日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

消えかかっている記憶

2009年12月21日 16時52分43秒 | 残日録
外出先(巨大本屋)で声をかけられたが・・・。

顔に記憶がない。相手から名前を呼ばれたのに・・・・。
高齢(後期ではないが)になってくると、記憶があいまいどころか、飛んでいくようだ。記憶がうろうろ行き来したが・・・思い出せないよ!早々と本を買って立ち去った。失礼な話だ。名前を聞くのだに失礼と思ってしまったのだから。


そして、残念なことは、「楽しかったこと」や「うれしかったこと」の記憶が少なくなってくることだ。
林芙美子が言った「人生、苦しきことのみ多かりき」ではないが、多くの年輪を重ねたのに、「うれしかった一日」は、少ないのだ。これからの残りの人生において、たのしい思いの日を作らねばならない。消えていく記憶を補うために!

新しくパソコン(.... special 2009/11/15」と刻印された。....は名前)に失った住所録を復元した。しかし、年賀状へとは進化しなかった。
地区の与えられた役割が、今年でおおかた終わるので、引継ぎの会議などの案内を送ったり、引き継ぐべき文書などを作成したのだが・・・・。

明日は、更に記憶を呼び覚まして「年賀状の作成」に臨むつもりだ。全部には、自筆の書き込みを入れられないかも知れないが、それにも臨むはずだ。気力が備わっていれば。

24日に迫った「心臓の検査」は、最大の山場だし・・・検体検査+心電図+ペースメーカーなのだから・・・。知人は、ペースメーカー手術の日が決まっていたのに逝った。「家内には自然に死にたい」(機械はいらない)と告げているが、「検査だけ」と半分納得させられたのだ。

苦しいこと、たのしいこと、・・・・一瞬の出来事だったようだ。

























に取り込んだ