RUNNING BEAR Ⅱ

くまこの日記です。コメントは承認制とさせていただきます。

引退発表。

2022-01-11 17:30:48 | 航平君
ロンドン五輪のあと、私は二つのXデーをとても恐れていました。
ひとつは、航平くんの結婚発表^^;。
いや、今だから、おめでたいことじゃないかと冷静に思えますが、その当時は、相当恐れていました。
そして、もう一つのXデー。
ロンドンは航平くんの全盛期。体力的にもまだまだ引退なんて言う歳ではありませんが、その当時、航平くんはロンドンで沢山の金メダルを獲ったら、その先はわからない、みたいな発言をしていて、やり切った感から引退してしまうのではないかと非常に恐れていました。
一つ目のXデーはロンドンの後すぐにやってきました^^;。
そして、もう一つのXデーは、今日、2022年1月11日でした。

そのお知らせを見た時、現実なのか夢なのか、それが何を意味するのか、実感として感じられない感覚でした。
でも何か、心がオロオロして落ち着かず、今までの航平君を応援してきた日々を思い出し、本当にいろいろなものを航平君から頂いたんだなと、
感謝の想いでいっぱいになりました。

東京世界選手権の前にたまたま「僕らの時代」を見ていて、試合前はナーバスになるから奥さんも実家に帰ってもらう?だったかな、そんなようなことを言っていた森末さんに対して、「僕はそんなときほど側にいて欲しい。」と発言する航平くんに、「え?何?何、この子?」(その時の感想です。この子呼ばわりお許しを^^;)と、まずは「内村航平」という人物に興味を抱き、VS嵐で闘志むき出しに壁を登る彼に、「あ、この子、根っからのモテ男。」と心を持って行かれそうになり、団体戦鉄棒でコバチを落下した瞬間に私も内村航平という体操選手に落ちました。
そこから、体操競技なんてほとんど見たことがなかった私が航平くんの試合を生で見たくて仕方ないという激しい衝動にかられ、2011年、豊田国際の観戦に行きました。
そこが私の航平くん応援のスタートでした。
あれから10年、沢山の試合を観戦し、心臓が飛び出しそうな緊張感の中、時には怪我のテーピングを見て激しく心配し、失敗の演技の後、椅子に座ったまま動かない背中を見てお友達と話をするのも忘れてその背中をじっと見つめ、そして、お願い!止めて!!と両手を強く握りしめて念を送った次の瞬間に、体育館の時間が止まり、地響きのような歓声の後キングのガッツポーズ、突き上げる右腕。
そんな瞬間を何度も航平くんは私にくれました。

元気、感動、希望、自分への叱咤。そして、沢山の沢山の、本当にたくさんの胸キュン。
航平くんが私にくれたもの、もう、数え切れません。
胸キュンの矢は、真正面から来たり、油断していると背中から飛んで来たり、小さな矢から爆弾級の矢まで、いったい何本私に突き刺さったのでしょう。

本当につらくて苦しかったロンドン五輪。
そこからのリオでの金メダルに向かう4年間は、漫画以上に漫画でした。
航平くんの競技人生は、体操ニッポンのためにあったと言っても過言ではないと思います。
自分の個人総合は、団体金メダルを獲るための武器。個人のことは二の次。目標は団体金メダル。
航平くんのこの強い言葉は一瞬たりともぶれることなく、それを繰り返し発信することによって、同じ気持ちを持つ選手たちが集まってきました。
航平くんの同級生や先輩からも、「もう一度航平とチームを組んで世界の舞台で闘いたい」という言葉を聞きました。
皆が同じ方向を向き、1点を見つめて動いていったのです。
航平くんは、誰が代表になってもいいように、日本全体のレベルを上げるために自分の構成を考えました。6種目やる前提です。
跳馬の終着点だったリ・シャオペン。一つの技の習得に、あれほどの胸キュンエピソードが込められているって、、、。ね。ほんとに。

