日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

ダービーを予想する!

2008年05月29日 08時28分24秒 | 残日録
1963年、府中競馬場で「メイズイ」、「グレートヨルカ」の銀行レースに酔った。馬連で170円であった。
翌年(1964年)には、あの名馬「シンザン」さえ見た。
1975年、「カブラヤオー」のハイペースの逃走劇をも見た。
1983年、「ミスターシービ」の出遅れ・・・勝利・・
2005年、「ディープインパクト」の出遅れ・・・勝利をも見た。
1997年、あの稀代の逃げ馬「サイレンススズカ」が、信じられないが逃げずに敗れて、逃げた「サニーブライアン」に勝利が転がり込んだ。

今年のダービーは、皐月賞馬が出走できないので、戦国ダービーかなんてことも考えられる。こういう時こそ1点予想でいきべきだと思われるが・・・。
マイネルチャールズ」(皐月賞1番人気で3着、松岡騎手)と「アドマイヤコマンド」(皐月賞1着の「キャプテントゥーレ」に騎乗も故障。替わって、この馬でダービーを制覇するか?22歳川田騎手)これは、物語がある。二人が有名騎手でないのもうれしい。
ただ、好きな逃げ馬も遊びで買っておきたい。すでに解っていることだが、ダービーを逃げ切れるのは、よっぽど能力のある馬に限られるから至難のわざだが・・・。
大根田調教師も、どうせ負けるなら、ここ2戦逃げて良績なので・・と逃げ宣言した「アグネススターチ」(赤木騎手、苦労人で、兵庫・姫路公営から純粋に試験で騎手試験に合格した。重賞の勝利なし、最初の重賞がダービーなら奇跡だ)を、上記の2頭に絡ませて少しだけ買う。この3点で勝負する。

追記:05/30 08:00 :枠順決定につき・・馬連で、 8-9 を買う。そして少しだけ馬連 5-8、5-9を買う。これも少し・・G1に乗ることの少ない赤木高太郎の「5」の単勝を買っておく(記念馬券)。

ウィンドウズ7

2008年05月28日 17時44分38秒 | 気まま日記
【コードネーム「ウィンドウズ7」と名づけられた同次期OSは、2009年後半にリリースされる見通し。ユーザーはマルチタッチ機能により、マウスやキーボードなどを使わずに、スクリーンに指で触れてコンピューターを操作できるようになる。】

「ウィンドウズ」は、個人向けのOSを、95~98~ME~XP~Vistaと進化してきたが、XPの使いよさは、今も同OSの搭載パソコンが売れていることからも解る。そしてビスタの行きわたる前に次期OSの発売が来年後半と発表されたことから、アップル(薄型)との差別化(タッチパネル)を考えている。しかし、こうも次々に変更されると何を買ったらいいのか、2年では短かすぎて悲しいよ。

JRダイヤ改正に・・・

2008年05月27日 20時19分11秒 | 気まま日記
【「部活もできない」新ダイヤ苦情殺到 JR因美線
JR西日本の今春のダイヤ改正に伴い、鳥取駅や郡家駅などから因美線の下り列車を利用する高校生や通勤客の帰宅時間に影響が出ている。夕方の普通列車に乗り遅れると二時間待ちとなり、「部活動ができない」「家に帰るのが遅くなる」と苦情が続出。JRに改善を求めている。
「鳥取駅を午後五時五十七分発の普通列車を逃すと、次は午後八時。放課後の部活は六時ごろに終わるので、間に合わない」】【日本海新聞

この因美線は、鳥取と津山を結んでいるが、普通列車の行き先は鳥取からは智頭までで、津山からも、「智頭」や「美作加茂」までと変則なものとなっている。
駅舎を訪ねる(撮る)にも自動車なしでは困難です。寅さん最後の撮影地「美作滝尾駅」にしても、上下各9本(平日)ですから、5時40分~21時47分(自宅2時出発、途中コンビニで弁当や本、お茶など買う。帰宅は当日の間にあわず翌日1時にもなる。)までの撮影には、待ち時間が長くて退屈をする。古い駅舎の魅力がふんだんに残っている因美線が智頭急行(大阪~鳥取)のためだけのものとならないように願うだけです。


職場での「いじめ」は?

