クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

織田信長の京都放火における町民たちの惨劇は?

2023年04月27日 | 戦国時代の部屋
2023年大河ドラマ「どうする家康」に登場する織田信長は、
狂気に似た一面を色濃く出したキャラ設定のように思われます。

そして、同ドラマに登場した足利義昭。
コンペイトウをバリバリ食す姿が描かれた義昭は、
言わずと知れた室町幕府第15代将軍です。
信長によってその座に就いたものの、やがて決裂することは周知のとおりです。

絶縁し、対決姿勢を見せた足利義昭に対して、
信長は元亀4年(1573)4月に京都(上京)に火を放ちます。
その信長は徳川家康に対し、
「(前略)前々忠節不可徒之由相存、種々雖及理、無御承諾之條、然上者成次第之外無他候て、去二日三日両日、洛外無残所令放火、四日ニ上京悉焼払候(後略)」
と、4月6日付で書き送っています(「古文書纂」)。

放火の際、京都には外国人キリシタンも在京していました。
彼らは織田勢の放火によって逃げ延びる人々の惨劇を本国に報告しています。
犠牲となるのは女性や子どもたちが多かったようです。
捕らわれた女性たちは綱で縛られ、強制的に連行されます。
このとき、歩行に慣れず、子どもを抱えて進むことが困難な女性がいると、
その子どもは殺され、鑓で突かれながら無理に歩かされたといいます。

一方、捕らわれることを恐れた女性たちは川に入り、そのまま溺死しました。
子どもも例外ではなく、2、30人の小児の遺体も確認できたその光景は、
新時代というより末世の感も強かったのではないでしょうか。

ある坂東キリシタンの妻は、
2歳児を腕に抱き、3歳児を11歳の妹に抱かせて川を越えようとしました。
しかし、川の流れは速く、水量もあります。
3歳児と11歳の妹はたちまち流され命を落としてしまいます。
2歳児を抱くキリシタンの妻も流されましたが、他の村人に助けられ、母親だけが生き残ったと報告されています。

2人の我が子と11歳の妹を一度に亡くした女性の胸中は、察するに余りあります。
戦国乱世という明日の命もわからない時代とはいえ、
その悲しみと苦しみ、苦痛は、現代の感覚とさほど大きな隔たりはないのではないでしょうか。

このような惨劇を本国へ報告したルイス・フロイスも、
当日のことを記すにあたり涙し、同情の念に堪えないことも書き添えています(「日本耶蘇会年報」)。
惨禍に巻き込まれた者の中にはキリシタンも多く、
彼らの不幸を思うと、憐憫のあまり眠ることもできず、休息もとれない旨を吐露しています。
他国の出来事とはいえ、目の前で繰り広げられた惨状はすさまじく、
精神に支障をきたすほどのものだったのでしょう。

大河ドラマでは、このような生々しい描写は放映しないはずです。
描こうにも、おそらく何かに引っかかると思われます。

ただ、往時を伝える史料がある以上、史料批判の手続きがあるにしても、
そのような記録を無視することはできないでしょう。
何かと歴史的有名人に目を奪われがちな戦国時代です。
しかし、彼らがどのような時代を生き、残した軌跡にどんな歴史的意義があったのか、
名もなき人々の犠牲はそれを別の角度から照射するはずです。
光が強いほど、深くて濃い影が落ちるものかもしれません。

それにしても、子どもが犠牲になる史料は、
当時の宣教師でなくても心がおかしくなりそうです。
ニュースで流れる痛ましい事故に触れるように、
約500年前の歴史的記事も同様の破壊力を持っています。
歴史研究とはいえ、心に破壊力のある史料は適度な距離感が必要かもしれません。
コメント
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