日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

ipad の秘密

2010年05月31日 19時43分36秒 | 気まま日記
日本でも「ipad」の売れ行きが好調だ。

株価総額も「アップル」が「マイクロソフト」を追い抜いたのだから・・・。

同器を組み立てる中国の下請け工場の従業員の自殺が多いことから、賃金の値上げを検討しているとのニュースだ。

工場の工賃は1060円/台なので、従業員賃金は、13000円/月位らしい(残業込)。20%程度の値上げを検討するらしいが・・・まだ安い。
米国で安い機種で48000円位で販売だから、製造原価は、特許で固められた支給部品を加えても、22000円だ。

アップルには、26000円/台もの利益があるようだ。

類似品の出現(企画中のマイクロソフト+ソニーの製品など・・・・)で、価格競争が起きないと値下げとはならないだろう。中国での出現しているコピー商品は、安い、安い!「10000円」だ。これでも儲かるのだから・・・・。

我々庶民は、「便利さ」という得体の知れないものに踊らされて、携帯や電話などの通信費というものに、莫大なパーセントのものを消費している。この上、この「ipad」の通信費まで必要なんだろうか?即席ラーメンなら、たくさん食べられるのになあ~!


あおによし

2010年05月26日 19時13分38秒 | 気まま日記
古都「奈良」は、「平城遷都1300年」を祝っている。

古城といわれると言えども、徳川政権後の1600年以後であるから、築城400年程度である。

青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有「青丹(あおに)よし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫(にお)ふがごとく 今盛りなり」万葉集:読人;小野老(おののおい)。

「あおによし」は、「奈良」の枕詞であるが・・・・。意味がある方がうれしいので・・・。建物が彩色されているのは、都以外にないことなので、周辺の山やみやこの木々の緑(青)と建物の朱(丹)とが、一斉に咲き誇る花にも・・・圧倒される美しさだ。

本当は、「読人しらず」にこそ好きな歌があるんですが、奈良と言えば「あおによし」ですから・・・。


「あおによし ならのみやこに たなびける あまのしらくも みれどあかぬかも」(遣新羅使)
「あおによし奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかも」(万葉集 小野老)

新築された(復元)朱雀門の朱が青い空を背景に、まさに「あおによし」だ。

大澤惟貞

2010年05月24日 11時28分05秒 | 残日録
大澤惟貞(おおさわ これさだ):寛政年間 1789~1801に見聞きした(調査した)ことを編纂したものが、「吉備温故秘録」だが・・・・。

吉備藩士で、御後園(のち後楽園)奉行。神社仏閣から地名、事件にいたるまでの、風土記である。13年もの長きにわたっていることから、執念深いあるいは偏屈とも思われる。
この努力が、権力が、ことを成し遂げたものである。
日記さえ、数日で諦めるkunio_nikkiなど、遠く足元にさえ及ばない。

「姫路城の秘密Ⅱ」の35番目の項目に決めたのだが、池田輝政の嫡男「利隆」(最初の妻、賤ヶ岳で戦死した中川瀬兵衛の娘との子。輝政亡きあと姫路城主)と、二度目の妻(あの千姫)の子(5人の男子)忠継(岡山城主。幼少の為、利隆が後見)に姫路城を・・・「利隆暗殺計画」を記述しているのだが・・・。

事件(元和元年1615)から編纂年までには、175年以上の年月が経っているので・・・・。ご存知のとおり、岡山城は、利隆直系の光政が鳥取より岡山に転封となり、後世に名を残す善政を・・・吉備温故録は、その影響下にあった。)

推理できる顛末を「秘密」にまでできるかどうか、調べている。

姫路城定点撮影に行く

2010年05月17日 20時53分24秒 | 気まま日記

陽気に誘われて姫路城に行った。
定点に三脚を据えて、雲のなくなるのを待ったのだが、西方に出ている雲の・・・なくなることはなかった。但し、北向きである正面画像(貼付け画像)には雲はなく、真っ青な背景となったのだが・・・・。
また、行くことになるかも知れないが・・とりあえず貼り付けた。姫路城の秘密Ⅱ

まだ、天守閣を覆う素屋根は、備前丸の基礎工事ができていないので、時間がかかりそうに思う。(※素屋根の基礎部分は、備前丸にシートを敷いて、その上にコンクリートの土台をつくる。国宝姫路城は、土を掘るなどの変更工事はできないのだ。)

4月の花見客と天守閣への登閣客で大混雑していたのが嘘のように、閑散としていて正面画像にも人っ子ひとり写っていない。
ただし、市立動物園からは、子どもたちの歓声がきこえていたので、動物を見るには絶好の天気だったようだ。孫を連れたお爺ちゃん、お祖母ちゃん。乳母車の若いお母さんが多かった。(姫路市在住の65歳以上には、動物園や姫路城、好古園などの「終生無料カード」が与えられるので・・・、孫(学齢以下)も無料)

葵祭りにて

2010年05月15日 21時48分01秒 | 残日録
今日、京都に行った。

「葵祭り」を見ることが目的だった。ちょうど50年前に某大に入学した4人が集まった。(68~69歳)もちろん、京都在住のS君やその奥さんに大変な努力をもって最前列の「桟敷(イス席)」を確保してもらったのだ。
心配した天気も(葵祭り行列は、雨天順延となる)好天で、むしろ京都の夏を思わせる暑さであった。
輿に乗って登場した斎王代の美しさも見事なものであったが、その前後を進む女人列の子どもたちの生き生きとした綺麗さには及ばないものであった。




その後の「嵐山」の料亭での食事もゆったりとした時間が用意されていて、贅沢なものであった。
またの再会を約束したのだが・・・・。kunio_nikkiにとっては、体調との相談と相成ることでしょう。

本当かしら!