リオで団体と個人総合金メダルを獲得した後、航平くんはプロになりました。
リオまでの4年間とはまた違った意味で、東京までの5年間も漫画以上でした。
栄光に突き進んだリオまでの4年間と違い、苦しみの中でもがき続ける5年間でしたが、本当に内村航平という人間の強さを、ここで証明したなと私は思っています。
リオまでは体操ニッポンのために邁進した航平君ですが、リオの後はもう一つ大きな枠組み、日本のアスリートとして、世界を代表するアスリートとして、という意識がとても強かったような気がします。
発言もそうでした。記者会見も、キングと呼ばれた選手が、予選落ちをして、それでも記者会見に臨まなくてはいけない。出たくないでしょう。話したくないでしょう。でも、航平くんはどんな時も記者の前に出て、話をしました。
「東京五輪は夢物語。」そう話した時の航平くんのVTRは、今でも胸が締め付けられます。
よく記者会見に出られたね。航平くんを、とても誇りに思いました。
若い時は記者会見が嫌いで、不愛想に対応していた航平君。(私は好きです(笑))時々、今でもちょっとやんちゃな端っこがちらっと見えると嬉しくなっちゃうんですけどね。めったにないですけど。
6種目を断念し鉄棒に専念して目指した東京五輪。
思い入れが一番強い五輪だったのに、一番思い出がない五輪になった、とハートブレイクな航平語録を語った航平君ですが、私は五輪選考会で、沢山のドキドキと興奮と歓喜、そしてここでも漏れることなく胸キュンを頂きました。航平くんが一生後悔する五輪だと思うのは、それはそうでしょう。納得できる五輪にはならないと思いますが、私にとっては五輪選考会も含めて東京五輪です。
東京での武器となったブレット・シュナイダー。
初めて航平くんがこの技を試合会場で見せてくれたとき、今までのブレトと同じ技と思えませんでした。こんな完成度ってある?
航平くんはここまでの完成度にならないと、試合では使わないんだなあ~って。
ブレトが入ることで、航平くんの美しい鉄棒は更に華やかに豪華になりました。まさに魅せる体操、でした。

失意の東京五輪から「三日で落ち込むことに飽きた」というまたまたハートブレイクな航平語録を残した航平くん。
いや。私の分析からすると、飽きたのではなく、もう一人の航平くんが落ち込むことを許さなかったのだと思うのです。
いつまで落ち込んでいるんだ!早く五輪の映像を見て分析しろ!!ってね。
私なら一生見たくない。(私と比較するな)
そして、航平くんは最後にまた大きなものを与えてくれました。世界選手権です。
航平くんは世界選手権出るだろうか。心が持ち直すのだろうか。身体は回復しているのだろうか。
ずっと考えていました。一番支えになったのは、リオでぎっくり腰になっても種目別ゆかに出場した時の航平くんの言葉です。
種目別決勝は、勝ち取った権利ですから。って。(胸キュン)
権利を放棄することは、よほどでない限りしないのではないか、そう思うことにしました。
そして、私の10年越しの夢。
『世界選手権の航平くんの試合を生で観戦する』という願いが叶えられたのです。
渾身の着地。練習では一度も止まっていなかったなんて思えないほど、素晴らしいものでした。微動だにせず。時間と空間を止める着地。
航平くん、ありがとうございます。
世界選手権の種目別鉄棒、他の選手が、素晴らしい演技を連発していましたよね。
これ、絶対選手の皆さん、航平君と一緒に闘えるのがうれしくて、航平くんに自分の演技を見てもらいたくて、もう、精一杯頑張っちゃった!!ってことだと思いました。
世界の舞台の、航平君へのリスペクトは、本当にすごいです。
航平くん、何度も言います。
本当にありがとうございます。

沢山の胸キュン。沢山の緊張。沢山のドキドキ。沢山の興奮。沢山の刺激。
心配もたくさんしたよ。これは、こちらが勝手にしてるだけ。
応援が力になったかな。気持ちはいっぱい送ったよ。

記者会見、14日ですって。
どんな航平くんでしょう。きっと笑顔でしょう。
こちらは、涙いっぱいで、よく見えないかもしれない。