2008年05月26日 20時18分27秒 | 気まま日記
【職場でのいじめや嫌がらせの相談が急増していることが、茨城労働局が25日までにまとめた2007年度の労働相談集計で分かった。相談件数も01年10月の総合労働相談コーナー開設以来、最多の23,525件となった。同局は「労使関係が(組合を通じた)従来に比べて個別化しているのに加え、非正規雇用も増え、相談する人が社内にいないのではないか」としている。】

江戸時代に確立した、封建制度の名残としての「終身雇用制度」(親の引退後は子が受け継ぐ)は、昭和の中期までいい意味での良き時代でもあった。
急に雇用形態が、能力給のような、どちらかといえば職場内で競争を煽るような制度と正社員を少なくする政策が、職場内の「ぎくしゃく」を潤すべき潤滑油をなくしてしまった。
そして、同僚を敵視してこそ己の存在を認めさせるという変な風土が出来上がってしまいました。
こんな時代が、給食費を払わない親や、お産に立ち会って、医師を「セクハラで訴えるるぞ」とどなる怪物を生んでしまいました。
あ~あ!

昭和35年、青春だった頃!

2008年05月23日 09時05分23秒 | 残日録
昭和35年(1960年)は、吹き荒れた「安保闘争」もあって、岸信介首相(安倍晋太郎の祖父、「赤絨毯を裸足で歩く」と揶揄された。国会内を歩くということと出っ歯だったことで、冗談話。)が、総辞職。物価高も加速していく時代。

歌も歌謡曲とホップスが混在するごっちゃくた文化の時代であった。

1.ステキなタイミング(坂本九)
2.黒い花びら(水原弘)
3.月影のナポリ(森山加代子)
4.潮来笠(橋幸夫)
5.アカシアの雨が止む時(西田佐知子)
6.悲しき16才(ザ・ピーナッツ)
7.あいつ(旗照夫)
8.月の法善寺横町(藤島桓夫)
9.さすらい(小林旭)
10.ダイアナ(山下敬二郎)
11.一本刀土俵入り(三波春夫)
12.誰よりも君を愛す(松尾和子・和田弘とマヒナスターズ)
13.悲しきインディアン(平尾昌晃)
14.アキラのダンチョネ節(小林旭)
15.ローハイド(小坂一也)

1.悲しき60才~ムスターファ(坂本九とパラダイスキング)
2.メロンの気持(森山加代子)
3.達者でナ(三橋美智也)
4.再会(松尾和子)
5.恋の片道切符(平尾昌晃)
6.黄色いさくらんぼ(スリー・キャッツ)
7.オルフェの歌(ペギー葉山)
8.潮来笠嫁さん(花村菊江)
9.僕は泣いちっち(守屋浩)
10.ミヨちゃん(平尾昌晃)
11.ラ・マラゲーニア(アイ・ジョージ)
12.黒い落葉(水原弘)
13.霧笛が俺を呼んでいる(赤木圭一郎)
14.グッド・ナイト(松尾和子・和田弘とマヒナスターズ)
15.ビキニスタイルのお嬢さん(ダニー飯田とパラダイスキング)

テレビも歌と同様にアメリカ文化が浸透してきて、「ララミー牧場」、「ライフルマン」と「琴姫七変化」など時代劇とも混在し、「少年探偵団」、「クイズそれは私です」などが大人気であった。もちろんテレビは白黒(モノクロ)で、カラー放送が、普及するのは昭和39年(1964年)の東京オリンピックがきっかけでした。

青春(玄冬、青春、朱夏、白秋と季節を色で表すが、人生をも表している)の時代は、喫茶店(歌声喫茶などもあった)などで、粋がって「岩波新書」(定価100円程度)を読んだり、「湖愁」(歌:松島アキラ)など口ずさんでいた。そうそう、「ツウィスト」(マッシュポテトとじゃがいもを潰すと足の動きをあらわした)を躍るダンスホール的なところもあったなあ。

農作業を・・!

2008年05月18日 20時04分56秒 | 気まま日記
「えんどう」や「グリンピース」が終わったので、片付けた。(引き抜いて、登らせていたネットを外し、枯れ始めたつるを他の畑に持っていく・・また乾いたら燃やすので)

「小芋」(種芋の芽が出かけたので)と「トウモロコシ」(種まき後順調に育った(20Cm))ので、マルチを張ったところに植えつけた。

大根(時無し大根、あるいは20日大根)も明日にでも蒔くつもりだ。辛味のある「おろし大根」が大好きなので・・・・。

そして疲れた!心臓の薬を買った。

街が混沌としていた頃!