2010年05月11日 18時33分31秒 | 気まま日記
【ニューデリー時事】インド西部グジャラート州でこのほど、一度も飲食せずに70年以上生活してきたと主張する男性(82)が現れ、軍の研究所が調査に乗り出した。
 PTI通信などによると、医師団が5月上旬までの約2週間、男性を病院に移して行動パターンを調査。男性は監視カメラが見守る中、定期的な入浴とうがいは行うものの、飲食は全くせず、トイレにも行かないことが確認された。 


写真では、かなり高齢の痩せ型だった。82歳はどうか分からないが・・・。もっとも断食に適していると思われます。訓練すれば(短い断食を繰り返していけば)おおよそ断食(飲食せず)のできる日数は、18~20日だそうです。ただし、水を(薄い砂糖水など)をとると、30日入上も正常(精神的にも)でいられるようだ。

前に10歳程度の子供が飲食していない(やはりインド)と話題になったが、目の届かない場所で飲食していた。

今回は、監視カメラもあるので、うがいの時に少し喉を潤すのが・・・。但し、トイレには全く行っていないから、監視の入る前から断食状態だったのだろう。入浴を度々しているので、少しの水をとったり、小水はしているかも。
監視の期間が14日では、断食できる人は多くいると思われます。せめて、3週間は調査を継続して欲しかったです。

しかし、驚くことには、「インド陸軍が戦略として調査に乗り出す」というニュースです。砂漠や高地での過酷な条件(水や食料のない)で、戦闘が可能かどうかという調査だそうで、断食を特殊な行為と考えず、一般の兵士に適用しようということです?

あなたも、2週間飲まず食わずでベッドに横たわっていられたら「英雄」です。


「九尺藤」を見に行く

2010年05月09日 18時38分23秒 | 気まま日記

今日、突然に・・・・毎日新聞一面のカラーの「九尺藤」の写真に誘われて・・・兵庫県丹波市市島町「白毫寺(びゃくごうじ)」に行った。
高速道路を乗り継いで・・・・。もっと近いかと考えていたが、大阪や京都の方が近いじゃないですか。疲れました。少し前に繋がれた「北近畿自動車道」は、2年前に取り付けられた「カーナビ」が認識しないこともあって、助手席の助言(サイドシートドライバー:助手席から自分が運転しているかのように指図する人)で、次々に「道の駅」に寄り道したのだ。食事をも済ませた「フレッシュあさご」や「あおがき」、「丹波おばあちゃんの里」だ。

「白毫寺への道」は、老体には過酷なものであった。途中の路肩には駐車している車が見え始める。「ここで駐車」との誘惑に負けそうになるが、もっと進まなければ・・・。しかし、車がノロノロ運転にまで混雑しているのを見て、もう負けてしまう。路肩に駐車。そこかしこの路肩、道路端には、ず~!と駐車の車で、見渡す限りだ。高速1000円だけではない、好天と季節の花は人々を吸い寄せるようだ。
長い徒歩の旅が待っていた。「ゆっくりとでも車で進入しよう」という「サイドシートドライバー」の意見が正しいものだったかも・・・。長い道のりは、初夏の日射しが遠慮なく降り注いで、余計に長くなったのだ。しかも、乗り入れた車は、次々と駐車場まで到達していくのだから・・・。

「九尺藤(きゅうしゃくふじ)」の名前に騙されてはいけません。またの名は「紫長藤(むらさきながふじ)」ですから、その土地、気候や日当たり、肥料など好条件が重なった時に2m以上にもなる場合があるそうですが、当寺のものは、長いもので1m程度であった。とても九尺(2.7m)にはなりません。
しかし、L字型に植えられた長さ120mもの藤棚は見事なる景観で、独特の匂いを、惜しげもなく、一面に振りまいていた。

橘のかほり

2010年05月08日 19時25分42秒 | 残日録

五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(古今集:詠み人知らず)

老齢になった同窓会でも「昔の人」(親しくしていた女性)の話題がある。大変うれしいことだ。

現代においては、若い女性が、香を焚きこめた衣服または香袋を袖に忍ばせるなんて事をするなんて聞いたことがない。奥ゆかしさがなくなったのではなく、古今集の頃は、毎日風呂という風習がなく、体臭を香によって自分の匂いにしていたのでしょう。そこで、男は、この香りは、誰のものという感覚が研ぎ澄まされたのでしょう。

【初夏になるのを待っていたかのように、垣根などから花橘が咲き出し、その香りがただよってくるとき、「あの人」の袖の香を思い出して、胸がきゅ~んとなるほど懐かしくなるよ】

kunio_nikkiも、「あの人」を思い出しても、その匂いというものには全く思い出はない。情緒というものが欠落していたのか、感情というものが二人を支配していて、「詠み人知らず」の心境には遠く及ばない。