日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

敵に塩を送った日

2006年01月11日 20時03分01秒 | 残日録
今日は、1567年1月11日(旧暦、新暦では2月10日前後)に上杉謙信が宿敵であった武田信玄に塩を送った日です。

甲斐(山梨)、信濃(長野)を支配下に置いていた「武田信玄」は、近隣と不可侵条約のように約束を交わしていたが、駿府(静岡)を支配していた「今川義元」が死んで、その子「今川氏真」が後を継ぐと紛争が起こってしまった。実力伯仲ゆえ、お互いにもたもたして、それぞれの国内が疲弊してきた。それを見ていた越後(新潟)の「上杉謙信」は、長年争っている宿敵にも関わらず、また、攻めようとすれば、武田信玄の兵力が2分されている絶好機であるのに、攻撃はしなかった。それよりも、困っている領民のために、塩を送ることにした。駿府も越後も塩が多く取れたが、甲斐も信濃も山国で武田信玄の領土は塩を他国から買っていたのです。宿敵に塩を送る行為は、長く称えられることになった。
現在の世相は、金を稼ぐことが最大の目的となって、弱いもの(会社)は、弱点を見つけられると、すぐにハゲタカの餌食になってしまう。考えられない規模の会社でも、あらゆる借金を駆使して、自分より大きいもの(会社)を飲み込んでしまうのだ。ライバルは、蹴落とせとなる。そこには「敵に塩を送る」ような、考えはないようです。
敵を後ろから攻めるという卑怯な戦法は、「恥の文化」が許さなかったのでしょう。「菊と刀」や「葉隠れ」は、武士の生き方として、心の模範解答でもあったのでしょう。