日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

責任をとらない社会!

2007年07月31日 19時04分29秒 | 残日録
参議院選挙の結果、自民党は惨敗した。

先の各大臣の失言や失態について、安倍総理大臣は、速やかに更迭するべきでした。その所為でかどうか松岡大臣は自殺。赤城農相はまだ居座っている。「赤城徳彦農相は31日の閣議後会見で「新たな党の規約が決まればそれに沿って対応する」と述べたが、自ら公表する意思はないことを改めて明らかにした。」
こんな「仲良しお友達内閣」が日本をダメにしている。もちろん、安倍総理が、潔く辞任するべきなのに、進言する者も、名乗りをあげる者もいないとは、「美しい日本」は何処へいったのでしょう?
「葉隠れ」精神は、武士の時代で終わってしまって、侍(士)はいなくなってしまいました。おおよそ「国会議員」を志した瞬間、私利私欲を捨て去って「国家」、「国民」のために尽くす覚悟をして下さいよ!

こんな政治の「ごたごた」が、年末にも予定されていた増税の最後の仕上げ「消費税値上げ」を先送りする結果となったことは皮肉なことでした。財務省は、明日(8月1日)から「借金時計」をデジタル表示する。刻々と増える数字に、国民が震え上がって、消費税値上げ止む無しと考えるとでも思ったのでしょうか?


僕らの時代が逝った!

2007年07月30日 12時14分01秒 | 残日録
作家で平和運動家の「小田実(おだまこと)」さんが逝った。
「安保反対活動」や「ベ平連」や「米兵の脱走」などの活動を行っていた小田実さんが逝った。
60年代の活動から近年は、神戸大震災の救援活動などに軸足を移し随分柔らかくなった印象でした。人は、長い人生の間に世界的な政治環境も、その人を取り巻く環境も変わります。その進化が人生ですから、一つの考え方に固守する生き方は疑問も多いですから、立派な人生を終えられたと思います。
同時代に生きた活動家として思い出すのは「唐牛健太郎(からうしけんたろう)」なんて随分紆余曲折の人生だった。北海道大学入学後に始めた学生運動は、道学連委員長から全学連委員長に祭り上げられたが・・・。なんと真反対の思想の右翼の大物「田中清玄」の援助を受けていたことより・・・。次々に職業や居所を替え・・・46歳の若さで逝った(1984、昭和59年)。殻を背負って変身できなかったようだ。(田中清玄は、唐牛を同じ函館生まれという他に二人とも庶子(唐牛は芸者と客の間に生まれた)だったことで可愛がったようです。)
「田宮高麿(たみやたかまろ)」大阪市立大学入学後の学生運動は、安保闘争の終焉後もあの赤軍派結成に参加して、「ヨド号ハイジャック」によってその存在が一挙に脚光を浴びた。なぜか、「革命」という言葉に酔うような時代であり、野次馬的な喝采もあった。北朝鮮を目的地に選んだことで、思想的に凝り固まった状態に陥り、最後は北朝鮮によって粛清(1995、平成7年)されたとの指摘もあるが・・。この人も脱皮できないような環境に身を置いたことが残念な結果を招いたとも思われる。彼の言葉が聞けるなら、人生論以外に「拉致」への関わりなどの事実をありのまま語って欲しかった。

ああ、選良!

2007年07月28日 21時25分59秒 | 残日録
明日は、参議院議員選挙の投票日です。

議員に選ぶ条件の一つが、所属党、所属会派です。
ああそれなのにそれなのに、選ばれた途端に、選挙で選ばれた条件をも顧みず、郷従連合を繰り返し、「選挙で選ばれたのは「自分」が偉かった、バッジを付ければ勝ち」と、選民を無視して、信念(公約、マニュフェスト)まで放り出すのは、許せません!
選良足りえたあなたは、約束を守って下さると確信して、明日投票します。

旧友温められず!

