趣味の写真を写しに行きたい」と思っていたので、新年には、デジタル一眼を買う積もりだ。機種選定の基本は、画質もあるが、取り扱い易い軽いものにするつもりだ。それでも、交換レンズや三脚などの荷物を持つと山登りなど到底無理なので、自動車で近くまで行ける「行った事のない集落(限界集落)」などの人物に興味がある。

亡父の三回忌が2月にあり、その後に、心臓の検査がある。

その後は・・・・。暖かくなる頃には・・・・・。待っててネ!

来年がうれしい年となるだろうか?

サンタクロースは、今どこに!

2009年12月24日 17時10分12秒 | 残日録
元々ミサイル発射の痕跡(発射の熱線や赤外線)追尾基地だったのに、間違った電話の案内から、基地に子供から電話が掛かり、「サンタクロースは、今どこですか?」の質問に、機転を利かせて「今、北極を出発したところです」と答えたところから始まったとのことだが・・・。
例年の行事となったようだ。

サンタクロースは今どこ(7ヶ国語対応)

昨日は、「サンタクロースはいるのか」の疑問だったが、今日は、具体的に「今、どこにいるか」に答えてくれるサイトです。

日本でも、お寺で「クリスマス行事」が行われる昨今ですが、いよいよ、サンタクロースの存在が現実味をおびてきたことは、うれしいことです。

明朝起きたときに、なにか、贈り物が枕元に置いてあるかも知れない。(ただ今kunio_nikki68歳)

サンタクロースがやってくる?

2009年12月23日 19時54分49秒 | 残日録
【サンタクロースは実在するのか(Is there a Santa Claus?)は、1897年9月21日、アメリカ合衆国の新聞・ニューヨーク・サンに掲載された社説。8歳の少女が同新聞社にこの質問をし、同社の記者フランシス・チャーチによって執筆された。目に見えないものの確かな存在とその素晴らしさ、そしてそれを信じる心を持つことの尊さを説き、サンタクロースの存在を確認する。アメリカで最も有名な社説となり、社説が掲載されてから100年以上経った今でも、クリスマスの時期になると世界中で愛され、語り継がれている。】(by Wikipedia)


【以下青空文庫】
サンタクロースはいるんだ
Yes, Virginia, There is a Santa Claus
ニューヨーク・サン誌社説(担当:フランシス・ファーセラス・チャーチ) The New York Sun (written by Francis Pharcellus Church)
大久保ゆう訳

 本誌は、以下に掲載される素晴らしい投書に対してお答え申し上げると同時に、読者にこのような素晴らしい方がおられることを、心から嬉しく思います。

「こんにちは、しんぶんのおじさん。
 わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?
      ヴァージニア・オハンロン」

 ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
 じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩のたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。
 サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶに、人を見はらせて、サンタクロースが来るかどうかたしかめてごらん。サンタクロースが来なかったとしても、なんにもかわらない。だってサンタクロースは見た人なんていないし、サンタクロースがいないっていうしょうこもないんだから。だいじなことは、だれも見た人がいないってこと。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見た人っているかな? うん、いないよね、でも、いないってしょうこもない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、ほんとうのところは、だれにもわからないんだ。
 あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、ふしぎな世界には、どんな強い人でも、どんな強い人がたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがあるんだ。むじゃきな心とか、詩をたのしむ心、愛とか、人を好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、ものすごくきれいでかっこいい世界を見たり、えがいたりすることができるんだ。うそじゃないかって? ヴァージニア、これだけはいえる、いつでも、どこでも、ほんとうのことだって。
 サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。


※ そのあと、ヴァージニアはニューヨークの学校の先生になって、四七年間子どもたちを教えつづけたそうです。

異教徒(仏教徒)の高齢者(kunio_nikki)にとっても、サンタクロースはいるのか、いないのか?分かりません。百年以上も前に、8歳の女の子に・・・その後同紙が廃刊されるまで毎年社説として12月24日に掲載されたなんて・・・(1897年~1949年まで53年間)。
夢のない話:サンタクロースの衣装は、定まっていなかったのに・・・ある飲料メーカーの宣伝に利用される際に、同社のカラー(赤、白)になったのが、定着したものらしい。

明日の夜、kunio_nikkiにサンタクロースは、きっとやってくる。
だって、循環器病センターの重大な検査日なんですから、朗報を靴下に入れて枕元に置いてくれるでしょう。


消えかかっている記憶

2009年12月21日 16時52分43秒 | 残日録
外出先(巨大本屋)で声をかけられたが・・・。

顔に記憶がない。相手から名前を呼ばれたのに・・・・。
高齢(後期ではないが)になってくると、記憶があいまいどころか、飛んでいくようだ。記憶がうろうろ行き来したが・・・思い出せないよ!早々と本を買って立ち去った。失礼な話だ。名前を聞くのだに失礼と思ってしまったのだから。


そして、残念なことは、「楽しかったこと」や「うれしかったこと」の記憶が少なくなってくることだ。
林芙美子が言った「人生、苦しきことのみ多かりき」ではないが、多くの年輪を重ねたのに、「うれしかった一日」は、少ないのだ。これからの残りの人生において、たのしい思いの日を作らねばならない。消えていく記憶を補うために!

