くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景273 第97景 小奈木川五本まつ 猿江魔利支天と扇橋閘門

2016年08月11日 23時35分19秒 | 名所江戸百景
こんにちわ。「くまドン」です。

 今回は、江東区・猿江(さるえ)周辺の話です。

 下の写真は、猿江神社の例大祭(れいたいさい)の町神輿を撮影した写真ですが、後方に橋が見えます。
(絵画調)

 小名木川(おなぎがわ)に架かる小松橋です。
(絵画調)

 小松橋から西側を見ると、扇橋閘門(おうぎばしこうもん)があり、広重の名所江戸百景「小奈木川五本まつ」の説明板がありました。「小奈木川五本まつ」は、猿江の小名木川護岸にあった松の名所でした。


 下の絵は、広重の名所江戸百景「第97景 小奈木川五本まつ」です。

 江戸名所図会(えどめいしょずえ)にも「小名木川 五本松(おなぎがわごほんまつ)」の説明文と挿絵(さしえ)があります。江戸名所図会は、広重が「東海道五十三次」と同じ天保年間に出版された地誌紀行図鑑(絵入りの名所一覧ガイドブック)です。挿絵の中には、
 「深川の末 五本松という ところに舟を さして 川上と このかわしもや 月の友 芭蕉(ばしょう)」
 との説明書きがあります。絵には、五本松の護岸に舟遊びをしている様子と、小名木川の東へと続く川面(かわも)に、東の空から登る満月が映し出されている絵が描かれています。
 五本松の説明文の一部を抜粋(ばっすい)しておきます。
 「九鬼(くき)家の構へ(かまえ)のうちより、道路を超えて水面を覆ふ(おおう)ところの古松(こしょう)をいふ(言う)
 (昔は、この川筋に同じほどの古松五株(ちゅう)までありしとなり。他は枯れて、ただこの松樹(まつ)のみいまなお蒼々(そうそう)たり)。
 小松橋から小名木川の東側を望んだ現代の風景です。奥に架かる橋は小名木川橋です。

 この松も、明治時代の末に枯れてしまったそうですが、昭和63年(西暦1988年)に小名木川橋の近くに松が植えられています。

 この五本松は、江東区・猿江の護岸にありましたが、何故か?江戸名所図会には「猿江神社」に関する記載が見当たりませんでした。単純に「くまドン」が見つけられなかっただけかもしれませんが、その代わりに猿江の文字がついた名所は、「猿江泉養寺(せんようじ)」と「猿江魔利支天祠」でした。いずれも挿絵に描かれています。

 猿江神社の西北に少し離れた所に、「目先神社・魔利支天尊(ひのさきじんじゃ・まりしてんそん)」と書かれた小さな神社が残っています。
(絵画調)

 江戸名所図会の挿絵の説明文には、以下のように書かれています。
 「猿江(さるえ) 魔利支天祠(まりしてんのほこら) 霊験(れいけん)炳然(いちじるし)とて、詣人(けいじん)常(つね)に絶えず。来由(らいゆ=由来)は、拾遺江戸名所図会によってみるべし。」
 文中の「拾遺江戸名所図会」ですが、刊行予定はあったらしいですが、未刊の為、調べようがありません・・・(汗)
 挿絵を見ても江戸時代は、立派な社殿や池まである広い神社だったようです。

 猿江泉養寺は、蓮の花で有名でしたが、関東大震災の火災で焼失してしまい、昭和初期に千葉県・市川市の国府台(こうのだい)に移転しました。
 泉養寺に関する写真が無いので、代わりに猿江地区にあった「豊川稲荷」神社の写真です。
(絵画調)


 江東区・猿江(さるえ)地区の南側にある小名木川(おなぎがわ)の対岸は、江戸時代初期の慶長年間の頃には扇橋(おうぎばし)と言う名の橋があったことから、対岸の地区は扇橋が地名となっています。
 下の写真は現代の新扇橋です。橋の左奥に見えるのが、扇橋閘門(おうぎばしこうもん)です。
(絵画調)

 徳川幕府の初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が、行徳からの塩の運搬の為に、小名木四郎兵衛に命じて、小名木川を開削させたのが天正18年(西暦1590年、豊臣秀吉の小田原征伐と家康の関東移封)頃で、慶長年間(豊臣政権と徳川幕府の初代・家康と2代・秀忠(ひでただ)の時代)は西暦1596年~1615年になります。かなり初期のころから橋が架けられていたのですね!
 下の写真は、扇橋閘門から西の扇橋を見た風景です。その奥に青色の「新高橋」が見えます。

