日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

ああ!高校野球

2016年07月21日 15時53分18秒 | 残日録


相手校の圧倒的な選手層(スタンドを埋め尽くす背番号のない選手たち)と鍛え抜かれた守備力によって敗れた。
2対7である。途中ひょっとしたら・・・・と感じさせたのはなんだったのでしょう?
10番台の選手たちと8番を背負った投手によって敗れた。

姫路高校校歌
1.我が姫高はむつみあい 自由と自治を重んじて
文化国家の建設に 斉しく心を傾くる

2.天下に響く白鷺城 広峰、増位の山緑
海の景よき播磨灘 郷土の美をば讃えなん

3.輝く星を仰ぎ見て 希望は高し将来の
大成を期し携えて 学びの道を辿るべし

4.清明率直意気揚り 信ずるところを実践し
人類愛を旨として 我が姫高は進むなり


三木露風の作詞と平井庚三郎の4番をそれまでと違うメロディーにする工夫によって
類いまれな「名校歌」となった。

75歳のkunio_nikkiの高校野球の応援も終焉を迎えようとしている。
この愛していた校歌を一部失念していたのである。

ありがとう球児達よ!それぞれの青春の1ページを彩った日々を老人に贈って頂いたことに感謝いたします。

夏の高校野球

2016年07月19日 07時51分46秒 | 残日録
kunio_nikkiは、高校野球地区予選を見に行った。

兵庫県高砂球場にでかけた。
梅雨明けが宣告された所為でもないだろうが、本当に倒れそうになる日差しであった。
県農業高校と市姫路高校の3回戦である。
試合は白熱の試合経過で2対2で延長戦にもつれ込んだ。
幸いにも、姫路高校が11回サヨナラで延長戦を制した。3対2。

老人ボケのせいもあるが、忘れかけた校歌を思い出しながら、時々まちがえながら、歌った。

そうだ、昭和35年(1960年)の卒業だから、56年も前になるのだから・・・・。

腰の痛いのも忘れて、2時間40分の荒行にも耐えた。家でテレビをみるのさえ寝転んでみる、ていたらくなのにである。

次戦は21日 12時30分 から・・・・対三田松聖・・難敵だ。体力が回復しているだろうか?


 作詞 三木露風   作曲 平井康三郎

1.我が姫高はむつみあい 自由と自治を重んじて
文化国家の建設に 斉しく心を傾くる


2.天下に響く白鷺城 広峰、増位の山緑
海の景よき播磨灘 郷土の美をば讃えなん

3.輝く星を仰ぎ見て 希望は高し将来の
大成を期し携えて 学びの道を辿るべし

4.清明率直意気揚り 信ずるところを実践し
人類愛を旨として 我が姫高は進むなり


酒井抱一

2015年03月10日 15時04分28秒 | 残日録
愛する時代

酒井抱一(さかいほういつ)の時代


「姫路城の秘密」に新しい項目も次々と浮かぶがアップロードできない状態です。しかし、大好きな太田南畝(蜀山人、江戸の下級武士。19歳という若さで「寝惚先生文集」を著すと狂歌のブームとなった・・・。後、天保の改革で華美を廃する政策で、なんと武士として生きる決心をする【武士名は太田直次郎】。幕府の「学問吟味」に合格、出世の道を歩み出すのですが、果たして「幸福」だったのでしょうか。)や、山東京伝(黄表紙、洒落本で有名、江戸の「意気」と「穿ち」を実践した。)などと、一緒に遊郭などに遊んだ※「酒井抱一」を、史実だけではなく、フィクションを交えて書いてみたい。
酒井抱一(忠因(ただなお))は、狂歌を太田南畝に学び、尻焼猿人(しりやきのさるんど)と名乗った。画家としては尾形光琳派に学び・・・・大成した。

大好きな「彼らの時代」を夢想するだに楽しい。
※酒井抱一(さかいほういつ)、本名忠因(ただなお)。姫路藩主酒井忠以(ただざね)の実弟、譜代大名家の次男ゆえに他家に養子(大名として)の道もあったが、若い頃より俳諧や狂歌に浮世絵に才能を発揮し、上記の二人と遊んだ。37歳で出家、画業に励む。姫路市立美術館に「雲雀に春草図」や「集外三十六歌仙」や「播州室明神神事 棹歌之遊女行列図」がある。皇居にも収蔵品あり。

