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クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“北条氏繁”はイケイケ武将だったか?(1) ―逆井城―

2010年09月11日 | 城・館の部屋
逆井城は茨城県坂東市にある。
その跡地には櫓や土塀が復元されており、
堀や土塁も現存している。

お城ファンなら必ずカメラを構えてしまうような場所だが、
意外にも人が少なかった。
同地は公園になっていて、家族連れが一組いるだけ。
あとは犬の散歩をしている人が何人かいた。

北東に組まれた櫓を登り、周囲の風景を見渡した。
西仁連川を隔てた向こう側は一面の田んぼが広がっている。
その風景からは想像もできないが、
かつてそこには“飯沼”という広大な沼が存在していたという。

江戸時代、この沼を新田にすべく、幕府から1万両の拝借金が渡された。
村人たちはこの開発を何とか成功させようと、
沓掛村の香取神社に集合し、起請文の血判状を捧げたという。

しかし、相手は広大に横たわる天然の沼である。
そううまくはいかない。
3000町歩の新田が拓けるには、それから長い歳月が必要だった。
櫓から見える広大な田園は、
そんな往古の人たちの苦労が眠っている。

これはあくまでも近世の話。
中世においては城を守る自然要害だった。
沼をなくして新田にすれば城の守りは弱くなる。
飯沼は城を守る重要な外堀だった。

逆井城は飯沼城と言われる。
かつて逆井氏という一族がここに城を築いたと言われるが、
詳細は定かではない。

天正5年に同城に入ったのは“北条氏繁”である。
城を整備し、反北条の構えを見せる北関東の国衆たちに備えた。
現在見える城の遺構は、その頃のものだろう。

氏繁(うじしげ)は勢力伸長を図る後北条氏の最前線にあり、
敵地を攻略する役割を担っていた。
それだけでなく、すでに北条のものとなった領地の経営も行っている。
黒田基樹氏は、氏繁の受領が北条氏照や氏邦と同じ時期に改称していることに注目し、
氏照や氏邦と政治的に同格であったと述べている。

氏繁が逆井城に入城した天正5年は、
下総“関宿城”と武蔵“羽生城”を攻略したあとのことである。
さらに北へ勢力を伸張するため、
岩付城から飯沼の広がる逆井城へ移ったのであった。



現在は田んぼだが、かつて広大に横たわっていた飯沼跡(茨城県坂東市)



逆井城址(同上)



同上



同上

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4 コメント

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逆井城 (treasure)
2010-09-11 11:22:33
逆井城は、今年の5月に「とんとん拍子」で飲んだ翌日、二日酔いの中行きました。

二ノ丸、三ノ丸などの縄張りが良くわかる遺構だったと思います。写真の櫓周りの水掘りでは釣りをしている人がいたり、屋敷みたいなとこでは、コスプレさん達の撮影会が行なわれていました。

三ノ丸裏手にも残る、あの沼の開墾は大変だったと思います。沼といえば、映画「のぼうの城」ちょっと楽しみですね。羽生勢とか出て来るのかな?(原作まだ読んでないのです)
返信する
treasureさんへ (クニ)
2010-09-13 07:16:24
二日酔いの逆井城のお話、8月にされていましたね。
良好に遺構が残されていて、しかも櫓も復元されている。
ぼくが行ったときは釣り人もコスプレさんたちの姿もありませんでした。
ヘラ師のAさんが釣りに行くかな(笑)

「のぼうの城」は天正18年の忍城攻防戦がメインだから、
たぶん羽生城は出てこないでしょうね。
少なくとも、原作には登場しませんでした。
羽生城もなんとか盛り上げなくては……!
返信する
ヘラ師Aさん (treasure)
2010-09-13 20:31:29
Aさんと言えば、あの後にも あじ鉄へ行ったそうで、千鳥足になって帰ったとメールが来ました。

その後も誘わずにお店に行ってもらえると、お店を紹介した側としては嬉しいですね。

羽生、何か盛り上げる策があると良いのですが。。。
返信する
treasureさんへ (クニ)
2010-09-14 05:35:23
ヘラ師のAさんいい人だなぁ
しかも結構飲んでいるんですね。
リピーターになってくれるのはとても嬉しいことです。
盛り上げるには、市民ひとりひとりの意識が大切ですね。
とりあえず、鉄さんのジャンボチャーシューメンの早食い大会とか(笑)
返信する

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