2007年07月27日 21時32分02秒 | 残日録
「・・・、有朋自遠方来、不亦楽乎、・・・」(論語)【・・・朋あり、遠方より来たる、また楽しからずや、・・・】

2500年も前に孔子は、「遠方から友人が訪ねてくるのは楽しい」と看破しているのに、この世は住みにくいものです。

某大学を卒業以来(44年)一度も会っていない旧友(I君)がいる。
今度、当時の仲良し4人組が一泊旅行でI君の住む都市へも行くことになった。そこで、「是非会いたいものだ」との手紙をだした。それには、あらゆる連絡手段(住所、電話、FAX、携帯、メールアドレス(PCと携帯の)、ホームページ、ブログ・・・)を書いた。
初恋の相手に出す「手探り」のような、ウキウキする気分と無視されたり軽蔑される不安が同居したへんな憂鬱感に支配されながら・・・。
I君の携帯番号や電話番号は別のルートから聞いて知っているのに、手紙をかいたのには、訳がある。電話では、「あんた誰?」と言うような言葉があったときに100年の恋が冷める気分を味わうと思ったからです。男同士なんですが・・・。

なんらかの連絡が必ずあると信じて疑わなかったのですが・・・・・!
1ヶ月を軽く経過したのに・・・何の風の便りもない。かくして、人生の一時を取り戻そうという思い出への旅は、置き去っていくしかないのでしょうか。

I君は柔道部の猛者でした。kunio_nikkiは、軟弱な肉体の・・・そうそう弁慶と牛若丸のような不釣合いな組み合わせの友人だった・・・・・。I君の友人の、当地に住むN君(中核都市のベテラン市会議員)に、事情を聞くことも考えたが、余計なことと思われるし(手紙の返事がこないから)、人生の忘れ物を見つけられない気分ですが、旅行中は他の3人に言わずに済ますことにしよう!と決心出来ずにいる。旅行は10月です・・・。

ああ論語!

2007年07月26日 20時40分02秒 | 残日録
今日、ブログを始めてから一番うれしい「コメント」があった。高校球児の夏が終わった(予選敗退)をかいたが、球児の父兄からのものでした。600~1000ヒットもある中、不良サイトのトラックバックや酷い中傷のコメントもある中で、清清しい「子供の成長を見守る、動きを目に焼き付ける」ような愛情が読み取れるものでした。この球児の将来へエールをお送りします。

さて、日本人の中にこれほど愛された「思想人」は、いないのではないでしょうか。「神」にまで祀りあげられた孔子です。近くの「閑谷学校(しずたにがっこう)」にも孔子廟があるし、日本各地にそれは見られる。
その為政篇2-4に孔子の一生を述懐したと思われる超有名な1篇がある。こんな人生があるはずがないと思うんですが、凡人の浅はかさでしょうか。有名な坊さんが(人々に人生を説いていた)余命数ヶ月のガンであると告知されたときに取り乱したと聞いたときに「当たり前だ(人生を達観なんてできないよ~)」となぜか安心感が湧いたことがある。

子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩。

こんな人間おらんじゃろ~!と叫びたくなりますが、孔子も苦しい人生だったのに、人生を振り返ったときに、こんなにいい言葉がでてきたんでしょうか?
孔子曰く、私は15歳で学を志し、三十で自立して、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳従う、七十にして心の欲するところのまま行動しても道を踏み外さなくなった。ここから日本人に愛された15歳(志学、しがく)30歳(而立、じりつ)四十歳(不惑、ふわく)五十歳(知命、ちめい)六十歳(耳順、じじゅん)七十歳(従心、じゅうしん)が、今も広く言われているのには驚きです。これが、2500年も前に語られたなんて・・・。