その「酒井抱一」の掛軸をついに手にいれた。
某オークションサイトで、思い切った金額で入札したのですが、思っていたよりは、少額にて落札できた。
うれしい!
今までは、「五島耕畝」の絵(掛軸)を、絵のタッチを気に入って床の間に掛けて楽しんでいたのですが・・・。まだまだ集めているのだ。

その比じゃない。なにせ「太田南畝」や「山東京伝」さえ夢想できるんですから・・・・。
彼らの生きた時代や遊郭さえめに浮かびます。

真筆かどうかなんて気にしていません。夢のようです。

節分会

2014年02月02日 15時35分32秒 | 残日録
2月2日 播州西脇「成田山」に行った。例によって家内と一緒。

毎年、節分会は、2月の第一日曜日に行われるようだ。
例年は、丹波市氷上町の「岩瀧寺」の豆まきに行っているのだが、「独鈷の滝」も氷結しているので、楽しみなんですが・・・・。
今年は、半分くらいの距離のところになってしまった。残念だが・・・。

ここの豆まきは、殻つきのピーナッツを投げるのと、「鬼は外」とは言わず、「服は内」のみで投げられる。
800Kgもの豆が投げられる。
投げる人は、厄年の人が、厄落としを祈願するのが普通だが、だれでもいいようです。2万円または5千円を払ってそれをする。

裃に身を正して、本堂でおはらいを受けてから、豆まきが始まる。

今日の外出は、久々の所為かつかれた。運動も必要だ。     豆を拾ったので、年齢分(数)を食べねばならない。何日かに分けて。

というような訳でカメラ持参はなかった。氷上では撮っているのだが・・・・。



岩瀧寺「節分祭」に行った

2012年02月04日 12時25分13秒 | 残日録
二月三日、丹波市氷上町香良・・「岩瀧寺」に行った。

この日は、近年にない冷え込みであった。現地での雪の影響も考えて4WDになった。これは、カーナビもETCも付けていないので・・・・地図を入念に調べたのだが・・・。
播但自動車道と中国自動車道と一般道ですすんだ。
現地は、町道に入ると、雪が溶けていないので・・・慎重にすすんだ。

檀家のない寺らしいのですが、地域の人のお参りで準備がすすんでいた。遠い道のりだったので「トイレ」に閉口・・・水道・・凍結・・流せない状態・・

総勢30人ほどのお参りは、10時30分~読経・護摩だき法要において・・・500mほど先の「独鈷の瀧」が「凍結しているのではないか」との地元の人の進言で、行ってみた。凍結していなくて、雨の少ない時期なのに見事な水量であった。雪道を登ってきたので、数枚の写真を撮った。

お昼前になって「豆まき」行事になったので、数枚の写真・・


この行事にも「丹波新聞社」が取材に来ていて、インタビューを受けた。帰ってネットで調べたら、スタッフ全員(本当に多くて24人)の写真から、家内が社長であると見たのだが・・。
この地方には、度々来ているので非常に興味があるから、1年間でも「購読契約」したら良かったかなあ~!(週に木・日2回発行で1220円+郵送料200円)


2月は、本当に「祭り・行事」が少ないなあ!
調査してみるか。

日本報道写真連盟の1月分にも、「別宮のお綱うち」が入選。遠い、雪深い里まで出かけた甲斐があったのだろうか。

同窓会について

2012年01月15日 21時18分17秒 | 残日録
古希になっての同窓会には・・・

それぞれが、なんらかの病気を持っていて、薬の種類も多く飲んでいるのが悲しい現実だ。

それでも、お誘いがくるのが現実だ。そんな人(幹事)は、本当に元気なものだ。

kunio_nikkiは、心臓に欠陥があって、酒もダメ、たばこもダメ、甘いもの、辛いもの、パンやラーメンまでダメといわれている悲しい現実がある。そんな体で同窓会と言われても・・・・がまんがまんの同窓会になるのに・・・・いろいろ出席のお誘いがあって、欠席の結論がぐらつくから・・・残念・・・!
 返事するまでには・・・・多くの時間があるのだが・・・。

