ちょっとスピリチュアルな内容です。
自分の気持ちをまとめるために書いてます。
海外ドラマが大好きな私。
アリソンデュボアの最終回を見ました。
実在する、夢でいろんなメッセージを受け取るアリソンが検察で様々な事件を解決するシリーズです。
最終回では、夫のジョーが飛行機事故で亡くなり、41年後、亡くなってからお互いに再開というお話でした。
私にはプレアデスから地球に降りた時の記憶があります。
そこから男性の時はかなりひどい加害者の人生。
女性の時はさらにひどい被害者の人生を何万回と生きてきました。
最近は、フランスの宗教戦争に巻き込まれた主婦の記憶が日常でよくフラッシュバックします。
その時も家族はほぼ同じ、友人達も同じでした。
とても幸せな人生でした。
でも、宗教戦争に巻き込まれ、全てを失いました。
今回、その当時の人間関係を同じように設定してきているようです。
その時、できなかったことを、今回はやる。
他の人生でも、何度も子どもを失ったり、子どもを残して亡くなったり、しています。
子どもを抱いた時、暖かくて、あぁよかった、生きてる、と心から安心したりして、
亡くしたときの辛さが残っていることがあります。
今回、いろいろな面で総まとめの人生ですが、
加害者、被害者、どちらが正しい?どちらが間違い?
そんなことやめよう。人生は楽しむためにあるんだから。
そこをやりたいのかな。
アリソンは、ジョーを失った時、とても悲しみ、亡くなって再開したとき、とても喜びました。
私も同じように、失う辛さがよみがえって、とても辛くて涙が止まらなかった。
でも、私たちはいつも一つに繋がっているのに、どうしてこんなに失うのが怖くて辛いのかな。今の私もきっと子どもやパパを失うと正気じゃ居られないと思う。
再開できた時の喜びの愛は、本当に美しくて、愛って美しいなって思った。
涙が止まらなかった。
原発の真実を見たら、これまた涙が止まらなくなった。
人はどうして生きるのかな。
失いたくないから?
守りたいから?
それは何か違うと思うけど、そこから離れることができない。
本来の喜びや、愛を感じ、それを表現するために生まれてきているのかな。
今の、この難しい現状、ステージで、それをいかに自分らしく表現できるか。
そこなのかな。
問題にいかに解決するために取り組むか、ではなく、
いかに自分の人生を輝かせるか。
その内容が、結果として何かの問題を解決させるために動く内容ならいい。
そうじゃなくてもいい。
最初の視点が、いかに自分の人生を輝かせるか、そこにないと、全てがずれて行く気がする。
私はやっぱり家族が好きだし、家族との時間がとても幸せ。
家族と触れあうと、自分の胸の愛を感じるから。
自分がやりたいなって思うことは次から次へと浮かんでくる。
なんのために?
私が私の人生で自分を輝かせるために挑戦すること、
それを共感したり、共鳴したりする、仲間と愛を響き合わせる、そのために?
まだまだわからないことだらけだけど、
何万回も凄まじい人生を生きてきた私のために、
この人生を輝かせよう。
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