新しくパソコン(.... special 2009/11/15」と刻印された。....は名前)に失った住所録を復元した。しかし、年賀状へとは進化しなかった。
地区の与えられた役割が、今年でおおかた終わるので、引継ぎの会議などの案内を送ったり、引き継ぐべき文書などを作成したのだが・・・・。

明日は、更に記憶を呼び覚まして「年賀状の作成」に臨むつもりだ。全部には、自筆の書き込みを入れられないかも知れないが、それにも臨むはずだ。気力が備わっていれば。

24日に迫った「心臓の検査」は、最大の山場だし・・・検体検査+心電図+ペースメーカーなのだから・・・。知人は、ペースメーカー手術の日が決まっていたのに逝った。「家内には自然に死にたい」(機械はいらない)と告げているが、「検査だけ」と半分納得させられたのだ。

苦しいこと、たのしいこと、・・・・一瞬の出来事だったようだ。

























に取り込んだ

寒い、寒い!

2009年12月19日 18時39分12秒 | 残日録
瀬戸内海の沿岸部にも空っ風が吹きすさぶ1日であった。

出かけるのさえ億劫になる。コタツにストーブ、加湿器・・。これではダメとわかっていても・・・・。

さて、「美人時計」(1分ごとに時計ボードを持つ美人が入れ替わるサイト)が面白い。

外出に興味が薄れてくると、人との交わりが少なくなって、「人の顔色」をみることもなくなり、独りよがりで頑固になってくる・・・そんな気分がよく分かる。

「美人時計」を眺めても、遠い彼方の人なので・・・飽きてくる。
日がな1日眺めるなんて(10分だって)苦痛になるから不思議なものだ。生きていない(画像だから)から、変な興味も湧いてこないよ。

よ~し!明日は(雲がなければ)出かけるぞ~!

鳩山首相は正気なのか

2009年12月18日 19時38分23秒 | 残日録
今日、本当に寒い一日であった。寒風吹きすさぶ日に、空気が澄んでいるからと「姫路城」に出かけた。大修理の工事も始まっているので「定点写真」を撮るために。しかし、思った以上に雲が多く、諦めた。チャンスは、少ないものだ。



そこで、鳩山首相の「メルマガ」・・・・現在の心境を述べたものなのでしょう・・・「針の穴にロープを通すくらい難しいことかもしれない」(普天間問題についてだが)こんな「言葉」が巷で言われているのだろうか?困難なことの例えとして。

鳩山さんは、「大金持ち」だから、気にもしていなかったでしょうが、「聖書」にも言っている【金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい】を引用したのでしょうか?

kunio_nikkiが、浄土真宗(東本願寺:開祖;親鸞)だから言うのではないが、仏教の方がまだ、金持ちにも配慮しているようなのだが・・・。
【善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」】(歎異抄:善人が往生するくらいだから、悪人はもっと往生できるのだ。世の中の人は逆に解釈しがちだが)

本当は、我々の行為は下記のように、本質的には「悪」でしかない。(悪人正機は親鸞以前にもあったが・・)
1、善いことをしようと思うのは、阿弥陀仏の誓願の働きを疑いの心による。
2、何を行うにしろ我々には欲望(煩悩)があり、その計らいによる行為はすべて悪(煩悩濁)でしかない。
3、善いことをしようにも、実際には自らの善悪の基準でしかなく、本質的な善悪の判断基準がない。

そこで、本来の「浄土真宗」の本義がある。

「悪人正機(あくにんしょうき)」は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「悪人こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。

まあ、押しなべて「生きているということは、悪をなしている」と看破されているのだから、反省すれば、金持ちも、貧乏も、悪人なので「往生す」るでしょう。




年賀状について

2009年12月16日 20時36分56秒 | 残日録
【年賀状が味気なくなった。】

各種アンケートでも、一部だけでも自筆の書き込みのない年賀状には、「うれしくない」との反応だ。

そう言えば近年、各種webサイトの年賀状テンプレートで済ませてきたなあ!
去年は、喪中だったから、今年は50枚程度の年賀状に、「一言(一筆)」を書き加えようと決心したが・・・。

新しいプリンターは、「エコポイント」で買ったし、年賀状も用意したのだが、パソコンの故障で、住所録を失ったから・・・・、あらゆる手書きの「住所録もどき」やらで、今日住所録ソフトに書き込んだ。

年末には、大事な行事(心臓に関しての「検体検査」、「心電図検査」、「ペースメーカー検査」)が待っているから、正月の気分はないが・・・・年月は待ってくれないし・・・。年賀状は出すのだ。