姫路城の秘密

2007年07月25日 20時55分22秒 | 残日録
近頃、心身ともに「壊れかけ」状態だ。
「酒井抱一(さかいほういつ)」を書きたいのですが・・。

心臓・・・胸苦しい・・・薬の世話になっている・・・こともあり、気分転換もあって博打(もちろん公営競馬)やパチンコに狂ったのですが・・・虚しいものが・・・。

「姫路城の秘密」に新しい項目も次々と浮かぶがアップロードできない状態です。しかし、大好きな太田南畝(蜀山人、江戸の下級武士。19歳という若さで「寝惚先生文集」を著すと狂歌のブームとなった・・・。後、天保の改革で華美を廃する政策で、なんと武士として生きる決心をする。幕府の「学問吟味」に合格、出世の道を歩み出すのですが、果たして「幸福」だったのでしょうか。)や、山東京伝(黄表紙、洒落本で有名、江戸の「意気」と「穿ち」を実践した。)などと、一緒に遊郭などに遊んだ※「酒井抱一」を、史実だけではなく、フィクションを交えて書いてみたい。
大好きな「彼らの時代」を夢想するだに楽しい。
※酒井抱一(さかいほういつ)、本名忠因(ただなお)。姫路藩主酒井忠以(ただざね)の実弟、譜代大名家の次男ゆえに他家に養子(大名として)の道もあったが、若い頃より俳諧や狂歌に浮世絵に才能を発揮し、上記の二人(共に遊女を妻に)と遊んだ。37歳で出家、画業に励む。姫路市立美術館に「雲雀に春草図」や「集外三十六歌仙」や「播州室明神神事 棹歌之遊女行列図」がある。皇居にも収蔵品あり。

生姜を買いに行く!

2007年07月23日 11時39分23秒 | 残日録
大好きな「しょうが」を買いに行く。もちろん「紅生姜」にするために。

小さく刻んだ紅生姜があれば、熱々ご飯にまぶせば、なにもいらないくらいだ。
ただ、余り大きくない状態で、繊維質の成長していないものがあればうれしいのですが・・・。

帰りに畑に寄って、唐辛子の成長していない全部を引き抜いてきたい。これは、その葉を佃煮にしたものを造ってもらいたいからだ。これも、血圧や心臓に良くないものでしょうが、何物にも替えがたいほど大好きだから・・・。

ああ~!うれしい~よ!

今日も6打数5安打(1ホムラン)と絶好調の松井秀喜外野手が、明日から1週間、我が家のテレビに帰ってくる。ヤンキースのテレビ中継がないと寂しいよ!

球児の夏にありがとう!

2007年07月22日 19時28分31秒 | 気まま日記


今日、市立姫路高等学校球児の夏が終わった。

なんと、50年近くも前に卒業した「kunio_nikki」は、同級生のM.K君とF.Y君に誘って頂いて、M.K君の自動車に同乗させてもらって明石球場に行った。
同校の球児達は、去年からのメンバーが多く残っていて、4回戦突破はできるものと確信していた。
2回戦は、対「県立東灘高校」を6対0で撃破。3回戦も、対「私立日生第三高校」を7対1で破り、危なげない勝ちっぷりであったから・・・。
今日対戦の県立鳴尾高校は、シード校であったが、恐れるに足らずと乗り込んだ。
たくさんのベンチ入り出来ない球児や応援のブラスバンド部員(女子部員がほとんどというほど多い)や部員の父母の会の応援に混じって、3人も力一杯応援した。

しかし、試合は、3対7で敗れた。

試合前の校歌を力いっぱい歌えたし、清清しい球児の姿を目に出来たのは望外の喜びでした。
試合後に目にした球児やマネージャーの涙は、「kunio_nikki」が長い間忘れかけてていた、しかし、心の片隅に微かに残る「青春の清清しさを伴った涙」で、思わず涙を共にした。
そして、思わず、スタンドから「ありがとう!」と叫んでいました。
(以下、球児の名前は、公表されているので、そのまま掲載します)

