日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

郵政民営化?

2009年05月30日 17時35分01秒 | 残日録
ここにも郵政民営化で・・・・。

【全国で16万人以上いるとされる郵便事業会社(日本郵便)の非正規労働者の間で、今年4月以降、一方的に時給を下げられるケースが相次いでいる。】

これで、郵便の基本である「信書の秘密」や「確実に届く」が、荒れないだろうか。
我々の時代(戦後の混乱期)、最も信頼できるのは「郵便」であった。受験なども、その消印によって受付さえ指定されていた。銀行が倒産(取り付け騒ぎ)の時代も郵便貯金は信頼できるものであった。

今や、年賀状さえ配達されない(アルバイトによる配達が邪魔くさいや整理した箱ごと未配など)がある。この上、16万人もいる非正規労働者が、その賃金の低さから、より質の悪い集団へと変貌していく恐れさえ考えられる。
民営化による「目に余る合理化」は、われわれ高齢者にとっても人事(ひとごと)ではない。民営化は、反対ではないが、こと郵便については憂慮せざるを得ない。郵貯は民営化でもいいが、郵便はもう一度「国営」に戻して欲しいものだ。

タマネギの収穫

2009年05月29日 17時35分39秒 | 気まま日記
タマネギの収穫をした。

小さい畑(自宅から遠い)に、イチジクを植え、残ったところに小芋やナンキンやナスなどと共にタマネギを植えている。
雨の降る前にとタマネギを収穫した。タマネギは地上に見えているので、大きさなどは分かり易いが、その収穫の時期は、葉の部分が折れ曲がったときである。既に、前からそういう状態だったが、取り込みそびれていたのだ。(病院行きなどで)
2畝だけなのに、多くの収穫であった。こぶれて(未生育状態)がすくなかったのだ。

例によって、主導権がないまま、助手状態で一仕事終えた。

この違和感!

2009年05月28日 20時10分58秒 | 残日録
今日、循環器の病院に検査結果の診察を受けた。

例に漏れず長い待ち時間であったが、診断結果は、予想を超える良いものであったと言える。

心臓の冠動脈MRI断層写真は、こんなに綺麗に写るのかというほど見事に捕らえられていた。コンピューター上の画像と他のデーターとを照らし合わせて・・・
手術の必要は否定された。うれしい出来事だった。先生に、言葉で素直に喜びを表せた。

経過が順調なら(血圧や脈拍の申告)もう少し薬の服用を続けてのち、経過検査をすることとなった。(朝食後のランデル1錠+プロブレス2錠の服用)
聴診器による診察はなかったが納得した。(一部の名医は、心臓の雑音や血流音によって診断もするらしいが・・・。そんな、胸を開いて聴診器を当ててもらったり、口を大きく開いて・・・なんていう診察に憧れを持っている老人ですが、今や古い化石か?)

しかし、胸痛や背中の違和感については、不安感が残った。(直接レントゲン写真などで肺に関する所見もなかった)

胸痛について;【神戸新聞より:豊臣秀吉は脚気(かっけ)で亡くなったとする新説を、姫路市御立東の脳神経外科医で作家の若林利光さん(56)がまとめ、近く日本病跡学会で発表する。晩年の秀吉の姿を書き記したイエズス会宣教師の手紙などを調べ、下痢や胸の痛み、精神状態が不安定になるなどの症状から判断。白米中心の食事がビタミンB1不足を招いたとみられ、若林さんは「症状をほぼ完全に説明できる」と自信を見せている。

秀吉は一五九八年、六十三歳で死去。死因は梅毒や結核など諸説ある。

若林医院の院長でもある若林さんは、これまでにも文献を基に源頼朝や中国の曹操などの死因を推理してきた。昨年、江戸幕府の歴代将軍の死因を調べた際、十四代家茂が晩年、胸痛を訴え、たびたび錯乱状態になるなど、秀吉の晩年と似ていることに気付いた。

家茂の死因は脚気。雑穀などに多く含まれるビタミンB1が不足すると発症する。歴史上、白米を食べる富裕層に脚気が多く、失禁や胸痛、歩行困難、錯乱などの症状があるという。

宣教師フランシスコ・パシオは秀吉の臨終までの様子をイエズス会に詳しく報告。亡くなる約二カ月半前に下痢となり、やがて床に伏せるようになり、死の前日には狂乱状態に陥った、と伝えた。また、家臣の日記にも秀吉が失禁した、との記述があるという。

 若林さんは「なぜ今まで脚気説がなかったのか不思議。一農民から天下統一を成し遂げた秀吉が、支配層に特有の病で死んだとすれば皮肉なこと」と語る。論文は六月十三日、名古屋大学で開かれる学会で発表する。(長谷部崇)】

ビタミンB1不足からくる「胸痛」もあると知り、早速「マルチビタミン」を買って飲み始めた(噛んで食べる)。

北朝鮮核実験!

