日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

渋柿

2010年10月31日 10時44分01秒 | 残日録
渋柿の収穫。

100年以上も前から、居座っている巨大柿の木の実を収穫した。
去年、落葉の多さに閉口して、その枝葉(えだは)を大きく伐採したので、今年は実をつけないのではないかと考えていたのだが・・。(栽培木ではないし、肥料をやらないし、自然に任せていると、柿の実は、隔年豊作となる。大きく伐採すると、翌年は実らない)
実る数は当然少ないが、大きい実がなった。それでも、3~40個も収穫できた。干し柿にするハズだが、寒さが、風がないとカビが繁殖する。簡単なものではない。
柿は、渋柿のほうが数段おいしいものだが、その出来具合によるから、甘柿が多くなったようだ。

さて、どうなることでしょうか?

黒豆の収穫

2010年10月30日 18時47分58秒 | 気まま日記
丹波黒豆の収穫をした。

本場で買った種豆を蒔いたのだが、夏の暑さによって、その枝葉は大きく育ったのだが、その実は収穫できる大きさに育たなかった。近所の人にも聞いても同様に全滅であった。それほど、この夏の暑さは異常だったのだ。引き抜いて処分した。
しかし、暑さが和らいだときに、季節外れだとも思ったのだが、空いている別の畑に撒いておいた黒豆は、驚いたことに、立派な実を実らせたのだ。こんなに季節のズレがあったのか。
今になっても、収穫といってもまだ「枝豆」(熟れていない状態で、まだ青くゆがいて食べる)でである。煮豆にするには、まだまだ先に収穫する。(正月料理用に)

正月料理は縁起物だが、ダジャレのように気楽に考えていた。黒豆=黒くなるまで豆に働く。昆布=喜ぶ。鯛=目出度い。海老=腰の曲がるまで長生きする。数の子=子宝に恵まれる。慈姑(くわい)=芽が出る(大きく目が出る)蓮根=先の見通しが良い。板(かまぼこ)=なんでも板につく、あるいは寄り添う。などなど・・・・。

翌朝にはスッキリ

2010年10月29日 13時25分43秒 | 残日録
疲れていたのだろう。ぐっすり眠れた翌朝・・スッキリ目覚めたようだ。

朝から写してきた数枚の写真をパソコンに取り込んで・・・。整理してプリントラボにも出した。待つ時間15分もかかっただろうか。完了。
一部は、メールに添付して送る。プリントも簡単なメモを同封して、3人に郵送する準備が完了した。そのせいで、作業終了には、午後もかなり廻ったが・・・遅い昼食ののちに郵便局に行く予定。

そうそう、大変な事件もあった。旅行中に玄関の鍵を紛失。また、怒られることをやってしまったのだ。家に入れないのは当たり前。自動車にも乗れないから、身動きとれなかったよ。その顛末は・・・小説が書けそうなくらいだ。書くのはよす、名誉のために・・!

思い出の地を散策

2010年10月28日 20時10分01秒 | 残日録
豊橋の続き・・・・

残念なことに、先日まであんなに暖かかった気候が・・・・夏から冬に一気に変化した。20℃以上もあった気温が、今日は12℃だった。かなり強い雨にも見舞われた。
街中や学校の逍遥にも、この雨には泣かされた。

それでも楽しい二日間が過ごせた。
ぐっすり眠れるだろう。

豊橋にやって来た

2010年10月27日 19時55分16秒 | 残日録
今日、かなり老いた青年4人が学生時代を訪ねるべく、豊橋にやって来たのだが・・・・。

当時(昭和35年、(1960))から50年もの年月を経た町の変貌には、思い起こさせる何物も見出せなかった。
うねりのようにざわめいていた町の喧騒(安保反対運動)は、この町をも巻き込んでいたのだが、なんだったのでしょう。優しい町は、老年を優しく迎えてくれたのでしょうか。

駅に設けられた「ホテル」から、当時の友人たちを思い出してみたものの、春霞の中の幻想のように、次々と消し去られていくばかりだった(消しゴムのように)。

明日にも学校に行くつもりなのだが、50年もの年月を経た平成の若者は、・・・・・・・。





同行(どうぎょう)

2010年10月21日 13時34分22秒 | 残日録
同行( 同じ宗派の信者たち。特に、真宗の信者たち。2 同じ講中の人々)に葬式があった。

同行(どうぎょう。真言なら「どうこうふたり」などという)浄土真宗(東本願寺派)では、江戸のむかし、地域での葬式に講中のような形で、十家庭~十二家庭くらいの単位で「火葬」(自分たちで遺体を焼く)を担っていたのだが、昭和40年ころより市の火葬場が整うと、そのような場所も無縁墓の置き場所などに整理された。葬式が、いわゆる「葬儀会社」によって営まれることになっても、「同行」という組織が残ったのだ。

その同行は、檀家寺の改修や鐘堂、鐘の場合に、集金マシーンとして活躍し、「お稚児行列」などでもあれば協力する組織へと変貌していった。
耐震工事、屋根瓦の吹き替えの工事(工事中)でも1億円程度の入用だった。

地域でもどんどんドーナツ現象が進み、旧集落(中心部)が、限界集落のように高齢化が進み、その周囲が新築家屋が増えると、子供たちの声が響き渡るようになった。
旧態依然(同一地域、同一宗教)とした、組織も宗教の自由による多様化で、今や大きく変貌しようとしている。

農業に従事す

2010年10月17日 20時03分51秒 | 気まま日記
今日は、前の(自宅より100m)小さな菜園で、大根や蕪、人参、水菜、チンゲン菜、ほうれん草を蒔いた。(妻の主導でだが・・・疲れる)
自家消費用なので、ごく少量だけだが・・・・。

それでも、土壌改良に石灰や炭ちゃん(土壌改良剤の商標)を撒いて、小さな耕運機で耕し、畝をつけ・・・種まきをしたのだ。肥料も(配合)。

夕食は「松茸ごはん」。豊作なのか、外国製なのか解らないが・・・それなりに見事な香りを放っていた。


灘のけんか祭り

2010年10月15日 17時24分12秒 | 残日録

「灘のけんか祭り」に行った。(写真は本宮山頂付近より、800*533にリサイズしています。右半分が隠れています。右クリックで取り込んで下さい)

「御輿の練り合わせ」も昔の圧倒的な迫力というものには及ばなかったし、屋台を練りあげている時間も非常に短く感じられた。平成の時代にはこんなものなのかも・・・知れない。

しかし、見物の人が非常に多く、すり鉢状になった「練り場」には、「これが祭りだ」という迫力が感じられた。(写真)
やはり、埋め尽くされた色彩の魔力で大いに盛り上がった会場であった。「祭りの一番のご馳走は、好天だ」

祭りも華やかな一刻が過ぎると、なぜか物悲しいものがこみ上げてくるのはどうしてでしょう。
「面白うて、やがて哀しき 鵜飼かな」(芭蕉)や「お祭りすんで 日が暮れて 冷たい風の吹く夜に・・・・・」(お祭りマンボ:詞・曲原六郎:唄美空ひばり)
というような心境になった。

老いた所為かも・・・・・知れない。