別宮のお綱うち

2012年01月09日 20時58分51秒 | 残日録
別宮のお綱うち

兵庫県養父市のはずれ別宮は、本当に雪深いところです。
瀬戸内側の雪の降らないkunio_nikkiにとっては、考えられない景色なんです。(不謹慎ですがうれしいものです。芭蕉だって「雪見にころぶところまで」出かけたいと句にしています。)
そこの別宮は、小さな集落ですが、各戸でワラを持ち寄り、注連縄とも大蛇とも・・・径30cm、長さ30m、重さ100Kgにもなる巨大な「お綱」をより上げ、集落を見下ろす2本の巨大な「大カツラ」(国、県の天然記念物)に張り渡して、1年間にわたって集落の守り神とする重大な行事です。

なんとか、雪道を乗りこなして妻と行けたので、凡その行事の内容を添付します。一部の写真は、日本報道写真連盟のネット上に応募しましたので、2月には掲載されるかも。


鬼追い

2012年01月08日 20時14分40秒 | 残日録
兵庫県加古川市「鶴林寺」修正会(しゅうしょうえ)に行った。

各地の修正会は、決まった日に行われているようだ。鶴林寺の日にちは、1月8日なので、たまたまの日曜日になったことから、大変な人出となった。
驚いたことには、鬼追いが始まっても泣き叫ぶ子供が見当たらないのである。小生など、「獅子舞い」の踊りでも人ごみの後ろのほうで、小さく震えていたのになあ!
鬼と一緒にピースサインで記念写真まで撮る始末だ。

その中で、二人の男の子が、手をつないで、恐る恐る覗き込んでいる方が・・・うれしくなる光景であった。

日報連の月報に先のブログと同じ写真(12月14日)が入選した。今回の写真は、近くだったので・・・明日は、遠いので(養父市別宮・・八幡神社の「お綱打ち」に、家内の運転で出かけることになった。高速で乗り継いでも「東鉢スキー場」の前だから2時間たっぷりなので心配だ。雪が多いなら引き返すことにする。4WDは、オートマチックでないから乗れないのだ。

お綱打ちは、直径30Cmものわら綱を30mもの長さに編んで、100Kgにもなる。それが二匹。仕上げに集落のそれぞれの入り口の二本の大ケヤキに巻きつるして、集落の「守り神」となって1年間見守るのだ。


久しぶりに更新

2011年11月26日 19時49分45秒 | 残日録
ここ数日の冷え込みから解放されたような好天(青空)に誘われて、姫路城へ行った。定点撮影更新は、二ヶ月以上も前のことだったのだ。「姫路城の秘密Ⅱ」

動物園側の駐車場に車を入れて、定点撮影地点で・・・手持ちで撮影した。正面からの写真は、観光客の撮影場所である「世界遺産 国宝 姫路城」の石碑前が、人が途切れることがないので、いつもの場所を諦めて、大手門を入れる地点とした。
イーグレ姫路五階屋上からも数ショットを撮ったが・・・・・。紅葉が綺麗だった。新しいカメラで初めて撮るので、オート撮影やマニュアル撮影をためした。フルサイズカメラは、初めてだったが、結果は思ったよりもピントが甘いかなあ。花などでマクロも試してみないと・・・使いこなせるまで・・・かかるだろう。使いこなしている7Dは、使い勝手がいい!



B級グルメを・・・

2011年11月11日 09時15分30秒 | 残日録
明日から「第6回B-1グランプリ」姫路大会が開かれる。

先の大戦中に生まれた古希の身にとっては、戦後の食糧難の飢えのときを含めて、ほとんど美食とは無関係に生きてきた。みんな貧乏だった。今になって、少し金持ちになった気分の庶民が、喜んで食べるのだろうか。いまさらB級グルメと言われて有り難がる神経が分からない。
70年も食べてきたからなあ!「にくてん」(高砂市)だって、薄いメリケン粉を鉄板に伸ばして焼いただけで食べたものだ。具はない。「焼きそば」は、具がないそばだけだったし、「姫路おでん」は、畑の残り物だけだったのに・・・少し贅沢な添え物があるものだ。(すき焼きは、何事かがある年1~2回程度だった)
カレーだって、ジャガイモだけの具に、カレー粉を入れ、メリケン粉で少しのトロミを付けたものが、最高の贅沢だった。

こんな子供たちだったが、元気に遊んでいた。今では全く見られないが、青洟をたらして、それを拭くものだから、袖口をテカテカにに光らしていたのが普通だった。食が貧しかったからだろう・・・・・・・・。

かくして、近くに住んでいるのに、数時間並んで食べるという神経は持ち合わせていない。(疲れるから)