2009年05月26日 08時33分14秒 | 気まま日記
北朝鮮が2回目の核爆発実験に成功した。同時にミサイル実験もした。核も運搬手段もあるぞ、と。「国、貧しくても核は持てる」を世界に示した。

世界各国は、非難している。

日本政府も、お決まりの強い非難を繰り返している。「断じて許せない」と。では、何をするか?との話はない。

凡そ、核保有国は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国と安保常任理事国が持っている。その後、インド(1974~)、イスラエル(1979~)、パキスタン(1998~)、北朝鮮(2006~)と所有が明らかだ。
この間、アメリカは、インドやパキスタンが保有を明らかにした時に、これを強くは非難しなかった。できなかった。だって、自分が持っているんですから。

当然、「持った者勝ち」との考えが北朝鮮にもある。

どんどん核保有国は増えていくことになる。やがて、日本も核議論ののち保有へと進みそうだ。
唯一の被爆国として、「核廃絶」の議論ができないのは、「核の傘」の下にいるからでもある。「非核三原則」でノーベル賞に輝いた元総理もいたが、まやかしだろうとは国民の大多数が感じている。(思っているのではない)

あ~あ、困ったことだのお!

大相撲は終わった!

2009年05月25日 21時04分21秒 | 残日録
大相撲は「日馬富士」が優勝したが。

ほとんど国技というに値しない「モンゴル」大会でもあった。
不甲斐ない大関陣は、3人の日本人が8勝7敗という「互助組合」の様相だった。
「カド番」なんて当たり前、2場所連続で負け越ししなければいいや!という不甲斐なさ~情けない。大関なら10勝が責任勝数だろうよ。

カド番でいうと、千代大海13回、魁皇12回もあり、すべて翌場所8勝以上するという互助組合疑惑である。大関の特権を剥奪せよ!

こんな大相撲なんて興味の範疇になくなっていった~!飛んでけ~!

韓国大統領の死

2009年05月24日 19時21分03秒 | 気まま日記
前韓国大統領「ノ・ムヒョン」氏が、贈収賄の取調べを前に自殺した。

歴代大統領は、絶大な権力を手中にする所為か、あるいは身内政治をする所為か、悲惨な「大統領後」となることが多すぎる。

「パク・チョンヒ」氏は現役中に暗殺。「チョン・トファン」氏と「ノ・テウ」氏は投獄。「キム・ヨンサム」氏も韓宝事件で任期途中に危うく逮捕だったが、うまく切り抜けたようです。 代わりに息子のヒョンチョル氏が逮捕されました。
「キム・デジュン」氏(ノーベル平和賞受賞)も北朝鮮への不正送金が発覚。でも後継者の「ノ・ムヒョン」前大統領(同派閥)の指示で逮捕されないで、とりあえず一件落着しましたが、名声は深く傷つきました。(大統領の権限が大きすぎる。日本でも、首相の検察に対する指揮権発動(捜査中止命令)があったことも)

さて、「ノ・ムヒョン」氏の遺書は・・・。

【非常に多くの人々にお世話になった。私のせいで、いろいろな人が受けた苦痛はあまりにも大きい。今後、受ける苦痛も推し量れない。余生もほかの人の負担になるだけだ。健康が思わしくなく、何もできない。本を読むことも、ものを書くこともできない。

 あまり悲しまないでほしい。生と死はすべて自然の一部分ではないか。(私に)申し訳ないと考えないでほしい。だれも恨まないでほしい。運命だ。

 火葬してもらいたい。そして、家の近くにごく小さな石碑を一つだけ、残してほしい。(これは私の)昔からの考えだ。
(2009年5月23日20時04分 読売新聞)】

ライオン丸、死す!