桐月健太(3年、神崎中)くん、君の鋭い打撃が先の2試合の勝利に貢献しました。今日も第3打席のレフト前ヒットは素晴らしくて、大いに興奮できました。
山田健太(2年、置塩中)くん、三塁前へのバントヒットは的確で、うれしかったです。来年も進歩した姿を見せて下さい。
岩城琢仁(3年、白鷺中)くん、主将としてチームを、私達をここまで興奮させて頂けたことを感謝します。本当にありがとうございました。
梅田知幸(3年、書写中)くん、今日たまたま不調の主戦「春名」くんを3回からリリーフ、速球が見事でした。それと8回に飛び出した君のホームランは、見事に期待に応えてくれるものでした。ありがとう!
塩田一輝(3年、琴陵中)くん、野球の要、キャッチャーから長い間姫高をここまで導いていただいて感謝しかありません。ありがとう!
春名佑磨(3年、大白書中)くん、今日はたまたま不調のように見受けました。やり直しのきかない予選は人生よりもず~と過酷です。そんなマウンドをよく守って頂けました。ただただ、ありがとう!
近本貴大(2年、夢前中)くん、センター前ヒットは、大器の片鱗を感じさせるものでした。精進して、来年主軸を期待します!
中澤直哉(3年、山陽中)くん、今日はよく打球の飛ぶレフトで溌剌としたプレーでうれしかったです。
南裕也(3年、広嶺中)くん、去年からずーと見つめていました。よく成長されました。ありがとう!
瀬尾拓也(3年、灘中)くん
前田征吾(3年、花田中)くん
横田直也(2年、東光中)くん
田中健悟(3年、姫路東中)くん
坂本康平(3年、城乾中)くん
安井裕貴(3年、四郷中)くん
藤本裕也(3年、安室中)くん
林優也(3年、朝日中)くん
垣内琢仁(3年、姫路東中)くん
スタンドから君たちを見つめていました。いつ出番があっても不思議でない展開でしたが、一体となった動きは、すばらしいものでした。

君たちの青春の一時と同時に「煌くような時間」を体験できて、本当にうれしかったです。

「君よ八月に熱くなれ」(詞:阿久悠)
また巡りくる 夏の日に
心ふるわす人がいる
あれが確かに青春と
胸にまぶたに刻み込む
時よ 止まれよ ただ一度
奇跡起こした若者に
雲が湧き立つ甲子園
君よ 八月に熱くなれ

・・・時よ 止まれよ ただ一度 奇跡起こした若者に・・・と願っていましたが・・・。ありがとう~!




ヤンキース猛追へ!

2007年07月19日 21時39分29秒 | ヤンキース
遅ればせながら、やっと本気ムードとなってきたようです。
今日もじれったいほど点が取れなかったが、終盤に集中打で逆転した。我が松井外野手も2安打と調子も上向いてきた。本人も「絶好調ではない」と言っていたように「全ての打球が芯で捕らえられているわけではない」のが本当でしょうが、打率も3割に近づいてきたと同様に、「赤い靴下」の尻尾も見えてきた(7ゲーム差)。負け試合の差が6つあるので、なんとしてもそれを並べなければならない。
関西地方は、22日からの早朝放送(TBS)がないので、インターネットの1球アニメーションで観戦する。24日からは、BSがあるさ!

ああ!高校野球!

2007年07月19日 19時55分48秒 | 残日録
我が母校が、高校野球県予選の3回戦を突破した。(抽選で1回戦なし)

雨で延期の影響で、当初予定の豊岡こうのとりスタジアムがなくなったのですが、2回戦、3回戦と淡路島佐野球場への遠征と恵まれていない。3回戦は高砂球場だったのに・・・。それに、姫路球場での試合は、地元ケーブルテレビでの中継があるから録画できる楽しみもあるんですが・・・。

7月22日(日)明石球場でシード校の県立鳴尾高校との対戦は是非突破して欲しいものです。ここは、電車(JR)で応援に行くことにした。