歩きながら考える

最近ちょっとお疲れ気味

1969年を描いた2冊の本

2007-01-05 22:08:13 | 読書
いわゆる「団塊の世代」の方々が一斉に定年を迎え、仕事の現役を退こうとしています。製造業の現場ではこれは深刻な問題で、いかにいまのうちに若者に技能の伝承を行うかがポイントになっています。
「団塊の世代」の方々は、1960年代後半に社会に出られたわけですが、当時の日本がどのようであったのか、私は関心があります。当時の雰囲気を伝える書籍としては、私は高野悦子の「20歳の原点」と村上龍の「69」の2冊が印象に残っています。2冊とも舞台は安保闘争が盛んだった1969年ですが、20歳の女子大生だった高野悦子と17歳の高校生だった村上龍、2人の安保闘争に対する視点はまるで違います。
「20歳の原点」は、立命館大学文学部の学生だった高野が、いつしか社会の矛盾に怒りを感じて当時の激しい学生運動に身を投じるのですが、己を律することに心身共に疲れはてて鉄道自殺するまでを綴った日記です。マルクスやレーニンから借りたような堅い言葉で大学当局や機動隊、佐藤政権を批判する一方、自然への憧れやアルバイト先で出会った男性への恋愛感情の吐露、そして美しい詩を彼女は綴ります。彼女はほとんど観念的な理由で自殺にまで突き進んでしまうのですが、それだけの莫大なエネルギーを生きる方向に向けていれば、今頃は詩人として大成していたのではないかと思います。
一方、村上龍の自伝的な小説「69」の主人公、矢崎(村上本人といってよい)も友人を誘って高校をバリケード封鎖し、クラスメイトに国体反対を叫んで「フェスティバル」を開催しようとします。しかし矢崎の動機は、政治的なことや観念的なことではなく、目立つことで憧れの可愛い女の子の気を引こう、という不純な、しかし若い男としてはいたって自然なものです(が、やりすぎ)。とにかく目立とう、カッコつけよう、楽しんでやろう、という矢崎の行動は笑わせてくれます。
高野のような強い社会に対する意識と、己を律しきれない自分に対する煩悶、を抱く20歳の学生が、今ではどれほどいるのでしょうか。一方で矢崎(村上)のように、好きな女の子の気を引くために破天荒な行動を取る高校生も、今ではあまりいそうもありません。
全くタイプの異なる2冊ですが、1969年の日本は若く、エネルギーに満ちていたのだな、と思いました。

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3 コメント

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69年 (LMN)
2007-01-06 01:23:07
1969年頃は世界的に特別な時代だったのではないかと思います。日本だけでなくフランスもアメリカも、また政治だけでなくて、音楽(ジャズ、ロック、現代クラシック)も、あるいは文学や哲学も。未だに我々はそれに負っていて、次の時代に突き抜けることができたかどうか疑問に思うことがあります。

世界的に、戦後ベビーブーマーの青春の時代だったのでしょうね。もっとも、指導的な人達は、もっと上の世代だったとは思いますが。

69年の学生達の様子については、盾の会を結成したばかりの三島由紀夫が早稲田大学で講演して学生達と質疑応答をした時の録音のCD「学生との対話」(新潮社)を通勤途上聞いていたことがありますが、学生達の純粋さ、熱さ、観念的な独特の問題の立て方、そしてそれに対する三島のQ&A対応の明晰さには、大変に印象的なものがありました。(今アマゾンで検索してもなぜか出てきませんでしたが。)
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69年 (デハボ1000)
2007-01-06 23:49:51
最近、関西フォークのことを一寸調べていると、でるわでるわ、面白い話が。京大西部講堂とか記憶あるんですよね。高野悦子さんという方で本を出されている人が3人(この方・元岩波ホール支配人・料理研究家)いらっしゃるそうで。

でこのようにまっすぐに政治・生き様を見続けた人もいた一方で、裏面的に政治メッセージを湾曲して出してきたというので、対比という面で面白いものです。
考えれば、今、京都府立医科大のある場所が当時の立命館大学です。そのよこは皇居。複雑な感じを隠せません。
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コメントありがとうございます (kunihiko_ouchi)
2007-01-08 08:08:56
LMNさん、デハボ1000さん、コメントありがとうございます。
確かに1960年代後半に青春時代を送った方たちには、優れた才能を発揮した方が多いですね。ポップカルチャーについても、今のそれは当時のものの焼き直しのようなものが多いような気がします。
関西フォークについては、あいにくよくわかりません。ちょっと調べてみます。
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