2009年05月23日 19時16分35秒 | 残日録
愛犬「チビ」死す!(たてがみ様の首の毛からのあだ名がライオン丸)

散歩に行っても、よぼよぼと歩くことになってしまっていた。
あんなに喜んで食べていた「手羽先ジャーキー」を戻して(嘔吐)しまったのは、つい先日だった。食べ物を受け付けなくなってしまった。牛乳なども口を背けるように首を振る。
昨日、胃液を戻したのか、首などを黄色く汚したので、多くの水とタオルでふき取ったのが、最後だったようだ。トイレをしたかったのか、小屋から這い出していた。

つい、1時間ほどの後、誰にも見取られずにひっそりと逝った。まだ8歳。

葬式は、地区の墓地に埋葬した。(決められた区域がある)
好きだった食べ物や水を供えて、花も盛った。線香やろうそくにも火を添えた。

一人(一匹)で逝った。

凡そ、我々も「一人で逝かなければならない」地獄も極楽も・・・逝く道は一人用のようだから・・・・。老齢の身には、見送ることは慣れていても、つい自分の身に置き換えるから、つらい思いを抱く!






「苺」を食べた!

2009年05月17日 19時25分55秒 | 残日録
食後に「苺」を食べたが・・。

食後に果物などを食べさせてもらっているが・・・。

昭和35、6年(1960~61)の頃だったろうか、学生時代。
学校裏のしもた屋の軒先に、古びた暖簾だけを出している食堂があった。「カツ丼」などがおいしかったのだが、1番の思い出は、そこの定食ではないが、「うどんとめし」と「たくあん2切れ」という貧乏学生向きのメニューがあった。値段は思い出せない。うまかったなあ!なんで、今頃大しておいしくないものを思い出すのかなあ!

「食べ物」ということで記憶を手繰ってみても、高価なもので思い出となるようなものはない。お腹を空かしているような時代の、食べるという感覚が最高なのかも知れない。同じようなメニューに挑戦してみても、喜びはない。

これも、数十年まえだった。某中小企業の社長も、同じような感覚の持ち主だったので驚いたことがあった。「かんころ」(西日本では、ゆがいたサツマイモを輪切りに平たく切って干したり、短冊のように細長く切って干したりした素朴な「おやつ」だが、ムシロの上で干す故にワラなどがくっついているのが当たり前)が大好きだった。公式の会議などでも、得意先の私たちに勧めた。純真で素朴で本当に好きそうで、うれしくなった記憶がある。

人間は、なになんだろうか?大しておいしくない料理を、その値段ゆえに、有難がたがって食べていたのだろうか。それとも味覚が狂っていたのだろうか?

壁紙カレンダー更新

2009年05月15日 20時28分16秒 | 気まま日記
姫路城の壁紙「6月」を更新。

「遠景の姫路城」を狙ったのだが・・・。

あらゆるビルの屋上(但し、立ち入れるビルが少ない)に上ってみた。駅ビルや百貨店など、あまり遠景だと、季節の霞によってかすんでしまうので、結果、「イーグレひめじ」(屋上ビヤガーデン)からのものにした。

やっつけ仕事で済ませたので、気に入らないが、体調もあるから1日しか行けなかった。
まあいいか?

落魄れの美学!

2009年05月14日 09時12分04秒 | 残日録
落魄(らくはく・・おちぶれ)の美学。

種村季弘(たねむら すえひろ。ドイツ文学者にして評論家、エッセイスト1933~2004)が、いみじくも看破している。
「人生居候日記」の中の「落魄の味」である。
【「かねてから私は、男性最高の快楽は落魄ではないかと考えている」、「身ぐるみはがれて落ぶれ果てた男は、若さの内実をうしなって思い出しか持ち合わせがない。その分だけ夢とエロティシズムに近づいているのだ」】が、今週の週刊文春のコラムで「亀和田武」さんに引用されている。

古来、文学にはこの手の主人公が多くいた。また、落魄れからの再生も。
アメリカン・ドリームは、貧乏からの成り上がり物語だが、落魄はその反対で功なり名を遂げた者が落魄れ果てた姿にこそ美学があるとの偏屈な理論である。

しかし、老齢の病気もちになってみると、この気持ちが理解できるから不思議だ。
栄華を達成した人間が、ボロボロに身を落としても、心には(思い出には)栄華を纏っているから、うれしいのだ。しかし、過去を知る人もいない場所でひっそりと生きていくだけだ。
しかし、女性となると悲しい。栄華を極め、男性遍歴に彩られた「清少納言」や「小野小町」の落魄を言われると物悲しいだけだ。ボロをまとって漂白する姿は、想像するだに哀れだ。