 この2つの橋の中間に大横川(おおよこがわ)が交差して横切っています。この場所に江戸時代は、下の写真の説明板のように猿江船改番所(さるえふなあらためばんしょ)がありました。


 現代の両地区の間には、扇橋閘門(おうぎばしこうもん、昭和51年竣工、東京都管理)と呼ばれる施設があります。
 下の写真の閘門が前門にあたります。

 閘門(こうもん)とは、水面の高さが違う河川を船が通航できるようにした“ミニパナマ運河”といえる施設です。その仕組みは、2つの水門に挟まれた水路(閘室)に船を入れ、水位を人工的に昇降させることにより船を通過させるというものです。
 中間の水路の先に後門があります。
(絵画調)

 普段は、この場所は進入禁止ですが、夏休期間中は、一般公開されている日があります!
【扇橋閘門(おうぎばしこうもん)の夏休み期間中一般公開 (平成28年夏休み分) 】
 公開日 :平成28年8月11日(木曜・祝日)、12日(金曜)、13日(土曜)、14日(日曜)、
                20日(土曜)、21日(日曜)、27日(土曜)、28日(日曜)の8日間
 公開時間: 9:30~17:00 (10:30~、13:30~、15:30分~に施設説明会あり)
 見学範囲への入場は自由。参加費無料。10人未満は事前申込み不要。全面禁煙。駐車場なし。
 なお、耐震補強工事のため、平成28年10月以降の扇橋閘門施設見学は工事中で不可能となるそうです。

 下の写真が扇橋閘門の管理棟内部です。見学はできますが、装置に触れるのは厳禁ですね!

 現在は、海抜ゼロm地帯の洪水対策の為に、閘門東側の水域の水位をAP-1m(干潮時の水位より1m下げている)為と、小名木川を通過する舟(最近はカヌーが多いらしいです)を通す為に使用されています。

 上の写真の説明図にある右側(AP-1m)水域の西側は、扇島閘門(東京都管理)と、北十間川樋門(樋門、昭和53年竣工、東京都管理)で守られていて、
 水域の東側は、旧中川と荒川放水路とを結ぶ閘門である荒川ロックゲート(平成17年竣工、国土建設省管理)、そのすぐ隣の小名木川排水機場(昭和44年竣工、東京都管理)、旧中川上流部にある木下川排水機場(樋門=ひもん=水管とポンプにより水を荒川放水路に排水、昭和52年竣工、東京都管理)に守られています。

 水域が閉じているので、水質が悪化しないように下の写真のように水を流しています。

 それでも流れの下流側にあたる旧中川の荒川ロックゲート・小名木川排水機場と木下川排水機場の2カ所では水質がかなり低下するので、荒川放水路から水を入れて、水質改善を行い、再び荒川放水路に排水しています。

(1)以前の猿江神社周辺の過去のブログは、以下のブログです。
 「名所江戸百景011 第66景 五百羅漢さゞゐ堂 横十間川の桜」
 「名所江戸百景009 第97景 小奈木川五本まつ 仙台堀川の桜(2)」
 「名所江戸百景271 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(1)」
 「名所江戸百景272 第97景 小奈木川五本まつ 猿江神社の例大祭(2)」

(2)他の閘門・樋門に関する話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景231 第29景 砂むら元八まん 砂町・荒川放水路の風景」
 「名所江戸百景012 第91景 請地秋葉の境内 大横川の桜」
 (スカイツリーの西側にある業平橋付近が、北十間川樋門の近辺になります)
 「名所江戸百景049 第67景 逆井のわたし 旧中川の白サギ(1)」


 今回は、これで終わりとさせていただきます。
 お盆前後は出勤日になりますので、あまりブログ作成の時間も無くなります。
 もう少し、防災面での話をしたかったのですが、猿江周辺からどんどん地域が広がってしまった上に、長い話になりますので、この辺で終わりとさせていただきます。
 (3月の葛西臨海公園の話の最後でした荒川放水路の話も作成途中で中断していますので、無理しないことにします・・・・)
 短い時間で作れる話があれば、ブログ更新しておきます。

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