クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生と明和町を結ぶ渡しは? ―千津井の渡し―

2018年03月08日 | 利根川・荒川の部屋
かつて、羽生市上村君と邑楽郡明和町を結ぶ渡しがあった。
千津井下の渡し(千津井の渡し)と呼ばれ、
橋が架かっていない頃の重要な交通路となっていた。

江戸時代、明和町側では千津井河岸と呼ばれた。
河岸は安永3年(1774)に成立し、
船積問屋が1軒あったという。

幕末、羽生では陣屋が構築される。
その陣屋は官軍によって灰燼に帰した。
その日の夜、農民たちが結集。
名主の家を次々に襲うという打ちこわし一揆が起こった。

村君地区も無関係ではない。
一揆に襲われそうになった名主は、
屋敷を離れて利根川を渡る。
一家総出で逃げ延びたのだろう。

利根川から後ろを振り向いたとき、
屋敷が燃える炎で、空が赤く染まっているのを目にしたという。

その渡った場所こそ、千津井の渡しではなかったか。
水面にも、炎の明かりが映っていたかもしれない。
幕末の動乱は、この地方にも波及していた。

現在、渡し場の名残はほとんど見られない。
昭和29年に県営となり、同62年3月まで船が運行していた。
したがって、千津井の渡しは県道ということになる。

廃止ではなく、休止。
10年以上前、羽生側の河川敷に千津井の渡しの説明板が建っていたのだが、
いまでもあるのだろうか。

明和町側では、土手の上に水神宮が建っている。
渡し、あるいは河岸の名残なのかもしれない。
向かって右側面に、天明六年(1786)の銘がある。
現在、渡し場のすぐ下流には、東北自動車道の橋、
上流には昭和橋が架かり、ひっきりなしに車が通り過ぎている。

コメント (3)
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