2008年05月17日 20時11分22秒 | 残日録
昭和も30年にもなると、「最早戦後ではない」なんて言葉も言われるようななったが・・・。しかし、実態は混沌としていた。

中核都市のH市(当時人口は22~3万人。現在は50万人近い)の、大通り付近でも「叩き売り」の店や「立ち食い」、「立ち飲み」が繁盛していた。
もちろん現在は、綺麗なショウウインドウが並ぶ、思い出さえ遮る光景となっている。

近所の「兄ちゃん」が、「叩き売り」の店で啖呵をきっていたので、1日覗いていたことがあった。

「叩き売り」:5坪~6坪程度の店舗で、店は土間。一段高く設けられた台上に品物を出し(1点ごとに)指揮台のような台を樫の棒状の板で叩きながら、啖呵を切って値を下げていった。客から「買った」などの声がかかったところで商談成立となる。通常、初値は付近の店で売っている程度の値段であったが、段々と下げていって、極端な安値になった時に、品物を引っ込めたり、タダ同然まで下げていったり「兄ちゃん」の腕次第であった。

その「兄ちゃん」のその後は・・知らない。
「叩き売り」のような商法は、現在のスーパーの「目玉商品」(仕入れ値を切って売る)などあらゆる方面に受け継がれている。

そんな混沌の中から、「神武景気」や「○○景気」と言われる数度の高度成長ののち、今日の繁栄がある。トヨタだって松下だって、まだ成長途上の子供のような時代であった。
そのような時代を支えた「後期高齢者」達が、置き去りにされようとしている。若い、そんな時代を知らない「厚生省の役人」によってだ。



出でよ!魅力ある棋士!

2008年05月16日 20時13分44秒 | 気まま日記
本当に将棋の棋士は強くなったようです。パソコンでの勉強など将棋の考察が格段に進んだ結果でしょう。少年棋士だって次々に現れるでしょう。

しかし、異能というか「将棋の一手に精魂を傾ける」ような魅力ある棋士が、もう現れないのでしょうか。
「坂田三吉」、「升田幸三」、「花村元司」、「山田道美」、「芹沢博文」など魅力のある棋士が逝って久しい。
あの魅力ある、名人目前の・・・あらゆる形容詞も色あせる、エピソードにも事欠かない「村山聖」さえ逝ってしまった。
奨励会を抜け出せなかったが・・・もっとも魅力があった「佐藤健伍」(準棋士、93年以後は指導棋士)も、その死後に「追贈六段」となったので、物故棋士の列に名を留めているが・・・。もういない。
「花村元司」(真剣師(かけ将棋)の世界から、特例によってプロ棋士に)の後を継ぐべき「櫛田陽一」だったが、自ら「フリークラス」へ転出してしまった。名人への道を諦めたのは、閉鎖社会のいじめだったのでしょうか。「花村元司」以来の特例によって(試験)プロ棋士(四段)となった「瀬川晶司」は、花村が六段(B2組)に迎えられたのに比べて3ランクも下の姥捨て山のような「フリークラス」なのだ。
そうそう、師匠(門下制度)だって名ばかりとなり、「森信雄」と「村山聖」のような貧乏でも心温まる、泣ける逸話を持った師弟はもう現れないでしょう。

出でよ!精魂傾けて将棋を愛する「棋士」を待ってるよ!

銀座が若者の街だった頃!

2008年05月14日 19時45分38秒 | 残日録
昭和38年~39年(1964~1965)の頃だったと思う。
銀座は若者の街だった。
最先端のファッションを求めて、とんでもない風俗が流行った。「ダスターコート」が終わると、銀座に、なんと黒いビニールを身に纏う10代の女性が闊歩しだした「みゆき族」。である。
田舎者の筆者は、ビートルズ来日によってもたらされた「マッシュルームカット(ビートルズカット)」や「007は殺しの番号」などの衝撃に圧倒されて、やっと、そんな頭にしていたのに・・・、次々に現れる風俗は、「東京オリンピック」の好景気が、それを許したのかも知れない。

そこ(東京)で、職を得たものの・・・やがて故郷に帰る・・・こととなる時代であった。

「ダスターコート」:歌手の水原弘が着たことで10代に大流行した防水加工された「ハーフコート」。本当は、アメリカの清掃車の人がゴミ除けに着ていたものの亜流。ジーパン(ジーンズ)も同様であった。
「みゆき族」:銀座のみゆき通りを闊歩した若者が独特の衣装を身にまとっていたことから、「みゆき族」と称した。



朋友送信!

2008年05月12日 12時29分34秒 | 残日録
老齢に達すると、時に人恋しくなる・・・。

奈良・・に電話(携帯)してみた。花見時に会えると思っていたが、都合で会えなかったので。元気に畑仕事中のようであったので、安心した。飲酒の習慣(時に深酒)があるので心配な面もある。「4人組のお約束(遊ぶ)は、秋にでも計画してくれよ」と伝えた。誰がどうなるか、先行きの見えてきた人生を時に振り返る(青春真っ只中)のも、うれしいものだから。