くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景269 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 亀戸香取神社神幸大祭

2016年08月06日 01時30分03秒 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 世の中を見ると、夏休みはポケモンGOの話題で一杯ですが、「くまドン」はガラケー(ガラパゴス携帯)で、家の用事で家にいることが多いので、全く気にせず、時間のある間に昨年の夏祭りの残分を作り続けます。
 (時代に取り残されているのでは?という気持ちもありますが、気にしないことにしました!)
 次は、前回と同じ日(2016年8月6日(土)~8月7日(日))にある、江東区・大島(おおじま)と亀戸(かめいど)地区の神社の祭り(まつり)です。

(1)まず、下の写真は、亀戸にある香取神社で、「スポーツ振興の神様」として有名な神社です。 4年に一度、夏季オリンピックが開催される年に神幸大祭(本社神輿渡御)が行われます。


【香取神社神幸大祭】 (江東区亀戸3-57-22)
 4年に一度の夏季オリンピックが開催される年に神幸大祭(本社神輿渡御)です。
 「こんにゃく神輿(みこし)」と呼ばれる珍しい神輿です。
 日時: 2016年8月7日(日) 13:00~(神輿スタート)
 コース: 都営新宿線大島駅(新大橋通り)⇒西大島交差点(明治通り)⇒JR亀戸駅前⇒香取神社境内(約2km)

 以前も「くまドン」のブログで紹介した事のある神社ですが、亀戸の地名の由来となった神社でもあります。

 亀戸七福神の恵比寿(えびす)様(下の写真右)と大黒天(だいこくてん)様(下の写真左)が祀られています。


 この祭りは、亀戸香取神社(かめいどかとりじんじゃ)の祭りと大島地区の神社の祭りが同時に行われるので、外から見ると、混乱します。
(2)下の写真は、大島地区にある亀出神社(かめでじんじゃ、愛宕神社、江東区大島3-31-15、大島駅から3分)です。神輿渡御では、出発地点になります。現在の社殿は平成17年に新築されたので新しいです。

 大島・亀出神社は大島地区の鎮守(ちんじゅ、土地を守る神を祀る神社)ですが、元は亀出稲荷神社と愛宕神社の2つの神社に分かれていました。戦災などの経緯により、昭和31年(西暦1956年)、現在の場所に合祀(ごうし、合わせて祀る)されて現在に至っています。
 まず、亀出稲荷神社は江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の時代に、松平定儀(まつだいらさだのり、越後高田藩の第4代藩主)の別邸の鬼門除として建立した神社です。
 「亀出」の言葉の語源ですが、江戸時代以前は、利根川・荒川の河口の中洲であった亀島が、江戸時代の河川改修により、陸地化が進み、亀戸(かめいど)村となります。
 さらに、大島村の歴史を調べると、3代将軍・家光(いえみつ)の正保年間になると、海岸の低湿地の開発して大島村の元になる村ができたとあります。
 ここで、水運のために竪川(たてかわ、4代将軍・家綱(いえつな)の万治年間に起工、現在の首都高速7号線の下)が東西に直線的に作られ、亀戸村の一部が切り離され「亀戸出村(その後の大島村)」と呼ばれるようになったそうです。
 はっきりした事は分かりませんが、亀戸の香取神社と大島の亀出神社の祭りが一緒に行われるのは、この事が原因のように思えます。
 そして、5代将軍・綱吉の元禄年間に作成された「元禄図」には、「大島」の地名が見られるようになりました。
 (当時比較的大きな島であったので、この地名がつけられたと考えられているようです。)

 その他に、下の写真のように神社の境内には、大島地区の別の場所に鎮座していた草分稲荷神社を、昭和48年に遷座(せんざ)した神社があります。


 もう一つの元になる愛宕神社は、4代将軍・家綱の寛文年間(万治年間の後の年号)に亀戸出村(大島村)にあった霊巌寺(れいがんじ)領の鎮守として創建されたそうです。
 近くに念仏堂があった為、子育地蔵尊が安置されているとのことです。
(絵画調)


(3)大島地区の中心付近にある亀出神社を出発した神輿(みこし)は西大島地区を通過して、亀戸香取神社に向かいますので、西大島にある神社も一つ紹介します。
 下の写真は、西大島の子安稲荷神社(江東区大島3-21-9)です。江戸時代から子育稲荷として信仰されて来ました。提灯(ちょうちん)を見ると「亀出西部」と書かれています。

