クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

城のある“花崎”の地名の由来は? ―?な地名(5)―

2011年07月22日 | 地名の部屋
武州花崎城を舞台にした小説を読んだ。
作中では花鷺城。
時空を越えた絆が描かれ、なかなかの力作である。
活字にはなっていないのだが、
とても刺激を受けるいい作品だった。

花崎城は現在公園になっている。
すぐわきを東武鉄道の線路が通り、
その向こうには自動車教習所がある。
その一帯が城であり、発掘調査では障子堀も検出された。

低湿地という自然要害を活かした城だったのだろう。
ただ、城と言っても砦同然で、
領地の主体的存在ではなかった。
誰がそこを守っていたのかもわからない。

そこは村の城同然で、
特に城主と呼ばれる者はいなかったのではあるまいか。
粟原城(鷲宮城)か羽生城の者が配置され、
敵勢に備えていたのだろう。

ちなみに、花崎の地名は「花」の字がつくせいか、
どこか可憐で綺麗である。
韮塚一三郎氏の研究によると、端(はな)崎の意だという。
台地が低湿地に突き出すような地形をしていて、
そこから由来しているのだろう。

その台地の上に城は築かれ、
後北条方の粟原城と、上杉方の羽生城との間に挟まれていた。
戦乱の収束とともに、城は廃れていく。
江戸期に成立した『新編武蔵風土記稿』には、

 小高き地にて、東北の方泥深き沼をもて、要害となしたるさまなり、
 されど城跡とのみ伝え、何人の住せしことをしらず

と記されるのみとなっている。
ちなみに、花崎城の近くには、
戦国期の永禄元年(1558)に開基と伝えられる法泉寺が建っている。


法泉寺(埼玉県加須市)

※最初の画像は花崎城址(同上)


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