goo blog サービス終了のお知らせ 

クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

ふるさとの“神社”を巡りませんか?(39) ―赤城神社Ⅱ(旧川里)―

2008年02月09日 | 神社とお寺の部屋
川里町広田(現鴻巣市)を本貫地としていた御家人“広田”氏。
その末裔宅に伝わる系図を見てみると、
上野国(群馬県)で没した者がいることに気付きます。

その人物の名は“為実”。
「於上野国早死」と記され、
その父は菅原孝標(すがわらのたかすえ)です。
詳しいことは不明ですが、
孝標が関東へ赴いたときに生まれたのでしょうか。

その為実の子は“為重”。
この人物には「忍太郎」という名が記されています。
忍氏は『吾妻鏡』にも登場する由緒ある武士。
埼玉県行田市に所在する忍城は、
もともとは忍氏が館を築いて住んでいたと言われます。

その子どもは“為景”。
この人物にも「広田次郎」という名が記載されています。
すなわち、忍一族の中で広田に移り住んだ者がおり、
広田姓を名乗ったのでしょう。
ここにまとめてみると、

為実(上野国で早死)――為重(忍太郎)――為景(広田次郎)

ということになります。
為実が上野国のどこで没したのかは不明ですが、
その子が武蔵国へ移住したことに伴い、
赤城神社の分霊を勧請し社を創建したのかもしれません。
赤城神社から神札が飛来し、
それを祀ったという言い伝えも、
あながち荒唐無稽ではないでしょう。

ただ、これは系図を基にした仮説。
比較的信頼性のある系図とはいえ、
全てを鵜呑みにすることはできません。

確かなのは、旧川里町赤城に赤城神社が鎮座しているということ。
社殿の周囲を鎮守の森が覆い、
付近には閑静な住宅街が並んでいます。
何の変哲もありませんが、
まるで隠れスポットのような佇まいです。
冬の到来と共に今年も赤城おろしが吹き荒れ、
誰もいない境内はざわつく木々の音に包まれます。
(続く)

※最初の画像は赤城神社(旧川里)の社殿です。


赤城神社(群馬県前橋市)の社殿


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。