 子安稲荷神社は、5代将軍・綱吉の元禄年間に、この地域に創建と伝えれています。明治初年に亀戸香取神社の管理下となりますが、昭和20年に戦災により焼失してしまいます。戦後の混乱と、後に続く高度成長期の時代に追われ、神社は復興されることなく、鉄工所の敷地に囲まれた状態となってしまいます。この為、昭和30年頃に近くにあった現在の地に移転し、社殿を石祠(せきし、石のほこら)を以って造営したそうです。

 昨年・平成27年は、同じ江東区の東大島神社の例大祭と、猿江神社の例大祭が同じ日でしたので、両方の神社を自転車で往復する事になりました。中間の西大島にある「亀戸・大島緑道公園」でも陰祭がありましたので、寄ってみた時の写真です。
 下の写真のように山車(だし)の準備中でしたので、撮影させていただきました。

 ここで、このブログを書こうとすると、撮影に関する注意点を一つ挙げておく必要が生じます。
 西大島地区の祭りでは、父母からの強い要求により、子供の祭り風景を撮影することは禁止となっています。昨年・平成27年においても、江東区区内の2カ所の祭りで子供の撮影は禁止になっているそうです。今後も、そのような地区が増えて行くような傾向があるそうです。(もう一カ所は場所を忘れました)
 「神田祭(かんだまつり)」や「深川祭(ふかがわまつり)」のような大きな祭りの撮影と違い、普通の町の祭りの撮影は、かなり注意が必要です。
 昭和から平成に時代は変わり、町並の風景も変わり、昔の下町の雰囲気は徐々に失われつつありますが、最近は物騒な事件もあり、子供の撮影を禁ずる親の心配も当然と考えるべきでしょう。
 デジタルカメラの普及により、誰でも簡単に撮影が可能になりましたが、同時に安易に撮影する側のマナーも問われる時代となっています。


 佃島の住吉神社の例大祭で、地元・江東区で祭り好きで長年撮影している年輩者のグループの人達が、親切にも仲間の会話の中で、「くまドン」にも聞こえるように話してくれたことを後から思い出しました。
 「くまドン」は、本来は風景写真・自然写真を専門に撮影してきたので、基本は自然が撮影対象で、橋や夜景などの特別な場合を除けば、コンクリートを含む人工物や人はなるべく写真のフレーム(画面)には入れないで撮影する習慣がついていました。逆に言えば、名所江戸百景「くまドン版」の撮影する為に、人や人工物を入れて撮影している事自体が、普段慣れない事をしているようなものです。町中や人の撮影に関する基本的な知識が欠けている場合があるので、助かりました。ありがとうございました。・・・(汗)

 下の写真は、山車の台座のアップです。時代は新しいとはいえ見事な彫物です。



(4)同じ期間に大島地区の東側一帯を氏子領域とする東大島神社の例大祭も同時に行われているのです。
【東大島神社 例大祭】
 日時: 2016年8月5日~7日(日) 三晩 納涼踊り
      8月6日 8:00~ 町内子供みこし 19:00~ 宵宮提灯みこし
      8月7日 8:00~ 本社大神輿
 下の写真が、東大島神社の提灯(ちょうちん)みこしです。

 ついでに納涼踊りの風景も入れておきます。
(絵画調)

 昨年・平成27年に撮影した東大島神社と猿江神社の例大祭風景は次回以降とさせていただきます。

(1)以前の亀戸・大島地区の神社と祭りの話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景001 スカイツリーの真下から」(亀戸香取神社)
 「名所江戸百景011 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 横十間川の桜」
 「名所江戸百景077 第70景 中川口 東大島神社とカヌー・ハゼ釣り」
 「名所江戸百景080 第67景 逆井のわたし 亀戸浅間神社の祭」
 「名所江戸百景199 亀戸天神の例大祭(1) 献灯明・薪神楽」
 「名所江戸百景200 亀戸天神の例大祭(2) 御鳳輦渡御祭」
 「名所江戸百景201 亀戸天神の例大祭(3) 御鳳輦渡御祭」

(2)亀戸・大島地区の古い地図と霊巌寺の話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景021 第68景 深川八幡山ひらき 深川(1)」
 「名所江戸百景022 第68景 深川八幡山ひらき 深川(2)」
 「名所江戸百景023 第68景 深川八幡山ひらき 深川(3)」
 「名所江戸百景024 第69景 深川三十三間堂 深川(4)」

 同じ、2015年8月5日(金)~8月7日(日)には、さらに大島地区の南にある砂町銀座で七夕(たなばた)まつりがありますので、ついでに1枚載せておきます。
(絵画調)

(3)砂町銀座の七夕まつりの話は以下のブログです。
 「名所江戸百景245 第29景 砂むら元八まん 砂町銀座の七夕まつり」

 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 次回は、平成27年に撮影した東大島神社の神輿風景です。

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