日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

小説 2

2009年01月19日 15時00分36秒 | 小説
国道二百五十号線はゴールデンウイークでかなり渋滞していた。
「ゴクン」と車の止まるショックを感じて目をあけると、ほぼ満車の駐車場であった。なにか口寂しいので、たばこでもと、ポケットを探ると一万円札が二枚でてきた。いつも同じ服を着ているので、妹が忍ばせてくれたようだ。たばこは、なかった。ごそごそしている、落ち着かないそぶりを見て、剛志が、たばこを差し出してくれた。ひとくち大きく吸い込んだとき、たばこの煙と潮の香りが入り込んで、すこし眠気は去った。
 休憩所からの眺めは、遠浅の海が随分潮が退いて、砂浜が見えているところや、浅い水溜りは、家族ずれや職場のグループらしい人たちで、混み合っているように見えた。
 海に入ってみると、外から見えたのと違い、自分のテリトリーに他人がづかづかと踏み込んでくるような、不快感が起きるような小さな空間ではなかった。 
 熊手とか、小さなバケツ等は、剛志が用意していた。美穂も帽子や長袖の服装など潮干狩りにふさわしい格好をしている。それに比べて秀太は、履物まで用意していなかったので、運動靴を脱ごうとして、「貝殻で足を切るといけないから」と美穂からゴム草履を渡された。
 服装はそのまま海に入るしかないので、少しだけ「情けないなあー」との感情が浮かんだが、投げやりな気分がそれを押し流してくれた。
 一時間程海にいると、昼近くになったので、海岸の松林の木陰で「お昼にする」ことになった。濡れたズボンは気になったが、寝転んでみると、浜風の松籟の下、木漏れ日が顔のあたりでちらちらして、まどろんでくる心地よさに秀太は、例えようのない満足感を覚えた。
「秀太くん、海にいてしゃがんだり中腰だったりで、すこし疲れたでしょう。お弁当を広げたのでこちらに来て食べなさいよ」
「秀太のことを、亜季さんが俺に相談するもんだから、複雑な気持ちなんだろう」
「剛志が、亜季の話し相手になってくれることは、両親もいないし、兄貴も頼りないから、感謝しているよ」
 亜季と剛志のことは、仲良くしてほしいという感情と、兄妹の中に踏み込んでほしくないという複雑な感情があったが、言葉になってみると、思っていることは言えてなかった。
 しかし、追加する言葉は、見つからなかった。

華原朋美さんへ

2009年01月19日 14時46分24秒 | 残日録
【歌手の華原朋美さん(34)が17日未明、東京都墨田区の「錦糸町駅北口交番」で体調不良を訴え、救急車で病院に運ばれていたことが19日、分かった。】

昨日のフィクション「小説」は、人格再生の物語にするつもりで書き始めた。屈折する人格は、成人式の「粋がり」や「虚勢」に見て取れるが・・・。一時の投げやりな態度や刹那的な生き方は、若者にとっての許される範囲だったりする。

しかし、34歳か。

朋ちゃん大好きな老人にとって、がんばらないでいいよ!と言ってやりたい。

自分の今までを、出来すぎと考えずに、本当はこんな筈ではなかったと、また殻を大きくしようとするヤドカリのように無理をしたのかな。
若者再生は、屈折した人格が、精神的に破れる寸前に、ちょっとした止まり木(男でもいい)に安らぎを得て、旅立とうとする(自分を取り戻す)姿こそ尊いのだ。ドラの音に送られたなんて、いいシーンだがなあ・・・。